賢者邸の朝と、マニュフェルノへの相談
朝の食卓は優雅に……とはいかない。
マニュフェルノやルゥ夫妻、そして四つ子達はゆっくりできる。だが、学舎に行かねばならない子どもたちは大忙しだ。リオラにヘムペローザ、そしてラーナにプラム。
ついでに言えば、俺だって王城へと出勤する。
「ググレさま、そのジャムを取ってほしいのですー」
「ん? これか」
「ありがとですー!」
プラムは小瓶を受け取ると、素早くジャムをスプーンですくい取ってパンに乗せ、一気に口に押し込んだ。
フィノボッチ村特産のベリーのジャムは懐かしく素朴な味わいだが、今は潤滑油の役目しか果たしていないようだ。
「もうすこしゆっくり食べなさい」
「らいりょうぶでふー」
リスの頬袋のように両頬を膨らませてパンを詰め込むと、次にベーコンつきの目玉焼きを吸い込むように平らげる。
プラムは今日も食欲が旺盛で、ポニーテールに結った髪も元気そのものだ。
何がどうしてこうなったか。比べるべくもないが、どこぞの魔法使い連中がつくっていた可哀想な人造生命体とは雲泥の差。俺の可愛い「娘」は、どこをどうみたって人間なのだ。
「ラーナもごちそうさまなのデース」
その横では、ラーナも朝食を食べ終えて皿を運んでゆく。
最近は王城前広場の商店街でも、愛くるしいと評判のラーナ。広義ではこの子も極小スライムの集合体、つまりは天然の人造生命体なのだ。でも、見方を変えれば、俺やこの世界で暮らす多くの生き物も、同じような細胞の塊だ。
もはや、区分けする意味さえ曖昧になってくる。
「時間はまだあるにょー」
隣のヘムペローザはパンを、小さく千切っては食べ、また千切っては食べ。
もう少し速く食べないと遅刻するのではと、見ていてヤキモキする。
今日は長い黒髪を両サイドで小さな三つ編みにし、それを後ろに持ち上げたハーフアップにしている。どことなく上品なお嬢様っぽいから不思議だ。
風紀委員会に生徒会にと、ヘムペローザとプラムは学舎生活にすっかり馴染んでいる様子で、安心ではあるのが。
「ヘムペロはもう少し急がないと、置いていかれるぞ」
「その時は賢者にょに馬車で送ってもらうにょ」
「俺だって城に行かなきゃダメなんだよ」
「なおさら途中だろうがにょ」
そんなこんなと、無駄口を叩きながらも食事を終え、身支度を整える。
顔を洗い、歯を磨き、髪をかっこよくキメて、着替える。
働く賢者様な顔つきで、まずは子どもたちを送り出す。
「いってきます、ぐぅ兄ぃさん」
「いっておいで、リオラ」
お出かけのハグをしてくれるのは、高等学舎の制服が眩しいリオラ。愛情とぬくもりを感じつつ、次にラーナも抱きしめる。
「いってくるのデース」
「あぁ、気をつけて」
「はいなのデース」
よし、次はプラムとヘムペローザだ、と思った時にはとき既に遅し。玄関先で小脇をすり抜けて、元気よく飛び出していった。
「いってきますですー」
「いってくるにょー」
ふりかえって軽く手を振ると、黒髪と緋色の髪に朝の光をまとう。
三日月池の脇の小道を通り、小さな橋を渡り王城裏公園まで。登校してゆく4人の姿を見送りながら、索敵結界も確認する。
池と公園の守護者――城の周囲の安全を守護する『御庭番衆』の夫婦が、いつも通り挨拶を交わしながら、散歩をしていた。
「さて、俺も城に行くとするか」
と、マニュフェルノがやってきた。
「相談。そういえば、朝に何かいってなかった?」
丸メガネの向こう側で優しい瞳が俺を見つめている。
そうだ。俺が相談したかったのは、『賢者の石』のことだ。言い換えれば、ノルアード公爵の希望かもしれないアイテム。だがそれには何の効果もなく、御子息を甦らせることなど出来はしない。
「そのな、例えば……。効かない薬を不治の病の患者さんに『効くかも』と、言って飲ませるのは罪だろうか。その人のためにならないか?」
俺の言葉に、マニュフェルノは静かに思案しているふうだった。
「希望。という薬を与えるべきか、ということかしら?」
「そんな感じかな。でも、治らないんだ」
死者は蘇らない、という意味で。
「多分。患者さんは気がついているんじゃないかしら。自分の身体ことは、自分がよくわかるもの」
「病気が治らないということをか?」
「首肯。だから、そうなると大事なのは薬が効くか効かないかじゃないわ」
「なるほど」
「一緒。最後まで一緒に治そうって、努力してあげることだと思うけど……。違うかしら」
「一緒に努力か」
「誠意。相手に伝われば安心するし、不安な心も落ち着くわ」
「そうか……!」
俺はハッとして息を飲んだ。
御子息を救いたいというノルアード公爵に対して、俺は共に考えていない。『検索魔法』で何か方法があるか、調べてさえいない。
その場しのぎで表面的な言葉を並べただけだ。
これでは救えない。御子息を……いや、壊れかけている公爵の心を。
「ありがとうマニュ、なんだか目が覚めた気がする」
「微笑。あら? ググレくんは以前、私にそうしてくれたじゃない」
「え?」
意外な言葉にマニュの顔を見直す。
「忘却。わすれちゃった? 昔……腐朽魔法が暴走したとき。私が諦めかけたとき、それでもググレくんは絶対に助けるって、そう言って強く手を握ってくれたわ」
「あぁ……!」
思い出した。プラムを救う「竜人の村」への旅の途中。暴走したマニュフェルノの力を俺は必死で吸い込んで、なんとか助けようとしたのだ。
「あの時のことは一生、絶対に忘れないわ」
マニュフェルノはそう言って微笑んだ。
<つづく>




