秘密の談話室(サロン)にて(中編)
レントミアは廊下の壁に飾られた「絵」に向かって手を差し向けると、小声で呪文を唱え始めた。
壁に掛けられた一枚の絵画は、草原と一軒の小屋、それに羊飼いと羊の群れが描かれている。どこか懐かしい風景だが、何の変哲もない普通の絵だ。
「賢者ググレカス、レントミア様が呪文を」
「知らない呪文だ。秘密の暗号、何かの鍵かな?」
俺たちがいるのは城の一階で、王立図書館へとつづく長い廊下の一角だ。魔法協会とは少し離れているこの場所に、目的の「秘密の談話室」があるという。
ノルアード公爵とレントミア、そして俺と妖精メティウスが絵を前にして立っているが、背後では普通に人々が行き交っている。
5メルテほどの幅の廊下は、整然と美しい柱が左右に立ち並び、途中には小部屋へと通じる扉や、花の飾られた花瓶。歴史的な価値のある鎧などの品々が所々に置かれている。
「協会長殿のご紹介だからな。何が出てくるか……」
――今から一時間ほど前。
魔法協会の本部を訪れた俺は、魔法協会会長のアプラース・ア・ジィル卿と面会した。
事情を説明すると王政府から直々の「根回し」が行われていたらしく、ノルアード公爵が「望む魔法」についての事情を知っておいでだったので、話はスムーズに進んだ。
アプラース・ア・ジィル卿は「ここからは、ワシの独り言じゃがの……」と前置きをした上で、死者を蘇らせる研究をしているというサロンの「噂」を教えてくれた。
「ただし、公爵殿の期待に沿えるかは分からぬがのぅ」
白い顎髭を撫でながら、独り言を終えたアプラース老は、「レントミア君が、合言葉と場所を知っておるぞな」と付け加えた。
その後、ノルアード公爵と城の一階で合流。
「魔法の研究を一緒にしませんか?」
と誘い出して今に至る。
俺の後ろに立っているノルアード公爵は相変わらず青白い顔色で、無表情のままじっと成り行きを見守っている。
だが、見慣れてきたせいか、表情の微妙な違いがわかるようになってきた。
若干、眉が上に持ち上がり、瞳には「期待」のような光が見え隠れしているのだ。どうやら、ちょっと期待しているようだ。
「……ノルアード公爵殿、ご期待に添えるかわかりませんが。魔法使いのサロンへご案内いたします」
「お心遣い、感謝します。かように大きなメタノシュタットの王城、こうしてご案内いただき、それも秘密の部屋まで探訪できるとあっては、興味が尽きません。この国のサロンは、はて……どのようなものでしょうか」
「サロンは、貴国の『サロン』と本質的には同じです。魔法の問題について、議論を通じて見識を深め合う場ですから」
「魔法への想いが強すぎると、サロンを飛び出し、世界を飛び回りたくなる衝動に駆られるのも……同じでしょうか」
「え、あ……どうでしょうね。魔法使いは大抵、思索と議論を好みますから。外出はあまり好みませんね」
それは魔法の秘密結社、『ゾルダクスザイアン』の事を皮肉っているのか、公爵なりのジョークなのか。
連中は、今思えばとてもアクティブでアグレッシヴ。世界中を飛び回り、秘宝や秘術、太古の魔法の遺物を集めては研究に余念がなかった。
人造生命体の研究や、不老不死、永遠の命など、魔法使いなら……いや、権力者なら誰しもが夢見る魔法を研究し、実現しようとしていた。
すべての行動が目的へと帰結するのだろうが、いかんせん連中は「やりすぎ」た。
『世界樹』への「ちょっかい」まではよかった。だが、魔王城を復活させて災厄を招き、スヌーヴェル姫の失踪や、エルゴノートの失脚と王国には表沙汰に出来ない混乱が生じた。
この時点で、メタノシュタットの逆鱗に触れたのは間違いない。
王国はあの事件をきっかけに、ゾルダクスザイアン殲滅へとかじを切った。報復が検討され、多数の諜報員が西国へと侵入したという。
決定的だったのは、ルーデンスに出現した「太古の魔女」が使った魔法の収奪を企て、挙句、王都メタノシュタットでテロを起こしたことだ。
……と、局長が極秘資料を見せてくれたのだが。
返答に困っていると、タイミングよくレントミアが振り向いた。
「よし、開いたよ!」
「おぅ?」
思わず左右を見回すが、「新しい扉」が出現した様子はない。途中にドアが幾つかあったが、それとは別の隠し扉でも開いたのだろうか?
するとレントミアが絵を指差し、よく見るように促す。
「違うよ、ほらここ。よーく見て。あ、公爵様も」
「ほう?」
「うむ……?」
絵の中には「小屋」と羊飼いが描かれていたが、小屋の扉が開いている。
「そこかよ!?」
だが一瞬、空気が変わった。
「賢者ググレカス。不思議な魔法ですわ」
気がつくと、忽然と人の気配が消えていた。
というか、小屋の前に立っていた。
周囲を見回しても、行き交っていた人々が居ない。草原が広がり、動かない羊たちが無数に立っている。空は青く、木々もある。
本当に絵画の中、時間が止まってしまったかのような、不思議な白昼夢に似た光景が広がっていた。
高位の魔法使いのごく一部が使う、『貴石煉獄』のような個別の結界か?
あるいは俺の切り札である『隔絶結界』のように、位相のズレた世界に迷い込んだのか?
色々考えたが、そこまで大規模な魔法では無さそうだ。
索敵結界も戦術情報表示も異変を検知していない。
立っているのは先程からずっと「同じ場所」。だが、軽い魔法の励起の記録を感知していた。
「そうか……!」
「気がついた? ググレ」
「俺達は……精神だけが絵のなかに引き込まれた。小屋の扉が入口になっていたのか」
「そのようですね。珍しい、初めてみる魔法の仕掛けです。隠し部屋を複数の人間が『認識共有』できる、一種の認識撹乱……でしょうか」
ノルアード公爵が流石の博識ぶりを披露する。今にも面白い、とでも言わんばかりの顔であたりを見回した。
「つまり、私達の身体は今、廊下でボーッと絵を眺めている最中……なのですか?」
妖精メティウスがちょっと困ったような顔をした。
「かもしれないが。どうかな……。精神だけの世界となれば、時間の流れが違うからな。ここはある種の結界の中だろうし」
夢の世界といえば、妖精メティウスの庭だが、それとも違う。不思議な絵画のような世界だ。
「とりあえず、中に入ってみよう」
俺が先頭になり小屋の中に入ってみる。
そこはちゃんとした部屋になっていた。外側よりも数倍も広い。中は大きなテーブルと黒板。木のテーブルの上にはお茶とお菓子、そして無数の紙が散乱している。
途端に歓声と悲鳴のような声が響き渡った。
「うっわ!? ほ、ほんとに来たぁ!?」
「けけ、賢者ググレカス……に、レントミア君!」
「それと、ストラリアの親善大使……様も!?」
三人組の魔法使いが、ガタガタっと机の向こう側に逃げるように集まった。
案内役のレントミアが、振り返る。
「えぇと、ここが秘密の……『狭間の談話室』だよ」
<つづく>




