来館、メタノシュタット聖堂教会特務騎士団
賢者の館は二重の結界によって外部の侵入から守られている。
内側の結界は、館そのものに施された「施錠魔法」によって、俺が認めた人間以外の侵入を阻むような仕組みが働いている。
館にいるメンバーや、掃除を担当してくれる村のオバちゃん連合などは、「許可開錠」という一種の祝福を俺が密かに行う事により、出入りの自由を保障している。
そしてもう一つは、館の敷地の外側をぐるりと囲む「石塀」に施されている。これは文字通り外側と内側を隔てる境界として機能する「結界」で、人間や魔物、そしてそれ以外の侵入者を拒んだり、閉じ込めたりする性質のものだ。
もしもこの「結界」を可視化したとすれば、半透明のドームのようなもので館の敷地全体が覆われている、と考えるとわかりやすいだろう。
バチイッ! という衝撃音と共に、黒い不定形の怪物の触手が弾け飛んだ。
閃光と共に黒い魔力糸の束が消失し、顔の無い怪物に動揺の色が浮かんだように見えた。
「敷地の外へは出られんぞ。もちろん……館にも入れん」
俺は、石塀の手前でブニュブニュと蠢きながら動きを止めた化け物に追いついた。敷地と外界を隔てる境界で、黒い怪物は行き場をなくし戸惑っているようだ。
敷地の境界をぐるりと囲むように張られた結界は、外からの侵入を阻むという効果のほかに「外に出さない」という力を発揮する事もできるのだ。
もちろん館には俺の「許可」無くしては入る事は出来ないわけで、この怪物はもはや敷地の中をうろつくのが関の山だ。
お気に入りの庭を荒らされるのは忍びないが、幸い今は冬も間近で可憐な花も咲いていない。
気がつくと満月から数日過ぎた月が、青白く周囲を照らしていた。
ほのかな明るさだが、しっかりと見えてはいる。照明の魔法を使ってもいいが、目が慣れた今は、むしろ月明かりだけで充分だ。
「さぁヘムペローザを離せ! と……いって聞くようなヤツでもないか」
ヘムペローザが人質に取られている以上、あまり手荒なマネも出来ない。
そもそも手荒くする手段に乏しい俺は、実のところ攻めあぐねていた。
まずは敷地の中に閉じ込めて、足止めをする事には成功したようだが、黒いねじくれたロープの塊のような化け物を弱らせ霧散させる手段を考えねばならない。
ヘムペローザは意識を失っているようだが、その魔力数値は着実に減少している。150を切るほどまで減った魔力数値が示す意味は、おそらくプラムがその生命を竜人の血による「命の核」に頼っているように、黒い怪物もまたヘムペローザの魔力を「核」として利用しているからだろう。
問題はヘムペローザの魔力を吸い尽くした時、次は命そのものを吸い始めるであろうということだ。
今はこうして睨みあっているが、あまり悠長なことは言っていられない。
だが、ようやく冷静さを取り戻した俺は既に、数十の術式を同時に起動し、忌まわしい化け物の分析と情報収集を行っていた。
眼前に展開した数多くの戦術情報表示の表示窓では猛烈な勢いで数値や文字列が流れてゆく。
身体を構成しているのは有機物、それも植物の魔物の遺伝子を多く含んでいるようだ。これでは元の身体に転生などできないだろう。
不定形な化け物の体表を覆い形を保たせているのは、驚くべき事に俺の纏った結界の性質に近いものだ。
「賢者の結界」と一目置かれる俺の無敵結界は、十六種類の対魔法結界を超高速でランダムに消失と生成を繰り返し、解析の暇を与えずに暗号化する自律駆動術式により実現している。
この化け物も数種類の闇の魔法結界を、ランダムに出現と消失を繰り返し行う事で魔法攻撃に対する耐久性を高め、不安定な自分自身の存在を保っていると思われた。
そして極端に低い体温。このせいで俺の打ち込んだ逆浸透型自律駆動術式が十分に機能していないのだ。
そして――。
「どうやら、厄介なお客様が来たようだ」
俺が検知していた三十名ほどの集団はいよいよ俺の館を囲む石塀の向うへと到着したようだ。重々しい蹄の音をたてる軍馬7頭、そして後に続く四頭立ての馬車が3台。その中には兵士と魔法使いの集団が乗っているらしかった。
俺の視線は、馬車から颯爽と飛び降りるリーダーとおぼしき騎士を捉えていた。
全身を覆う銀色の甲冑に腰にぶら下げた長剣。メタノシュタット王都を守る近衛騎士団である事を示す金の刺繍入りの赤いマントを翻し、石塀に設けられた木の扉に手をかける。
途端にチリッと火花が散り、手を引っ込める。結界が侵入を拒んだのだ。
「――賢者殿! ここを開けていただきたい!」
張りのある声は、若い男のものだった。
次々と仲間の騎士達が馬を降り、隊列を作る。よく訓練された騎士であることがわかる身のこなしで並び立ったのは7名。
「やぁ、こんばんは。いい……夜ですね」
俺は目の前の黒い化け物から目を離さないまま、声だけで応じた。暗い庭からの突然の返事に、騎士達は驚いたようだった。
「賢者殿……!? この暗闇の中、何をしておいでか?」
訝しむような声色で、こちらを伺っている。
「あぁ、寝付けなくて散歩をね。月明かりに照らされた庭で、妖精を眺めているた最中だが? ……君たちこそこの夜更けに穏やかでは無いな?」
俺の飄々とした応えに、むぅ、と互いの顔を見合わせている様子が伝わってくる。
距離は15メルテほど離れている。
騎士たちから見れば俺が陰になって、黒い不定形の化け物の事は見えていないはずだ。
「突然の訪問の無礼、許していただきたい。私はメタノシュタット聖堂教会、特務騎士団長ヴィルシュタイン。我らは……魔王討伐の命を受けて参ったのだ」
「ほう……? 魔王、ですと?」
冷や汗が頬を伝う。こいつらは……まさか。
「とぼけないで頂きたい。一刻ほど前、我らが誇る大規模魔力探知網に、魔王と同じ波動が検知された。これは……以前のような単発的な検知ではない! 現に今も強烈な波動が検出され続けている。しかも発生源は……この館ですぞ」
静かに剣の柄に手をかけた気配が伝わってきた。
そして忍者のように静かに馬車から下りた魔法使いの集団が、俺の館を取り囲むように散開してゆく。
「やれやれ、魔王など俺は見ていないが?」
「我らは、美しく汚れの無い『ひとつの清らかな世界』を実現する為に、悪しき存在を滅するという崇高で誇り高い使命を帯びているのだ! ――賢者ググレカス殿、貴方とて邪魔をするのなら……容赦はいたしませぬぞ!」
抜き払われた鈍色の剣先が、ギラリと月光を跳ね返した。
――やれやれだ。
化け物とクリスタニア。板ばさみで身動きが取れないのは、俺のほうというわけか……。
<つづく>