猫耳剣士、ルゥローニィの忠義
闇に溶け込み歩いてきた人影は、『森の主』こと、ウォルハンド・ライアースだった。
ルゥローニィが行く手を遮り、10メルテの距離を置いて対峙する。
「森へ帰るつもりでござるか?」
問い詰めるような口調ではないが、感情を押し殺しているのが分かる。
「……そうだ、ルゥローニィ殿」
ウォルハンド・ライアースが応えた。2メルテ近い大男。彫りの深い男前だが、鉄色の瞳には覇気がないように思えた。
「どうしてでござる? ファリア殿に想いを伝えに来たのではなかったのでござるか?」
「俺にはその資格がない」
「そんなこと、誰が決めたでござる」
「事件を引き起こしてしまったのは……俺だ。軽率だった……。なんとかなると思っていた。だが……結局は、ルーデンスを危機に陥れ、ファリア姫さえも危ない目に遭わせてしまった」
狼のような顔つきの青年が苦しい胸の内を吐露する。
「詳しくお話し願えないでござるか? 事情を話せば、ググレカス殿から、ルーデンスの王様や……あちこちに進言してもらえるでござるよ」
だが『森の主』は静かに視線を逸した。
「……諦めた」
「一体……一体なんでござるか! ファリア殿に、告白すると誓って来たのではなかったでござるか!?」
「もう、いいんだ」
「……!」
ルゥローニィが奥歯を噛み締めて、唇を強く結ぶ。
「ルゥローニィ殿、これには事情があるのでベァ」
「そ、そうなんだにゃ!」
ランプを掲げていた付き人は大柄な熊の半獣人ベアフドゥ。その傍らにはネコ耳の半獣人娘のニャコルゥの姿もある。
「……二人も挨拶もなしに帰ってしまうでござるか? 街での騒動の後、急に居なくなったので、マニュ殿もググレ殿も、心配していたでござるよ」
「……合わせる顔がないのでクマァ」
「良くしてくれたお屋敷の皆さんも、危ない目にあわせてしまったんだにゃ」
「そんなこと、沢山の冒険をしてきた拙者たちにしてみればいつものことでござる。誰も気にしていないでござる」
「ルゥローニィ殿……」
「ルゥ猫は、奥さんとお幸せににゃ」
「森の民の気概は、どこにいったでござる……」
館に帰ったググレカスは、やや回復した魔法力を使い『索敵結界』を展開した。しばしの探索の後、400メルテ離れた街の東側を移動する三人らしき反応を見つけたのだ。
賢者ググレカスの『索敵結界』は結界の一種だ。
人間や魔物は、特定波長の魔力波動を照射すると、微弱ながら固有の魔力波動を反射する。その魔法原理を応用し、魔力糸により最大で半径1キロメルテ程度で、対象物を探し出せる魔法だ。
とはいえ実際は建物や岩、障害物があれば魔力波動は減衰し、有効範囲はぐっと狭くなる。
そんな中で見つけ出せたのは建物が途切れる郊外へと3人が移動し、見晴らしのいい駐馬場を横切るように進んでいったからだ。
ルゥローニィはググレカスに彼らが森に向かっていることを告げられ、ここまで出向いてきた。
真相を確かめるために。
「すまないベァ……」
「こんな事になるなんて……思わたなかったんだにゃ」
二人はしょんぼりとした様子で顔を見合わせた。顔には憔悴と落胆の色が浮かんでいる。
「言い訳なんて出来ないベァ。『森の主』にあの肉を持たせたのは……ワシなんだベァ」
「ミィも……協力したんだにゃ」
だが、二人の言葉を遮るようにウォルハンド・ライアースが進み出た。
「いや、違う。ルゥローニィ殿、この二人は本当に、最初から俺を信じ、何も知らないんだ。全ては……俺の責任だ」
「どういうことでござるか? 『森の主』殿」
「大魔導師……ラファートを俺は知っていた。遭っていたからな」
「そうでござったか……」
「1年前に着任した宰相ザファート・プルティヌスだ。彼は、新しい経済の仕組みを取り入れて、伝統的な俺達の狩りと取引の枠組みを変えようとした。俺達はそれに反感を持ち……やがて野生肉の取引で対立することになった」
「それはググレカスから聴いていたでござる。だが、それでも魔女に何故……」
これはサンドイッチ屋の「肉の仕入れ値が高騰した」話に通じる部分だ。ルゥローニィを目の前にした『森の主』は腹をくくったのか、話を続ける。
「ある日、女が訪ねてきた。大魔導師ラファートと名乗る女で……大勢の信徒を連れていた。ラファートは言った。自分も宰相ザファートと因縁がある。ちょっとした呪詛の『まじない』を仕掛けてやればヤツは簡単に追い落とせる。活きのいい竜を探している……と。協力すれば宰相ザファートを追い落とし……」
ルゥローニィが聞きたくない言葉が紡がれる。
「謝礼として、俺の想い人……ファリア姫への想いも通じるよう、簡単な『まじない』をかけてやると。願いも叶えてやれる、と」
「それで……ラファートの口車に乗ったでござるか!」
「あぁ、そうだ。今にして思えば愚かな選択だったと……」
「バカでござろうに」
ルゥローニィはそれ以上何も言わなかった。
バカバカしくて、あまりにも愚かな男だと悟ったからだ。こんな真実をファリアが知ったらさぞ落胆するだろう。
少なくともググレカスは「ファリアを恋い焦がれ、想っている人が居る」と伝えてしまったのだから。
「拙者、恩義と忠義をファリア殿に感じているでござる」
かつて、奴隷として売られそうになっていた自分を助けてくれた恩人。
果てしなく強く、優しく。凛々しい女戦士に、追いつこうと、少しでも助けになりたいと磨いた剣の腕。
全て、ファリアの為だった。
その大切な人を愚弄した男を、許せるほど自分は寛容ではない。
失望と怒りがこみ上げる。
確かに今回、ルーデンスに直接的な被害をもたらしたのは魔女ラファート・ア・オーディナルであり、大魔導師ラファート・プルティヌスだ。
だが、それを利用し混乱の引き金を引いた男は目の前の『森の主』その人だ。
「……償うべきでござろう」
ルゥローニィは刀を静かに抜いた。
「ベァ……!?」
「ルゥ猫……だめにゃ!」
「許さないでござる」
もはや耳を貸さなかった。剣気を纏う銀色の刀を構えると、一息に『森の主』の懐に滑り込み、刀を振り上げた。
鋭い切っ先が夜気を切り裂く。
体格差のある相手に対し、低い位置から首を狙う一振りだった。
銀狼族の青年の首筋から赤い血が一筋流れる。
刀は喉元に触れただけで止まっていた。
だが、ルゥローニィの紫紺の瞳には、まだ炎が揺れている。
「……すまない……ファリア姫」
ウォルハンド・ライアースはそう言うと、死を覚悟したかのように目をつぶった。
「…………そう思うなら自首するでござる」
刀の切っ先が喉元で静止する。それは数秒に満たなかったが、永遠とさえ思えた。
やがて静かに刀を引くと、ルゥローニィは、すぅと息を吐いた。
「後悔し続ければいい。姫を悲しませた報いでござる」
踵を返すと、歩き出した。
森から冷たい風が吹き抜けた。後ろで何か声がしたが、ルゥローニィはもう振り返らなかった。
◆
<つづく>




