魔王妖緑体、デスプラネティア
館の境界となっている石塀の前で、黒い怪物はぶにゅりと不気味な音を立てた。
俺はとっさにp魔力強化外装を応用した「緊縛魔法」をかけてその動きを封じ込める。
俺の手から放出される魔力糸が黒い怪物を縛りつけるが、あまり長くは持たないだろう。
その間に、なんとか迷惑な「団体様」にお帰り頂くしかない。
俺は月明かりで照らされた館の鉄門扉の向うに視線を向けた。
石塀には鉄で出来た鉄門扉――バラを模った装飾で飾られた貴族の館で使われるような優美なもの――が設えてある。昼間は開け放しているが夜は施錠魔法をかけて閉めてあるのだ。
鉄門扉の向こうからこちらを伺っているのは「特務騎士団」を名乗る一団、総勢三十名ほどのクリスタニア御一行さまだ。
長剣を装備した騎士が7名、短剣と盾を装備した一般兵が10名、そして魔法使いが12名。最後の一人は「賢者役」とでも言いたげな大げさなローブを身に纏った高位魔法使いだ。
冒険者のパーティという寄せ集めの集団ではなく鍛え抜かれた戦闘のプロ、最精鋭のコマンド部隊といった雰囲気だ。
そして、団長ヴィルシュタインの顔には見覚えがあった。
メタノシュタットのパーティに列席していた王国の誇る「神託の16騎士団」の一人だ。それぞれが師団を任される身分だが、その中でもひときわ目を引いたのは名門の出だという金髪で長身のこの男だった。
王都の人間になど興味の無い俺の印象に残っていた理由は簡単だ。俺達のリーダーであるエルゴノートを盗み見るその眼光が底知れぬ冷たさを帯びていたからだ。
――復活する魔王を自らの手で倒し、ディカマランの英雄に取って代わりたい。
それが先の魔王大戦ではクソの役にも立たなかった秘密結社、『ひとつの清らかな世界』――クリスタニアの悲願だからだ。
怨嗟にも似た鬱屈した感情が、エルゴノートを恨めしげに見る視線から溢れていた。
もう少し時間があれば、黒い魔力糸と植物の魔物である妖緑体の合成怪物を解析し、ヘムペローザを救い出す手段を考えるはずだったのが、とんだ邪魔が入った格好だ。
連中はこの化け物を見つけ、魔王の化身と判断すれば嬉々としてヘムペローザごと殺しにかかるだろうが、俺にとっての最優先はヘムペローザを救い出すことだ。
俺は苛立ちを悟られぬよう、平静を装う。
「ご心配をおかけしたようだが、お探しの魔王などおりません故」
俺はすっとぼけた声でそう言って肩をすくめて見せた。だが、俺の背後でブニュリ……と湿った音が響いた。俺の束縛を解き、結界の外へ出ようと足掻き続けているのだ。
これはまずい。今暴れられては……。
「とぼけないで頂きたいですな賢者ググレカス殿。魔王復活を策謀している嫌疑が、以前より貴殿にはかけられているのですぞ? そして……今夜、我々が検知した膨大な魔力波動の発生源はこの館なのですぞ!? これが何よりの証左! 言い逃れは出来ますまい!」
騎士団長を名乗る男は、まるで勝ち誇ったかのように眉を吊り上げて、肩を怒らせている。
全身を銀色の甲冑で覆う「騎士」は7名。団長を名乗ったヴィルシュタインは鉄面を上げているが、他の6人は面を被ったまま抜き身の剣を天高くもちあげ、団長の背後で後光のように掲げている。
魔法使いと思しき紫のローブを纏った人間が、水晶玉をヴィルシュタインに見せて指差している。どうやらあれが大規模魔力探知網で検知した魔力波動を見るためのアイテムらしい。
検索魔法を応用した「戦術情報表示」のような情報分析用の魔法が使えるのは俺だけだ。他の魔法使いは、占いの結果や遠視などの結果の「表示装置」として、原始的な水晶玉に頼るのが一般的だ。
――と。
戦術情報表示が「対象、質量増大」という警告を発し始めた。
俺は一瞬その意味を判らなかったが、振り返り、戦慄した。
ビキッ、と「緊縛魔法」が臨界を超え解けた。解き放たれた黒い粘液の塊のような化け物は、留まることなく更に肥大化し始める。
――お、大きくなってやがるッ!?
「けけっ……賢者殿!? そそ、その背後の黒いモノは――!?」
流石に連中も気がついたようだった。団長の声が甲高く裏返った。
黒い怪物は蠢きながら身体を肥大化させていた。俺の身の丈の倍はあろうかというほどに成長し、腕ほどもある黒い「触手」で周囲をなぎ払う様に振り回し始めた。
ヘムペローザの魔力値は更に減少し、無くなれば次は生命に危険が及ぶ。今は妄信者のバカ共を相手にしている暇は無いのだ。
「ヴィルシュタイン様、魔力波動の中心はどうやらあの黒い怪物です……!」
「あ、あれが……魔王……なのか!?」
「ば、化け物だ!」
「ひ……ひいいい!」
月明かりに照らされてヌラヌラと蠢く触手が、いよいよ激しく動き始めた。訓練された最精鋭であるはずの特務騎士団の間に早くも動揺が走った。
――こうなったら一か八か、これしかない。
俺は一計を案じ、取り繕うのをやめる。
ブォンと「幸いにも」襲い掛かる黒い触手を俺は受け止めたまま、必死の形相で叫んだ。
「うぉのれぇえええ! 現れたな、魔王の残党めぇええええ!」
「な――、なんと申された賢者殿!?」
騎士団長ヴィルシュタインが鉄門扉を掴み、問いただす。
「実は……以前から、幾度もこの屋敷は狙われていたのだ……! クッ……!」
顔を苦痛でゆがめる。半分は演技だ。
「ざ、残党!?」
騎士達がハッとしたように鉄面越しに互いの顔を見合わせていた。
「これは……仕組まれた罠だったのだ! 港町を別の残党で襲わせ、勇者達が旅立ち手薄になったこの館を……俺一人になった瞬間を……こいつは待っていたのだ」
「つ、つまり魔力波動は賢者殿の仕業では……」
「この魔物は地下に潜んでいたのだ! 実は先ほども……不穏な気配を察し……俺は庭で妖精たちの声に耳を傾けていたところだったのだ……!」
俺は悔しそうに眉を曲げながら、くっ、と眼鏡を隠すように手で覆った。
……我ながら名演技だ。
だが、ヘムペローザを飲み込んだ魔物は更に巨大化し、屋敷の屋根ほどの高さにまで成長しつつあった。
「そうであったのか……!」
「助太刀いたす、賢者殿!」
「クッ、勇猛果敢なる騎士諸君! 感謝する……! この化け物は……このままでは村を襲う。ここで食い止めねばッ……!」
ぐっ、と騎士団長は頷くと、強い意志を漲らせた声で叫んだ。
「――総員! 隊列を組みなおせ! 迎撃陣形2型を展開、騎士団は俺に続け、賢者殿を援護する! 戦士は魔法兵士を護衛せよ、魔法兵士は三班に別れ後方支援、火炎魔法を励起し待機!」
矢継ぎ早に指示を出すヴィルシュタンが、屋敷から少し距離をとった場所に陣を引く。
クリスタニアを信奉する以前の「自分たちは国を守る騎士や戦士である」という本筋に沿って行動する限り、彼らは力強い味方となりえる。
――ヘムペローザを救い出すには……騎士達の力を借りて動きを止め、俺が中から直接引きずり出すしかない……!
次の瞬間、俺の館の結界が限界を超え、音をたてて砕け散った。
転生に失敗した魔王の成れの果ては、実験室に「サンプル」として保管していた植物系の魔物、妖緑体・食腕草の根から遺伝子を取り込み融合し、今や巨大な植物怪獣のような姿へと成長しつつあった。
『……キル……キルキル……キル!』
甲高い音が鼓膜を劈いた。館のガラス窓がビリビリと震え、身体が吹き飛ばされるかと思うほど空気が鳴動した。それは怪物が発した初めての「声」だった。
「これはもう魔王デンマーンじゃない。……魔王妖緑体……デスプラネティア……だ!」
「か、怪獣なのですー!」
「プラムだめ! 危ないよ!」
二階の窓からプラムとリオラが顔をのぞかせていた。俺はダッシュして間合いを取ると、プラムやリオラが居る館を背にするように立ちふさがった。
もしも触手がこちらに向かう事があれば、俺が全力で阻止するしかない。
「プラム、リオラ、絶対にそこから出るんじゃない! 今……騎士達と一緒にあいつを止めて、ヘムペロを救い出すから!」
「賢者さま」
「ググレさまー……怖くないですかー?」
二人が泣きそうな顔で俺を見下ろしている。
楽しかった夕飯を俺は不意に思い出した。
そこではリオラもプラムも、そしてヘムペローザも笑っていた。暖かくて、ゆっくりと流れていた穏やかな時間は、遠い夢だったかとさえ思えた。
――取り返すんだ。あの、楽しかった時間を、ヘムペローザを!
ぐっと怪物を見据え、俺は拳を握る。
「……怖いさ。こんなのは久しぶりだ。だけど不思議だ……。お前達が後ろに居ると思うと……負けられないって気持ちになるよ」
俺は窓を振り返り、いつもの調子でニッと笑みを浮かべてみせた。
「ググレさま、応援してるのですー!」
「わたしも……それしか、できないけれど……!」
と、その声を打ち消すほどに大きな号令が響いた。
「来るぞ! 総員――戦闘……」
怪獣サイズとなった魔王妖緑体デスプラネティアは、一瞬で石塀を押しつぶし、特務騎士団の方へと進み始めた。
<つづく>