死の病と公爵の願い
「お前は『切り札』だ。最後に使う奥の手だ。わかるな?」
『イエス! マイ・マスター』
黒い球体――お手製の『賢者の石』が嬉しそうに返事をする。
「うーむ。もうすこし威厳を持ってくれ」
『……コホン、我は偉大なる千年帝国の栄光を体現する唯一無二の存在であり無限の叡智と』
「その調子だ」
手のひらの上に乗せた黒い球体は、ニセの『賢者の石』。
正体はヒカリカミナで捕獲した太古の亡霊――プロシキアン・コーラルを封じ込めた超小型の『隔絶結界』だ。
この隔絶結界は、不思議なことに外部からの魔力供給無しで存在し続けている。触った感触は鉱物のように硬く、重さは殆ど感じない。
維持され続ける魔法。これは通常ではありえないことだ。
ちなみに『賢者の館』の地面を半球形に切り取って、重力をほぼ遮断しているのも同じ『隔絶結界』の応用だが、あちらには「耐久限界」が存在する。
レントミアの『円環魔法』により超加速させた『隔絶結界』で空間を切断、重力から解放される効果が得られているが、半年から1年程度で劣化して効果を失い、浮上出来なくなることがわかっている。
つまり、俺とレントミアが友情の力を合わせねば、『賢者の館』は二度と空を飛ぶことが出来ないのだ。
『隔絶結界』は特別な魔力波動と複雑な術式に基づいて、世界を構成する「理」に干渉することで実現している。だが、詳しい動作原理がわかっていないのも事実だ。
推測に過ぎないが、この世界は実は「二重構造」になっていて、見えない世界が重なっているから起こる効果ではなかろうか?
世界から隔絶される効果を生む特殊な結界は、並行して存在する世界へ対象を「横移動」させているだけ……と考えられなくもない。
そんな考えに至ったのは、超竜ドラシリアがヒカリカミナの異世界への「ゲート」をこじ開けて、侵攻してきた事がきっかけだった。
ニセの『賢者の石』に封じ込めている亡霊――プロキシアン・コーラルは、ゲートの門番「ゲートキーパー」だった。
つまり、プロキシアン・コーラルの存在そのものが、皮肉なことに自らを『隔絶結界』に封じ込め維持する力になっているのかもしれない。
そう考えると、ニセモノとはいえ「別の世界への鍵」を秘めた凄く貴重なアイテムと言えなくもない。
『……まぁ、ワシは本物じゃからな。「賢者の石」を名乗るだけの知識も力もあるのじゃ。それを忘れるでない』
「肝心な知恵と力が無い気もするが……」
「参りましょう、賢者ググレカス」
「あぁ」
俺は黒い石をポーチに仕舞うと教会のドアを押し開けて、中へと入った。
静かで、ひんやりとした空気が頬に触れる。
そこは奥行き15メルテほどで横幅は10メルテ。長い椅子が左右に10列ずつ並んでいる。ステンドグラスからの光が、斜めに差し込む礼拝堂だった。
幻想的で静謐な空間は、静まり返っていた。
索敵結界は発動中。中にいる人間を探ると……いた。
一人の人物が、10列ほど並んだ長椅子の一番前に腰掛けている。
「おまたせして申し訳ありません。オートマテリア・ノルアード公爵殿」
俺の声に、その人物は反応し静かに立ち上がった。そしてステンドラスからの光を背にして此方を向く。
「お久しぶりですね、賢者ググレカス」
「えぇ。王城から飛竜に変化して帰還されて以来ですかな」
1年以上前、王城のバルコニーから竜に変身したノルアード公爵は、空へと舞い上がり、姿をくらましたのだ。
「あの時は申し訳ありませんでした。家族が急病で……焦っておりました。私としたことが、大使としての職務を投げ出す形となり、無礼極まりない行為でした。改めて非礼をお詫びしたい」
静かに頭を垂れる。
「む……ぅ?」
いきなり先手を打たれた格好だ。相手はあの時の振る舞いを謝罪した。
魔法の類は何も励起していない。使い魔もみた限り連れていない。表に停車した馬車には顔をフードで隠した御者以外、同乗者も居なかった。
あらためて眺めると意外にも若い印象だ。
年齢は20歳半ばから30代前半だろうか。
青い髪を長く伸ばし、後ろで結わえている。薄暗い教会の中で、真っ白い肌と、赤い線のような薄い唇が不気味に浮かび上がる。
瞳の色は赤く、差し込む夕日を浴びて妖しげな光を宿している。
顔の造作は整っているが、どこか人間離れした妙な気配を纏っていた。
服装は黒い高級な貴族服には、銀細工のような装飾が襟首や袖口に施されている。俺の『賢者のマント』と似ているだろうか。
身体の細いラインにピッタリと仕立てられたであろう貴族服は、古典的なデザイン。胸元から襟首、そして袖の部分からは、白いフワフワしたレースがはみ出している。足元は先の尖った革靴。
まるで大昔の絵画から抜け出してきたような、いかにもな紳士姿。
「お気持ちはわかりました。あとで直接王城に出向き、メタノシュタットの外交担当と話していただきたい。私からも頼んでおきますから」
「感謝しますググレカス殿」
そして、本題……彼の真意は何処にある?
「ここに私を呼び出した理由はなんですか? 仲間の情報を差し出してまで、何を考えておられる?」
静かに慎重に近づいて、距離を縮める。互いの距離は6メルテほど。相手の突発的な行動に対処できるギリギリの距離だ。
すると、オートマテリア・ノルアード公爵は視線を逸し、窓の外を見る。
夕焼け色に染まり始めた畑の向こうには、王都の街並みが遠く薄っすらと見えている。
「全てが……色褪せてしまった」
「……?」
「美しかった祖国の風景も、心揺さぶられた絵画も、音楽も。舌を驚かせてくれる料理も……」
心の病か? と一瞬疑った。だが、黙って話に聞き入る事にする。
「全て……私のすべてを懸けて守ってきたものが、失われた今。もう、古き慣習に縛られ、自らの知識の探求と興味だけで動く連中と、行動を共にする理由も無いのです」
「何を言っているのかわかりません。連中とは……ゾルダクスザイアンのことですか?」
「ゾルダ……そうです。『古きサロン』の連中は焦っていました」
「焦り……? 急進派か」
ノルアード公爵が再びこちらに向き直り、話し始めた。
「そうです。魔王大戦を終わらせるのに決定的な役割を果たした六英雄の存在に。勇者の宝剣の存在に、古の魔法の流れを汲む『円環の理』に干渉する魔法使いの存在に、そして理解を越えた魔法の解析能力と知識を有する、若き賢者……ググレカスの存在に」
「俺達が、お前たちの仲間を刺激したとでも?」
「きっかけにはなりました。本当の引き金は、空を飛ぶ『聖剣戦艦』に『世界樹』という世界の根幹に関わる存在が現れたことです」
彼らの行動の裏には、そういった知識への渇望、所有欲があったと言う。
「だからといって、今更何を……」
「賢者ググレカス。私は『古きサロン』に身を置きながら、生命の謎を追い続けました。国の大使としての地位を利用し、世界に散りばめられた謎と、魔法の知識を探し求めました」
「生命の謎を探求すること、それが『人造生命体』を生み出した理由ですか?」
自らの知識欲と興味の巻き添えにされた被害者も大勢いる。それが真意ではない気がした。
最初に語った「世界が色褪せた」とはどういう意味だろうか?
「その通りです。ゾルダクスザイアンも必死でした。ホムンクルスは今や実用域に達しつつあります。ですが、結局救えなかった」
「何を救えなかったのですか?」
救えなかった、と聞いて秘書のロベリーのことが脳裏に浮かぶ。
だが、ノルアード公爵の言葉は意外なものだった。
「息子が……息を引き取りました」
何かを噛みしめるように、青ざめた顔に悲しみを浮かべる。
それは演技などではない心からの言葉に思えた。
「ご子息が……? それは、さぞお辛いでしょう。お悔やみ申しあげます」
家族を失った悲しみには、国境も敵も味方も無い。
「ありがとう。……あらゆる手を尽くしました。魔法の薬、魔法の儀式。竜人の血も手に入れて試しました。でも……病の進行を、死を止めることはできなかった」
「死の病だったのですか……」
「えぇ。あの子はまだ12歳でした。他の生命の血を使い、我が手を血に染めてまで治癒を願ったのですが……、願いは叶いませんでした。それでも縋ったのは『人造生命体』からの人工臓器の移植や、脳移植の可能性まで考えましたが、上手くゆきませんでした。結局……全てが無駄でした」
悲しみと絶望、そして自らへの怒り。全てがごちゃまぜのように苦悶する。
すべての行動の理由がわかった気がした。
プラムやマニュフェルノに興味を抱いたのも息子を救うためだったのか。
だが、では、何故今俺なのか?
「賢者ググレカス……! お願いです。知恵を……魔法の知恵を貸してください。私は……息子に逢いたい……! もう一度、この手で抱きしめたい。蘇らせたいんです!」
「な……!?」
青白い顔が狂気に歪む。ノルアード公爵の瞳にはゾッとするような深い闇が渦巻いていた。
<つづく>




