神代の魔女ラファート・ア・オーディナル
怪物じみた絶叫は、やがて人の声へと変化していった。
『――ウグォオオォぉお……! ついにッ……ついに成功したぞぁあああッ! 間違いない……! 今、私は……ラファート・ア・オーディナルと一体化しているッ! この、溢れるパワーに圧倒的な魔力ッ! そして……美しく、気高く、輝ける肉体ッ……! あぁ……素晴らしい……すぅばぁらぁしぃいいッ!』
筋肉がむき出しの醜い肉塊だけの怪物には、今や首が生えていた。
正視に耐えない醜い干からびた女の顔は、目玉をギョロリとひん剥いてカタカタと歯を鳴らし、狂気に満ちた喜悦を浮かべている。
「うわ……イカレてるなぁ」
レントミアが眉根を寄せて嫌悪を露わにする。
ルーデンス王国軍の兵士とワイン樽ゴーレムが時間を稼いでくれたお陰で、ようやく『円環魔法』の励起は完了。
キュィイイ……と高周波音を響かせながら、杖の先端では『火槍魔法』を超圧縮、加速させる段階へと入っている。
あとはタイミングを見計らって撃ち放つだけだ。
問題は、怪物の周囲で渦を巻く強烈な魔力の渦だ。赤黒い色をした瘴気とも呼ばれるそれは、強力な魔力防壁として機能している。
『――街中に散らした呪詛から産み出されし、魔力に満ちた新たなる器……! 神聖な受肉を経て、ついにッ! 私は死を超越し今ここに復活した! 私……大魔導師ラファート・プルティヌスは……! 間違いなく……記憶も人格も存在する! この瞬間、伝説を越えた存在になった……! 更にィイイッ! 偉大なる神代の魔女、ラファート・ア・オーディナルとの融合を果たしたぁあっ! 今……全ての知恵と魔力を、受け継いだのだぁああっ!』
興奮の絶叫はいつしか、はっきりと聞き取れる人語に、それも歓喜を叫ぶ女性の声へと変わっていた。
「はーん? 首だけ大魔導師ラファート・プルティヌスが、何か知らないけれど転生の魔術で、新しい魔力強化外装の器を手に入れた。ってところか……な?」
レントミアが魔女の言葉の断片から類推し、つぶやく。
その声が耳に届いたかは分からないが、動く生肉のような器と結合したミイラのような顔が、ニィッ……と嗤った。
『――そう! あぁ! そしてぇえええッ!』
醜悪な怪物は天を仰ぎながら両腕を高く掲げる。
すると周囲で魔法障壁のように渦巻いていた赤黒い瘴気の流れに変化が生じた。瘴気が帯状になり、足首にまとわりつきはじめた。そのまま膝や太ももに腰……と、順に包帯を巻くように張り付いて、人間の皮膚を形成してゆく。
これには、唖然呆然と推移を見守っていた衛兵たち、距離を保ち隊列を整えた王国軍兵士たちも驚愕する。
「な、なにぃ!?」
「人の形を……成してゆくぞ!」
腰から胸、腕、指先へと。瘴気がまるで織物のように化物の身体を覆い、くびれた腰に膨らんだ胸までもが、肌色も鮮やかな人間の女性の身体を構成してゆく。
『――あぁ、すごい……すごいィイ!』
最後に首、顔を瘴気の帯が覆い尽くすと、赤い髪も艷やかに再生し終える。すると、そこには絶世の美女――と形容したくなるほどの顔が現れた。
白く透けるような肌、彫りの深い目鼻立ちのはっきりとした顔立ち。波打ち、腰や胸を覆い隠す艶やかで豊かな髪。
「魔法の美容整形!? じゃなくて、魔力強化外装を重ね着したんだ……!」
それが単なる魔法の美容整形ではないことを、レントミアは魔術的に理解する。言うなれば「魔法の鎧」を更に重ね着したようなものだ。
「――そう……これが、これそこが私だ」
狂気に満ちた歓喜の叫びは、古の吟遊詩人が奏でる歌のような、落ち着いた声色に変わっていた。
レントミアは魔法の射撃態勢を維持しつつ、慎重に屋根の上から声をかけた。
「やぁ」
「――おや、エルフの……魔法使い、か?」
広場の中央で、全裸の美女がゆっくりと振り返る。同時に余った瘴気を集め、紅い血を想起するかのような古典的なロングドレスのような衣服を形成する。
瞳の色は黄金色。中心部深く、妖しい赤い光が揺れている。
女は、まるで夢から覚めたような面持ちで周囲を見回すと、自らの指先を眺め、そして再びレントミアに顔を向けた。
明らかに一瞬前とは雰囲気が変わっている。ゾッとするような美しい顔に、静謐さと凄みが同居している。
「僕はメタノシュタット王国の魔法使い、レントミア。君は誰? 目的は何?」
返答次第では即、開戦も辞さない。
とはいえ、まずは話しをしないことには始まらない。ググレカスが既に近くまで近づいている。情報を少しでも多く引き出さねばならない。
――ググレ、なんだかヤバイのが出たよ。
「――我が復活の触媒となったラファート・プルティヌス、その記憶を私は内包する。だが今、名乗るべき名は……古の、輝ける魔法王国の時代を生きた魔女、ラファート・ア・オーディナル」
「あれ? この街で暴れていたのは……確か、大魔導師ラファート・プルティヌスじゃなかったっけ?」
「――それは私の末裔にすぎぬ。魔女だけが受け継ぐ『ラファート』の名を冠した、末裔の名。彼女は……目的のため自らの肉体を『竜のエサ』として捧げ、殉教した」
「そうなの!? つまり、ラファート・プルティヌスはもう死んでる。けれど転生した。でも君――えぇと、ラファート・ア・オーディナルの人格が上書きされた、ってことでいい?」
「――聡明なるエルフの幼子よ。それでよい。今は転生し、こうして……ラファート・ア・オーディナルと共にある。我が一族の悲願、研究を重ねてきた究極の魔法。魂と記憶を輪廻させる、永久の生命を約束する、転生の秘術によって」
自信と確信に満ちた表情で、魔女は白い指先を握りしめる。
「そういうこと言ってる魔法使いを何人か見てきたけど大抵、頭が変だったよ」
レントミアが皮肉を込めて言う。
転生を繰り返し、最後は巨大なクラゲへと身をやつした白き聖人バッジョブ。
妄執に囚われ、首だけになってまで戦った魔法使いキュベレリア・ハマーン。
そして、一族で転生の術を重ね合わせ、時空を越えて転生を果たし出現したらしい魔女、ラファート・ア・オーディナル。
「――口の利き方を知ることは、長生きの秘訣でもある」
「あ、まって。まだ目的を聞いてないよ?」
指先を持ち上げてレントミアに向けようとした、その時。
シュゴァオオオオ……という音とともに、上空に空飛ぶ人影が現れた。
周囲に居た衛兵たちも兵士たちも一斉に空を見上げて指をさす。魔女ラファート・ア・オーディナルも気を取られ空を仰ぎ見た。
「あ、あれは!」
「賢者様だ!」
「おぉ……!」
「話は聞かせてもらった……! 実に興味深い話じゃぁないか?」
「ググレ!」
腕組みをして空中で静止――。
メガネを光らせて不敵な笑みを浮かべている。
賢者のマントの両肩に装着した2つのワイン樽から、勢い良く空気を噴出し続けて姿勢を維持している。
「――さっきから空をハエが飛んでいると思ったが……。ずいぶんと低劣な空を飛ぶ魔術だ。退化した……のか?」
魔女ラファート・ア・オーディナルが空を飛び回る『ワイン樽ゴーレム』たちを見上げつつ、僅かに口角を持ち上げる。
「まぁまぁ、そう言いなさるな。俺達魔法使いは明晰な頭脳に、高度な魔法の知識を有し、好奇心も兼ね備えているんじゃないのかな?」
「――ぬ……?」
そういうと、ググレカスは徐々に高度を下げ、レントミアとラファートの中間地点に降り立った。
◇
転生したと言い放つ魔法使いが出現した。
これだけの騒ぎを起こした中心人物だ。ならば即、問答無用で戦闘という手もある。
だが、魔力が心もとない今、援軍を待つのが最良だ。ルーデンスの最強主力部隊『竜撃戦士団』もあと僅かで首都、アークティルズに戻ってくるはずだ。
今必要なのは時間稼ぎという事になる。
そのためには知的かつクールでエレガント。話のわかる賢者という強みを活かして、対話をするのがベストの戦術だろう。
「お互い、よく知らないまま戦いに発展するのは賢明じゃないと思わないか? まずは対話し、平和的な解決方法を考えようじゃないか。話し合えば何か協力できることがあるかもしれない。まずは今から魔法のミーティングといこうじゃないか?」
敵意のない表情で飄々と言う。
「賢者ググレカス、お上手ですわ」
「ああいう手合は、自分のことを話したいんだよ。さっきも一人でベラベラしゃべってたしな」
「確かにそうですわね」
くすくすと小声で笑う妖精メティウスは、賢者のマントの襟首の内側に潜み、敵の魔力特性を分析する。
周囲を満たす赤黒い瘴気は、前哨戦で見覚えがある。ほぼ魔術的構成も変わらない。となれば……人面疽戦で使った例の術式が通じるかもしれない。
「――なかなか面白い魔法使いだ。確か……ググレカス」
魔女ラファート・ア・オーディナルが目を細め、記憶を手繰り寄せるようにして名を口にする。
「おや!? お初にお目にかかるはずだが、何故俺の名をご存知で? まぁ、俺はけっこう有名人ですがね」
「――ラファート・プルティヌスの記憶がある」
ゆるやかにウェーブする赤い髪を指で触れる。
俺は振り返り、レントミアと視線を交わす。レントミアが交わしていた会話は、魔法の通信で俺に「音声配信」されていた。
「……なるほど。しかし、当の大魔導師、ラファート・プルティヌスは何処へ? 殉教した……と聞こえた気がしますが」
「――此度の転生の術を完成させるに当たり、自らの肉体を触媒として竜に食わせた。噛み砕かれ、胃袋に収まりながらも自らに施し、染み込ませた呪詛により、竜の体を汚し……呪いの肉を生み出した」
「うぇえっ!? じゃ……呪詛汚染肉って……」
「最悪だな。そんな魔術があったとは」
大魔導師ラファート・プルティヌスは自分に強力な呪詛を施した上で、意識を保ったまま、肉の中に潜んでいた……と言うことになる。
「――太古の魔術の系譜に連なる転生の秘術のひとつよ。多くの人間に自らの肉体の破片を植え付け、呪詛を育て上げる。やがて成長した呪詛はその人間の持つ生命や魔力を奪い、再びひとつに集めることで、術者は更なる強力な力を得る」
実に興味深い話だ。計り知れない魔術の深淵に関係する話を聞くことが出来た。これでようやくルーデンスで起きていた呪詛汚染された肉事件の真相が判明したわけだ。
実にお話好きな魔女さんのようだ。お茶と、テーブルが欲しいくらいだ。
「それに加えて、降霊術……いや、ご先祖様を召喚したわけですか」
降霊術という言葉に、ラファート・ア・オーディナルはピク、と眉を動かした。
「――転生の秘術だ。わからぬか青二才。私はラファート・ア・オーディナルだ」
対話、対話。ここはぐっと我慢して、平和的にいこう。
俺はメガネをくいっと持ち上げて、あごの先を指先で支える。
「ちょっと疑問なのですが」
「――なんだ?」
「実はその逆で、ラファート・プルティヌスの人格に、ご先祖の魔女ラファート・ア・オーディナルの人格の『ようなもの』が憑依しているだけなんじゃないかな? 本当に転生? 証明出来るのが無いとちょっとね……」
「――貴様、愚弄する気か」
「賢者ググレカスの下手くそ! 挑発になっておりますわ!」
「え、そうか?」
確かに妖精メティウスの言う通り、魔女ラファート・ア・オーディナルは、ビキビキと青筋を浮かび上がらせていた。
<つづく>




