★くらやみの中で、二人
俺は書斎の寝台でくつろぎながら、超古代魔術の変遷について記述された古書を読んでいた。
双子の妹・リオラが見たという『闇の復活』という予言めいた夢が気がかりだった事もあって、過去の歴史を紐ときながら調べ物をしていたのだ。
もちろん、趣味の読書も兼ねて、という腹積もりもあるのだが。
みっちりと難解な文字が刻まれたこの本は、世界に二冊とない秘蔵本だ。プラムが『鍋敷き』に使ったせいで、表紙には丸い跡が残っているのだが。
ヴィンジョメッシ・ボッチ写本。
偉大な歴史家・魔術師である彼が記述したこの本は、異世界――ティティヲ・モンデモットの歴史や魔術の発展について記されているのだが、これがなかなか面白い。
夜が更けるのも構わずに、俺は読みふけっていた。
静かな夜だ。
聞こえるのは、ランプが奏でる幽かな音と、虫の音だけ。
ページをめくる。
瞬時に、視線に沿うように文字列が浮かび上がっては、消えてゆく。
俺はこの世界の文字は読めない。
これでもは幾分読めるようにはなったのだが、流石にこういう古代文字ともなればお手上げだ。
俺が本や手紙を読むときは、検索魔術を応用した翻訳魔法――ヤクトゥスを使っている。
これは視線を合わせた文面が、ほぼリアルタイムで「日本語」に変換されてポップアップ表示されるという便利な魔法だ。検索魔法を基本技術として複雑に組み合わせた魔術式により、自律的に機能する様になっている。
便宜上、俺はこれを『自律駆動魔術式』と呼んでいる。
まぁ一種の自動翻訳アプリを魔術で再現したようなものだ。
――と。
「ググレさまー……」
消え入るような声と共に、書斎のドアが開いた。
「……プラム? いったいどうしたんだ?」
「眠れないのですー……」
泣きべそをかいた子供みたいな顔をして、人造生命のプラムが枕を抱きしめて立ち尽くしていた。
いつもは隣の部屋で一人で大いびきで寝ているのだが……?
「いっしょに……寝て欲しいのですー……」
「はぁ!?」
ホムンクルスとはいえ見た目は10歳ぐらいの小さな女の子だ。ちょっといろいろとチェリーな俺は、賢者とはいえ普通の健全な男子なわけで、その、いろいろと……マズイというか。
これは想定外の事態だ。どうしよう……?
「ダメ……なのですー……?」
プラムが上目づかいで小首を傾げ泣きべそをかきながら言う。
緋色の瞳で長いまつげが濡れていて、人間ではないとわかっていても、そんな顔をされたら心の奥がぎゅっと切なくなる。
「――う。あ、あぁ……、いいよ」
俺は一つ咳払いをしてから、本を閉じて、おいで、と手招きをした。
ぱぁっ、と緋色の瞳を輝かせると、跳ねるような足取りで寝台にプラムが飛び込んできた。
俺の隣にもぞもぞと潜り込んで、ぎゅっと俺の腰に腕を回す。
「お、おいっ!?」
「えへへー、あったかなのですー」
首だけを毛布から出して、プラムが笑う。
「…………そ、そうか」
ほんのりと伝わるプラムの温もりは、確かに心地よかった。
ふにゃりとマシュマロみたいに柔らかくて、重なった身体の体温が徐々に伝わってくる。
「一体どうしたんだ? いつもは一人でも平気じゃないか……」
「暗いの……怖いのですー」
「え?」
プラムの瞳には、いつもの能天気さは無く、不安げな光が揺れていた。
「お部屋の隅が暗いのですー……」
――リオラが見たという『闇の復活』の夢。あの話が原因だろうか。
「そうか、リオラの話を聞いたから不安になったのか?」
「かもなのですー……」
ぎゅう、と腕に力がこもる。
「大丈夫。あれはただの怖い夢さ。……それに俺がどんな怖いオバケが来てもやっつけてやるさ」
俺はプラムの頭を優しくなでた。
いつも殴りつけてしまう頭だが、お日様とハーブの甘い香りの混じった髪は柔らかくて、指に心地いい。
「ふわ……、ぐぐれさま……一緒……なの……ですー……」
「おやすみ」
ウトウトし始めたプラムに、俺はそっと囁いた。
――今日で31日目……。
プラムがこの世に生を受けてから一カ月を遂に超えた。
設計寿命3日のはずの人造生命体が生きながらえた事例は、いくら探しても見つからない。
けれど日々人間らしく笑い、飛び跳ねて、時にはこうして涙を見せる少女に、俺は不安を募らせていた。
それはいつ来るかわからない『別れ』に対する不安だ。
俺はプラムの華奢な肩を抱きしめた。
「むにゃぁ……」
プラムは既に、寝息をたてはじめていた。
◇
外は完全な闇。
月のない夜に、俺はプラムを傍らに置きながら本を読み続けていた。
消えかけたランプの灯り。それでも俺のアクリプトは十分に機能してくれる。
次々と文字列が機械的に翻訳されてゆく。
――闇の復活……。そんな事が本当にあるのだろうか?
俺達は死闘の末、確かに魔王デンマーンを葬った。それはディカマランの6英雄全員で勝ち取った勝利だ。
「復活なんて……ありえないはずだ」
ランプの芯で揺れていた炎が、静かに消えて白い煙が音も無く立ち昇った。
それと入れ替わるように、不安という冷たい炎が、チロリと胸の奥底で燻り始めるのを俺は感じていた。
<最初の訪問者編、完>