ワイン樽ゴーレム、最終決戦(デストロイ)モード
魔王妖緑体――デスプラネティアは既に「巨大怪獣」としか形容できない醜悪な姿へと変貌を遂げていた。
石塀を粉砕し庭の木々をなぎ倒す家一件分もあろうかという巨体は、凄まじい音と土煙を巻き上げながら、特務騎士団が陣を張る方向へと進み始めた。
「お、恐れるな! 我らはメタノシュタット防衛隊……最精鋭の騎士団なるぞ!」
騎士団長のヴィルシュタインが気勢をあげ長剣を振りかざした。自慢の「精鋭部隊」は逃げ出す事こそなかったが明らかに動揺が見て取れた。
巨大化した怪物の全高は館の屋根を越えるほどになっていた。全身の色は暗い緑色を帯び始め、表皮は徐々に硬質な殻のように変化し始めていた。
『キル……キルキル……キルキル!』
甲高く耳障りなその咆哮は、何故か苦しげな「悲鳴」のようにも聞こえた。
地面に接する触手は束になり、脚の代わりを果たしている。ムカデのような多足をウネウネと動かして巨体を移動させているのだ。せめてもの救いは亀のように鈍重な事だ。
巨大なタマネギのように変化した胴体部分からは、それぞれが意思を持っているかのように動く「食腕」が伸びていた。数は20本ほどあり、それぞれの長さも10メルテはあろうかという巨大なものだ。触手の先には凶暴な牙を持った口がパックリと開いている。
形容しがたいが、あえて例えるなら「ヘビ女メデューサの頭をひっくり返した」ような姿だ。
「魔法兵、火炎魔法攻撃を開始! 騎士団は化け物の触手をすべて叩き斬れ!」
「おぉ!」「うぉおお!」
ヴィルシュタインの指示で騎士団が走り出し、背後からは魔法使いが一斉に「火炎魔法」を撃ち放つ。総勢12名にも及ぶ中級以上の魔法使いによる強力な魔法攻撃は、派手な打上げ花火のように尾を引いて巨体めがけて飛翔してゆく。
だが直撃したかに思われた火炎魔法は、デスプラネティアに命中した途端、不思議な燐光を放ち掻き消えてしまった。
――相転換魔力結界か!
表層を覆う硬質な外殻は、魔法力を変換し吸収してしまう特殊な術式で形成されているのだ。それは、かつて魔王デンマーンが俺達を苦しめた「魔王の結界」そのものだった。どんな攻撃魔法も魔法エネルギーに相転移させることで、自らの魔力として吸収してしまう。
それを破る方法はただ一つ――
「お、おのれ化け物めぇええ!」
騎士団長ヴィルシュタインの顔が恐怖と混乱に歪んだ。精鋭の魔法兵士による一斉攻撃は突進の勢いを止める事すら出来ないばかりか、更なる敵の肥大化を招いていた。
ぶるっと身を揺らした魔王妖緑体デスプラネティアに、更なる変化が現れる。頭頂部が盛り上がり何かの器官を形成し始めたのだ。
そして――顔の無かった黒い怪物に、醜悪な、地獄の花の蕾のような「顔」が生じてゆく。それはバラの蕾に似てはいるが、先端から根元に向かって裂けた亀裂の隙間にはビッシリと鋭い歯が並んでいた。内側は血のように赤く、端から透明な粘液を滴らせている。
それは花弁とは名ばかりの、巨大な肉食獣の口を思わせた。
『キルキル……ギィィィ、キシャアアアア!』
頭部にできた口が上下左右にバックリと「開花」し、天を貫かんばかりの怪奇な叫び声を上げる。
「デスプラネティアが……進化している!?」
俺は呻いた。
魔王と植物の魔物が融合して産まれた怪物は、今まで見てきたどんな怪物にも無い特徴を備えていた。魔力を吸収し、巨大化し凄まじい速さで自らの形態を作り変えていく力だ。
人語では現せない奇声を発し突進する巨大な怪獣は、月明かりで照らされ不気味な色合いを帯びている。巨大怪獣の前では完全武装の騎士達でさえオモチャの兵隊のように小さく見えた。
動揺する魔術師達に、ヴィルシュタインは次の指示を出す。
「怯むな! 火炎魔法を一点に集中しろ!」
――!? ダメだ!
「バカ! やめろ、下がれ!」
俺は思わず叫んでいた。最精鋭を名乗る騎士のリーダーは怪物の特性を理解していないのだ。部下の魔法使い達も仰々しいローブを着た上級魔術師でさえ、魔力を吸収して変化してゆくというあの魔物の特性に、まるで気がついていないのだ。
『ギキシャアアア……キルキル……!』
次の瞬間、スローモーションのような動きで、デスプラネティアは騎士達の陣地をあっさりと押しつぶした。
「あ……あぁ!」
俺は呻くことしかできなかった。この距離ではもう声も支援魔法も届きはしない。
悲鳴を上げて逃げ惑う騎士と戦士達。そして触手に絡め取られ空中に放り投げられる魔法使い。あっというまに横転し粉砕される馬車。足を取られ転倒した戦士が食腕に捕らえられて絶叫する。
それは阿鼻叫喚の有様だった。
彼らのレベルでは、まるで歯が立たないのだ。――復活する魔王を倒しディカマランの英雄に取って代わる――などという野望が夢物語に過ぎない事は、彼ら自身が身を持って思い知ったことになる。
本来は相容れぬ相手ではあるが、王都を守ろうと必死で戦う騎士と魔法使いの姿に、俺は胸を打たれ心の奥でせめてもの敬礼をする。
「賢者さま! 騎士さん達が……!」「おばけにやられちゃうのですー!」
館の窓から身を乗り出して応援していたリオラとプラムが悲痛な声を上げる。
「あぁ、大丈夫だ俺が助けに行く! 彼らのおかげで貴重な時間を稼ぐことができたからな」
俺はようやく眼鏡をスチャリと指先で持ち上げた。
俺は騎士達の戦いを口をあけて眺めていたわけではない。とある魔法の準備を整えていたのだ。そして準備は整い後は持てる魔法力のおよそ半分を注ぎ込み、励起するばかりだ。
だが――これは賭けだった。
これから行う賢者の最大奥義がヤツに通じなければ……すべて終わる。
もし、デスプラネティアの動きを「足止め」出来なければ、ヘムペローザを助ける事は出来ないし館にいるプラムとリオラも危険に晒されてしまう。
ズキンとわき腹が痛み出した。本当はうずくまりたいのを必死でこらえ、ヘムペローザを救うため、リオラとプラムを守るため、俺は立ち続けている。
天頂に差し掛かった青白い月が、冴え冴えと辺りを照らしていた。目をつぶり深呼吸をすると冷たい夜の空気が肺に染み渡った。
不意に、昼過ぎに旅立って行った仲間達の顔が思い出された。
つん、と済ました顔で馬に跨るハーフエルフのレントミア。
いつも豪快でいい男……いや、いい女のファリア。
ダダ漏れ妄想のマニュフェルノに元気のいい剣士ルゥローニィ。
そして、頼りになる勇者エルゴノートと、腕の中で嬉しそうに笑う見習いのイオラ。
まったく……、これじゃまるで走馬灯だ。
フッと笑みを漏らす。
自分の選んだ道が誤っていたのだろうか? いや――違う。
屋敷にリオラやプラム、ヘムペローザだけを残していたらと思うとゾッとする。そう考えれば俺がここに居ることには意味があるのだろう。
それに……あの化け物を生み出した責任の一旦を、とらねばなるまいしな。
「さて! いくぞ『フルフル』『ブルブル』、そして……量産型ワイン樽ゴーレム達!」
俺は戦術情報表示の小窓から別のメニューを開き、「ワイン樽ゴーレム、最終決戦モード」の自律駆動術式を自動詠唱させた。
俺の屋敷のガレージの扉が開き、二体の四足歩行のワイン樽が飛び出してきた。
それは俺が操る自慢のゴーレム『フルフル』『ブルブル』だ。
更にガレージの奥からは別のワイン樽がゴロゴロと転がり出てきた。数はおよそ10体。手足も何も無い「樽」そのままで大きさもまちまちだ。
それらの樽がまるで意思を持ったような軌道を描気ながら転がりまわり、『フルフル』『ブルブル』の周囲で停止、そして……ぼこんっ! と音を立てて立ち上がってズラリと整列してみせた。
――簡易量産型ワイン樽ゴーレム。通称『バール』
こいつらは俺が屋敷を警護する為に俺が配備している拠点防衛用のゴーレムだ。
中身はもちろんスライムで、『フルフル』『ブルブル』のような脚も手も持ち合わせていない。シンプルな構造で容易に大量生産できるのが利点で、侵入者に対しては数で圧倒し、強烈な体当たりによる物理攻撃を行う。
万が一、結界を乗り越えて館の敷地に入り込んだ不逞の輩は、ガレージからゴロゴロと転がり出たこの「樽」達に追い回され、無慈悲で情け容赦の無い鉄槌を下されることになるだろう。
「わ、樽が……沢山!?」「ググレさまー! フルフルくんとブルブル君と……ヘムペロちゃんを助けに行くのですかー!?」
「あぁ、そうだとも!」
そう返事をしながら俺は『フルフル』をスタンディングモートに切り替えると、上部の蓋を空けて中へと乗り込んだ。
中身は生ぬるいスライムの風呂だ。あっというまに服の隙間から全身を嘗め回すように這いずり回り、思わず「あっ……うんっ」と声を漏らしてしまう。
うぇぇ……やっぱりキモチワルイな!?
プラムとヘムペロをこの中に入れたことを後悔するが、今はそんな事を言っている場合じゃない。
「よし、いくぞみんな! 最終決戦モード起動!」
俺の声にワイン樽たちは、一斉にゴロリと転がり始めた。
<つづく>