新しい眷属、洞窟種スライム
◇
サーニャ姫は持ち前の身軽さを活かし、洞窟種スライムの白い粘性流体の流れから逃れた。
「はっ、とっ!」
流されてゆく侍女を抱えて救い出し、廊下に飾ってあった石像の上へとよじ登らせる。
俺は手が離せないので、スライムの背に跨がり共に流れて行く。サーニャ姫とはここでお別れだ。
「サーニャ姫は国王陛下とファリアのところへ! 事の顛末を説明してください!」
「まかせてください! でも、賢者様は!?」
「こいつを支配下に置くまで少々時間が必要です。階下の者たちの避難を!」
「わかりました、ご武運を!」
サーニャ姫はそう言うと壁を蹴って、近くの階段の方へと飛び移った。一度こちらに手を振ると、そのまま駆け上がるようにして走り去った。
「うわぁ!?」
「な、なんだありゃ!?」
「どいてくれ! 巻き込まれると危ない!」
進行方向で驚く衛兵や、城の役人たちに逃げるように叫ぶ。
ドロドロと盛り上がる粘性の高い白いスライムは、勢いが衰える気配がない。
地下の『封魔の闇穴』を構成する岩盤による魔力吸収が飽和したのか、あるいは洞窟種白スライムの対魔力吸収特性が魔法使い達の残留思念により改善、注ぎ込んだ魔力全てがスライムの成長に転嫁しているのかもしれない。
だが、停めねば城全体をスライムで覆い尽くしかねない状況だ。
「一刻の猶予もない。すぐに制御術式を……うっ」
軽い疲労感に襲われ、スライムの背の上で思わず両腕をつく。
気がつくと魔力残量は3割を切っていた。眼前に浮かぶ魔法の小窓、『戦術情報表示』では、残量表示が赤く明滅しはじめている。
スライムへの魔力供給は既に停止しているが、この先に魔法戦闘でもあれば苦戦は必至な状態だ。
「賢者ググレカス、お手伝いいたしますわ!」
妖精メティウスが懐の文庫本から飛び出してきた。肩に飛び乗ると、小さな『戦術情報表示』を展開し、スライム制御用として再利用できる『自律駆動術式』の候補リストを瞬時に表示する。
「すまない、助かる」
「随分とご立派に育ちましたこと」
妖精メティウスが巨大なスライムを眺めながら、金髪を一つに結い上げた。
「ちょっと甘やかしすぎたようだ」
「きちんと躾けなければいけませんわね」
「あぁ、では始めよう」
「はい!」
始めたのは、ワイン樽ゴーレムや各種スライム便利道具で培った『自律駆動術式』を、「洞窟種スライム」向けに改変する作業だ。
魔法の小窓を次々に展開、魔法の術式を組み替えてゆく。
「洞窟種スライム用のキャリブレーション取りつつ、制御基点を設定!」
「賢者ググレカス、このスライムの表皮は堅牢です。内部への魔法術式の浸透率が極端に低いですわ!」
「ちいっ、ならば!」
――表皮を構成する特殊魔法分子構造体に、制御術式インターフェイスを直結!
「つながりましたわ! レスポンス、クリア。各種パラメータ想定内!」
「よし、いける」
「表皮を通して、制御用の『逆浸透型自律駆動術式』を感染開始……!」
全個体に行き渡るには時間が掛かるが、城内に溢れ出した個体を優先的に制御下に置く。
――複数スライム間をニュートラルリンク・ネットワークで再構築!
――スライム疑似脳、運動野パラメータに術式注入……更新!
――動的制御魔法術式、注入開始……伝達制御術式、個体間偏差修正!
――運動ルーチンを魔力糸と直結!
「魔法制御術式、オンライン!」
制御用の魔法に魔法力を全力で注ぎ込む。残存魔力は心もとないが、制御するだけならば余力は有るはずだ。
やがて、ビク、ビクンッ……と白いスライムが全身を震わせた。
「全体感染率、現在37% 城内に溢れ出した個体はほぼ制圧!」
妖精メティウスが索敵結界によって得られた情報を読み上げた。
スライムの表皮を介してのパッシヴ探索だが、制御用の『逆浸透型自律駆動術式』が硬いスライムの表皮を介して感染し、連鎖的に支配下入ってゆくのが読み取れた。
「停まれ……!」
魔力糸を通じて命じると、ぶるるん……と波のような動きが伝播し、巨大な白いスライムの動きが徐々に停止し始めた。
「スライム群体、動きが停まりますわ!」
「よーしよし、良い子だ……」
気がつくと三階に相当する謁見の間へと繋がる階段の手前だった。
被害はアークテイルズ城の二階部分に相当するエリアだけで済んだようだ。
索敵結界で探った限り、階段の上に続く謁見の間にサーニャ姫の姿は無い。
おそらく王族の居住エリアである最上階、国王陛下やファリアのところへと向かったのだろう。
逃げ惑っていた衛兵や侍女たちが、立ち止まり口々に「停まったぞ!」「賢者様が停めてくださったんだ!?」と、恐る恐るこちらの様子を窺っている。
「感染率上昇……! 洞窟内の個体にも徐々に浸透してゆきますわ」
「ふぅ……やれやれ、だ」
俺が手を添えると、プルプルと身を揺らす。
完全に支配下に入り、俺の眷属になった瞬間だった。
「もう大丈夫だ!」
離れた場所に居た衛兵たちに手を振ると、安堵の表情を浮かべる。
と、その時。
耳障りな声が響いた。
「け……賢者ググレカスさま……!?」
謁見の間に続く階段の上に姿を見せたのは、赤と白で色分けされたローブのような外套を纏い、チョビ髭を生やした中肉中背の男だった。
眉はつり上がり、唇はわなわなと震えている。
「訳あって戻りました。ザファート・プルティヌス」
「この騒ぎは一体……!? え、う……ぁ」
揉み手をハエのように素早く動かしながら、苛立たしげに笑顔とも怒りともつかない表情を浮かべ、階段の最上部から一歩、降り下る。
「お騒がせして申し訳ありません。実に……酷い罠に嵌りまして、ようやく脱出が叶ったところです」
白いスライムをソファー代わりに腰掛けて、肩をすくめてみせる。
「う、ぅあ、ぁ……あの地下から……どうやって?」
口調が変わった。
そして、ついに尻尾を出した。
罠に嵌ったとは言ったが、地下に堕とされたとは一言も言っていない。
「何故、地下だと?」
「……! そ、それは……あれ? 何故……か?」
「お答え願おうか、宰相殿!」
俺の鋭い声に、周囲に集まりつつあった城の衛兵達が、一斉に宰相へと視線を向ける。
俺の問いかけが引き金だった。
突然、宰相はワナワナと震えだし、顔を掻きむしるように苦しみ始めた。うぅぐう、と唸りながら身体をそらし、宰相、ザファート・プルティヌスが胸をかきむしった。
明らかに様子がおかしい。
「賢者ググレカス、一体何か!?」
「あぁ、疑わしいと思ってはいたが……自ら尻尾を出したな、宰相、ザファート・プルティヌス」
「それは………姉上が……あねぇ、ええうえがぁああああ……」
バリバリ、と胸のシャツを引き千切ると、露わになった胸部に腫瘍のような、赤黒い塊――人面疽が見えた。
「なっ、何ぃ!?」
「賢者ググレカス! 魔力波動が増大していますわ!」
索敵結界が異様な魔力を検知し、戦術情報表示が警告を発する。
強力な未知の魔導師が近くに現出しつつある、と。
「あっ、姉ぇええ上ぇえええ、えっ………………」
そこで、宰相、ザファート・プルティヌスは意識を失った。
代わりに、胸の人面疽が更に明確に人の顔を成し、カッ……と目を見開いた。
「ひぃいっ!?」
「うわぁああ!?」
衛兵たちが悲鳴を上げ、剣に手をかけた。
真っ赤に光る眼に続いて、歯並びの悪い口がカハッ……と開く。ワサワサと乱れた髪がその周囲を這い回る。
失神した宰相、ザファート・プルティヌスの胸部に潜んでいたそれは、紛れもなく異形の存在だった。
「貴様は、何者だ?」
俺は賢者の結界を大きく展開し、衛兵たちを護りながら身構えた。
既に相手の放つ魔力の波動は、生身で浴びれば体調を崩す程の、呪詛レベルだ。
「――我が名は……大魔導師ラファート・プルティヌス。よくも……よくも、緻密にして遠大な計画を、ここまで邪魔してくれましたねぇェエエ。許さん、許さんぞ賢者、グゥグゥレェカァアアアアス!」
胸の人面疽が肥大化し、メリメリと盛り上がった。全身から噴き出し始めた黒い瘴気が、霧のように周囲を覆い始める。
怒りに燃えた瞳に、血管が浮き出た化け物じみた顔。これには流石のルーデンスの衛兵たちも後ずさった。
「なるほど……そういう事か」
宰相ザファート・プルティヌスから悪意も、魔力も感じられなかった理由。
おそらく、姉の大魔導師、ラファート・プルティヌスが、弟の身体の内側に潜み、意識や行動を裏側から操っていたのだろう。
あの化物が本体か、あるいは遠隔操作のための呪詛なのかは不明だが、弟の身体と意識を完全に奪い、この場に出現しつつ有る。
となれば、やるべき事は明白だ。
「――貴様はァアア今ここで……殺す!」
「上等だ、やってみろ寄生虫」
<つづく>




