エルフは長い友
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18時間ほど前――王都メタノシュタット王城。
かつて『聖剣戦艦』が格納されていた尖塔の地下、秘密施設の一角に二つの人影があった。
「……興味ないね。今は遺物の探求で忙しいんだよ、あたしゃ」
魔法のランプの明かりに半透明の水晶をかざし、しげしげと眺めていたダークエルフが、さも面倒臭いと言わんばかりに応えた。
魔女アルベリーナ。浅黒い肌の横顔が、淡いランプの明かりに照らされている。
特徴的なエルフ耳に黒曜石のような瞳。無造作に束ねた長い黒髪が艶やかな光を帯びる。
服装は至ってラフだ。グリーンのタンクトップに、ブカブカの作業ズボン。地下の施設で太古の遺物の研究に没頭していたようだ。
手に持って眺めているのは、『世界樹』の空洞内部から発掘された超古代の遺物だ。それは『聖剣戦艦』――蒼穹の白銀――の内部に搭載されていた超魔法文明の遺産で、その後『世界樹』の空洞内部で発掘されたという。
賢者ググレカスの報告書によると、記憶石に似た、魔法の高密度記憶素子の一種らしい。
「稀代の魔女アルベリーナ。私は命令しに来たのでもなければ、頼みに来た訳でもない。友人として伝えに来た」
「友人ねぇ」
細く整えた眉を持ち上げるアルベリーナ。瞳に映るのは白きハイ・エルフ。その物言いは冷たく、淡々とした口調で話す。
それはメタノシュタットの最上位魔法使いレイストリアだ。
身につけているのは、柔らかな布地の青いドレス。その上に最上位魔法使いを示す純白のマントを羽織っている。
プラチナ色の髪は毛先まで手入れが行き届き上質な絹糸のよう。薄暗い地下で浮き立つ白い肌。整った鼻梁に切れ長の目、瞳の色はサファイアブルー。
視線は鋭いが、伏せ目になると長いまつげが憂いと気品を感じさせる。
それは宮廷画家が描く神話時代の「女神」のような美しさ。希少種のハイ・エルフということもあり、浮世離れした存在にさえ思える。
対するアルベリーナも負けず劣らず美しいが、その種類がまるで違う。
例えるなら砂漠に咲く強靭なサボテンの花、あるいは荒々しい野生の狼のような凛とした美だ。
「運命とは不思議なもの。純血種の寿命は長い。時に互いの人生が、このように交錯することもある」
僅かに表情を柔らかくするレイストリア。
「確かにさ、あたしとアンタは知らぬ仲じゃないけれどね。百年ぐらい前は敵だっけ? その後は少しの間……仲間だったね。今はじゃぁ、なんだろうねぇ?」
既に三百年近い時を生きてきたアルベリーナと、推定二百歳のレイストリア。
人間から見れば途方もない長寿であるがゆえに、時代の移ろいと共に人間が作り上げた社会の中で、立場を変え出逢うこともある。
様々な種族や民族の意思が交錯する広大な「世界」という枠組みの中で、アルベリーナは、このメタノシュタットの地に惹き寄せられた。
「……古き友。それでよいでしょう。貴女……アルベリーナは何者にも縛られず、世界を見て回ると言った。それは私にとっては実に愚かで無駄な事に思えたが。……時に羨ましくもあった」
「アンタは縛られすぎだよ、石頭のレイストリア」
「私は天命に従った。この国の王家を護り続けると誓ったのだ」
「ふうん。で……今度のお姫さまは、どうなんだい?」
「……スヌーヴェル姫殿下は、凛として気高くお美しい。賢くそしてお優しいお方だが、時に歳相応の危うさもある」
それに辛い秘密も抱えておられる。と言いかけてレイストリアは口をつぐむ。
「人間は大抵そんなものだろうさね。で、何の用だって?」
「姫殿下が『未来予見』で、北方ルーデンスに出現する黒点の魔女を視た。魔力が乱れ、多くの死を予見された。古き時代から蘇る這い寄る闇、神代の魔女だと私は思う」
その言葉に、アルベリーナはため息をつきながら椅子の背もたれに身を預けた。
スヌーヴェル姫や王家は占い師集団を抱えている。それは『星を詠む者たち』という宮廷魔法使いの組織だ。国の未来の吉凶を占い、政策に反映させることもある。
だが、姫が単独で行うのは特殊な魔法。『未来予見』という夢のようなお告げ。本来備わった天性の魔法の力によるものだという。
それは不安定で滅多には発現しないお告げだが、時として恐ろしいほどの的中率を誇っている。
「蘇る魔女? あたしにゃ関係ないね。それに確か……ググレカスが向かっているんじゃぁないか? 任せておけばいいだろう。懐刀なんだって? あのメガネは」
鼻で笑いながら水晶を丁寧にウェスで磨く。
「ググレカスの死を感じ取ったとも」
「……そうかい。その程度の男だった、ということだね」
「それについて異論はない。だが出自不明の男を、お優しい姫は重用なされたのだ」
「初陣で死なれては顔に泥を塗ることになるってかい? ……知らないね。ご自慢の軍隊でも、アタシが知恵を貸した鉄杭でも撃ち込んでおやりよ。それに、あの男を助けてやる義理なんてないんだよ」
忌々しいクソメガネ。死ねばいいと言いかけて、ふと。
一緒に食べた、あの妙に旨かったサンドイッチを思い出す。
隣には可愛い弟子のレン坊がいて、何故か憎きググレカスと並んで食べた。久しぶりに乙女のように笑った気がする。
「貴女の数少ない友ではなくて?」
「ばっ!? そんなわけあるかいね。砂漠じゃ殺し合った仲だよ。今は……ヤツのお陰で手に入れた遺物を触らせてもらっているから、大人しくしてるけどね」
腕組みをしてふい、と横を向く。
ググレカスが死ぬのは別に構わない。
だが……そうなると……。
あのメガネを慕い一緒にいるレントミア。エルフの村で才能を見抜き、特別に気にかけていた弟子は大丈夫だろうか。
簡単に死なないような魔法を教えたつもりだが、ググレカスという実に都合のいい保護者、「盾」がいなくなるという不安もある。
それだけではない。あのメガネの弟子「にょほほ」と可愛らしく笑うダークエルフクォーターの少女、ヘムペローザのことも心配だ。
――あのバカが死んだら、あの子らはどうなるんだい……!
チイッ! と思わず舌打ちをする。
「ったく、使えない男だねぇ……!」
気がつくとギリリと歯を噛み締めて、指先を苛立たしく動かしていた。
アルベリーナの葛藤を見透かしたように、ハイ・エルフの魔女がすまし顔で言う。
「そんな貴女に、姫の予言をもうひとつお教えしましょう」
「なんだい!?」
「……北の地に生まれる黒点は太古より蘇りし魔法の使い手。魔法文明の到達点である、輪廻の秘術。あるいはそれに通じる知恵を有すると考えていいでしょう。肉体を再生し、美しさを保つ秘術も……」
レイストリアは淀み無く言う。姫が予言した言葉だが、後半は「盛った」感がある。
だが、アルベリーナは眼光を鋭くする。
「へぇ……? 輪廻に、美の秘術ねぇ……」
「太古の遺物に興味がお有りの貴女は、言わば魔導の探求者。当然、究極的には転生や輪廻、永遠の命、そして美しさに……興味がお有りかと」
「砂漠の国の宝物は、ロクなもんがなかったからね……ふぅん。そうかい」
アルベリーナは暫く考えると立ち上がった。
「どちらへ?」
「ちょっと、魔法の調査に行きたいんだよ。別に純粋な探求心だからね。面白いものが見れるかもしれないしさ」
「……足の速い翼竜を準備してあります」
レイストリアが踵を返すと、美しい髪がふわりと揺れた。
「あんたは気が利くねぇ。レイ」
「ご武運を、アル」
◆
ルーデンスの広場近くの建物の屋根に、翼竜が舞い降りた。
アルベリーナは翼竜の背中に留まったまま、俺に鋭い視線を向けてきた。
「なんだい……ググレカス、魔法力が無いじゃないか? 自慢の結界どうしたんだい? そんなんじゃ、あたしの一撃で死ぬよ?」
「賢者ググレカス!? 助っ人ではなくて!?」
「ありゃ、刺客かよ……」
俺の絶望的な表情を見て、ダークエルフの魔女が可笑しそうに笑う。
「やめてよアルベリーナ先生!」
ばっ、とレントミアが俺の前に立ち、両手を広げた。
「お退きレン坊。そのクソメガネが殺せない」
アルベリーナが眉根を寄せる。
「駄目。うちの主人に酷いことしないでください!」
「いないとみんな悲しむんだよ!」
「マニュ! レントミア……!」
「ちいっ!? なんだかアタイが悪者みたいじゃな……」
その時。
『――ぅごぉおおおのれぇれぇあァァアア!? ブッ殺ッシュァアアアア!』
ドグォオオッ! と広場の端の方で黒い霧が渦を巻き、爆発した。
そしてボコボコと全身に人面祖を蠢かせた魔女――ラファート・ア・オーディナルが立ち上がった。
「こりゃまた醜い化けもんだねぇ!? 何が美の秘密だよ。騙したね、あの白ぎつね……!」
<つづく>




