賢者の敗北と、命の対価
【これまでのあらすじ】
魔王軍の残党を倒すため旅立っていった勇者エルゴノート一行を見送ったググレカスは、プラムの根本的な治療薬を作りはじめる。だが、「プラムの延命薬」を飲んだヘムペローザの魔力が復活、呼応するかのように実験室の樽から不気味な怪物が出現しヘムペローザを飲み込んでしまう。更に「魔王を倒す」と息巻くクリスタニアの騎士団が現れるが、ググレカスの機転で共闘に持ち込む。
しかし騎士団は巨大化した「魔王妖緑体デスプラネティア」を前にまったく歯が立たない。ググレカスは最後の切り札であるワイン樽ゴーレムデストロイモードを起動、死闘の末ヘムペローザを救い出すことに成功するが、強烈なブレスが賢者に襲いかかった――
「ぐぬぅうううッ――――ッ!」
魔王妖緑体デスプラネティアの強烈なブレスが俺を包み込んだ。視界を塞ぐ紫色の強烈なエネルギーの奔流が、次々と結界を打ち崩してゆく。
眼前に浮かぶ四角い戦術情報表示がけたたましい警告音を響かせ、一面を真っ赤な警告表示で埋めつくしてゆく。
『防御結界、第4層消失――!』『第三層、耐久限界!』
『空気組成変質、生命維持に支障!』
真正面から受け止めたブレスは想像以上の威力だった。賢者の結界としてあらゆる魔法を跳ね返し、炎や氷、毒や呪いさえも防ぐ16層にも及ぶ結界が、暗黒のマイナスエネルギーで加速された毒のブレスのゼロ距離照射により、次々と耐久限界を超えてゆく。
一番内側を「第1層」一番外側を「第16層」と呼んでいる防御壁が、ひと息で第4層まで破壊されたのだ。マニュフェルノの「腐朽」魔法の暴走を防いだ時でさえ8枚は残存していた「賢者の無敵結界」が、今や残すところ3枚だけとなっていた。
俺は両手を突き出し内側から防御壁を支え続けるが、フィードバックのあまりの強大さに思わず片膝をつく。更にわき腹の痛みが、激痛に化けて内側から俺を攻め立てる。
「うっ……ぐぁあああッ!?」
ブレスが途切れたと同時に第三層の結界が消失、俺はガクリと崩れ落ちるように手を地面につき荒い息を吐いた。今や片膝と片方の腕で上半身を支えるほどに消耗していた。
周囲は強烈な毒のブレス――毒気と酸性の液体を魔力で加速させたもの――で焼きつくされズブズブと黄色い不気味な蒸気を噴出している。その霧は一息吸い込めば、命さえ落としかねない毒を含んでいると、戦術情報表示が喚いている。
『ギィ……シャァアアア……』
目の前に迫る巨大な怪獣、魔王妖緑体デスプラネティアが、俺がまだここに存在することが不思議でならないかのように覗きこんでいる。何本もの食腕がうねりながら俺を取り囲む。
我に返った俺はハッとして背後を振りかえった。
遥か――背後に見える館の方で、二体のワイン樽ゴーレムが、一つの樽を運び終えていた。館から飛び出してきたリオラとプラムが、転がされてきたワイン樽へ駆け寄る。
「よかった……」
ほっと安堵する。なんとかブレスの照射を俺が盾になることで免れたのだ。
距離はここから百メルテほどしか離れていないが、化け物の注意が俺に向いている限りは逃げ延びるチャンスはあるだろう。
館の結界は強固だが、もしブレスの直撃を食らえばひとたまりも無いのだ。
ヘムペローザの救命脱出ポットと化した「樽」の蓋を遠隔で開いてやると、スライムに舐め取られ、すっかり綺麗になったヘムペローザが流れ出した。
「ヘムペロ!」
「ヘムペロちゃん!」
リオラとプラムが叫び、褐色の肌のか細い体を抱かかる。
呼吸も脈拍もあり、意識を失っていはいるが無事のようだ。その光景を遠目に眺めながら俺は、兎にも角にも安堵していた。
――上手く逃げてくれよリオラ。そして、プラムにヘムペロ。
焼け付くような苦しさにあえぎながらも、俺はあらん限りの声で叫ぶ。
「ここは俺が食い止める! 騎士……ヴィルシュタイン殿! 頼む……あの子達を……遠くへ逃がしてくれ!」
クリスタニアの騎士に頼らねばならないほどに、俺の手持ちの札は失われていた。
「あんなところに少女達が!? くっ……バネット! ダンバー! お前たちは馬を駆りあの少女たちを安全な場所へお連れしろ! 他の者は俺に続け、賢者殿を……お助けするのだ!」
「「ハッ!」」
ブレスの照射から何とか距離をとっていた騎士団長ヴィルシュタインは、瞬時に状況を判断し、部下達に対し最適と思われる指示を下す。流石一軍を任されるだけのことはあるが、防御結界さえ持たない彼らが来たところで、この化け物はどうにもならない。
12名もいたはずの魔法使いは攻撃術者ばかりで、状況を悪くするばかりだ。偉そうにしていた上級魔法使いは馬車の横で失神している。
「来るな! ――お前達では……何も……」
実際、毒のブレスが照射された俺の周囲に彼らは近づけなかった。騎士の一人が近づこうとした瞬間、喉を押さえその場から動く事が出来ない。更に食腕に威嚇され、剣で受け流すのが精一杯の様子だった。
俺の魔法残量は10%を切っていた。残り二枚の結界と、毒を帯びた空気の浄化で精一杯だ。
「きっついな……これは……」
俺は絶望的な状況の中、ふっと笑みを零しながらずり落ちた眼鏡を指で直した。
『キル……キルキル……!』
魔力のコアとして取り込んでいたヘムペローザを奪われたにも拘らず、化け物は動き続けていた。外部から照射された魔力を自らのエネルギーへと変換し生き続ける身体へと進化し始めているのだ。
一瞬の隙をついて、二本の食腕が俺の身体にガッチリ喰らいついた。
「――ぐぁッ!」
「いやぁあああ! 賢者さまぁああ!?」「ググレさまぁああー!」
リオラとプラムの悲痛な声が遠く耳朶を打った。辛うじて動く首をめぐらせると、騎士達に抱えられ遠くへと避難させられてゆくリオラとプラム、そしてヘムペローザが見えた。
――よかった。俺はとりあえず……役目を果たせたのか。
俺一人の力で出来る事はここまでのようだ。たった三人の、俺を慕ってくれた少女たちを……救えたのだから、命の対価としては充分かもしれないが――
巨大な花弁のような口が、頭上に迫っていた。
――お前が……俺の死か。
強烈な締め付けと苦痛で、薄れはじめる意識の中、最後の魔法――残存魔力すべてで放つ「最終戦闘術式」を選択しようとして、指を止める。
「レントミア……、お前が居てくれたら……よかったのにな」
不意に、微笑む美しいハーフエルフの顔が浮かんだ。
この三年間、最強の賢者で居られたのは、仲間がいてくれたからに過ぎないことは十分判っていた。
『ようやくボクの名を呼んでくれたね。こういう場合、最初に頼るのはボクじゃないの?』
――!?
不意に不機嫌な声が聞こえてきた。それは指輪から脳に響く声だった。俺とハーフエルフの魔法使い――レントミアを繋ぐ魔法の指輪は、繋がったままである事を忘れていた。
「は……はは、やっぱりこの指輪……、俺の思念が漏れてる……のか?」
『え? まぁ……すこしだけ』
「どの……あたりからだ?」
『ぜ、全部じゃないよ! えと……ボクの名前が出ると自動的に繋がるようになってるだけで』
つまり俺がレントミアのことを考えるとダダ漏れなわけだ。昼間、水着がどうのと妄想したこともか……?
『水着なんて着たこと無いけど、夏になったら考えるよ……!』
「思考ダダ漏れじゃねーか!? ちょっと来い……! マジで話がある」
身体を食腕で押さえつけられたまま、俺は一人で天に向かって吼えた。
『――うん! 今そっちに向かってる!』
俺は面食らった。向かってる? って、ここへ?
『そうだよ! まってて、もうすく……いくから!』
だが、ここから彼らが宿泊した町アパホルテは、馬でも半日かかる距離のはず……。
『馬に魔力強化外装をかけて全力で向かってる! もう少しでつくからね!』
絶望の中に希望の光が灯る。その光はそして、更に大きくなる。
「ググレさま! イオラが……エルゴノート様と一緒にここへ!」
リオラが抱えられた騎士の馬から身を乗り出して叫んだ。
――エルゴノートも!
リオラはヘムペローザが飲み込まれたあの瞬間から、イオラに状況を伝え続けていてくれたのだ。双子の胸に光るペンダントの双方向通信をエルゴノートは聞き、そして信じ、ここへ駆けつけるつもりなのだ。
「ったく……、もうひと頑張り、するしか……ないか!」
俺は残存魔力でで魔力強化外装を全身に展開、喰らいついた食腕を引きちぎりにかかる。
「うぬおおおおおお!」
だが――、俺の体は食腕に軽々と持ち上げられ、デスプラネティアの胸にポッカリと空いた穴へと押し込まれた。そこはヘムペローザを捕らえていた、化け物の魔力の中枢だった。
「――俺を、取り込むつもりか!?」
『ググレッ!?』
レントミアの声が急速に遠くなった。一瞬で視界が闇に閉ざされた俺は、深い闇の底へと沈んでいった。
<つづく>