ヘムペロ、ワシは子供をやめるにょ! と叫ぶ
夜が更ける頃には、薬の材料となる『基薬』の合成は既に半分ほど終わっていた。
館の奥にある実験室は、怪しげな魔法の材料や、数多くのビンで埋め尽くされていた。他人が見たら怪しげな魔道の実験か、邪な呪術に見えるかもしれないが、これは俺が「向うの世界」から持ってきた「遺伝子治療」というアイデアを元にして考え出した、プラム体内の代謝の仕組みそのものを作り変える治療薬の合成なのだ。
霊峰でしか取れない貴重な植物の根や色々な鉱物などの材料を鍋や樽に入れ、煮たり蒸したり絞ったり……。最後は太古の文献から検索魔法で調べた術式を唱え――俺の場合は自動詠唱だが――、徐々に成分を結晶化させてゆく。
出来あがった『基薬』はビンに詰めて蓋をしラベルを貼る。ラベルは合成順番と対応した番号と、壊れたり無くしなりしないような施錠魔法の術式を施してある。
「よし、これも完成……と」
俺はラベルを張った小瓶を、実験室内の壁に造りつけられた棚へと収めた。既に同じようなビンが数十本は並んでいる。どれも中身は特殊な『基薬』で、次の工程で必要となる魔法の薬ばかりだ。
「ふぅ……今日はこれぐらいにしておくか」
リオラとヘムペローザ、そしてプラムと楽しく夕食を食べた後、俺は一人実験室に篭って仕事をしていたのだ。
やれやれと立ち上がり、風呂へと向かおうとドアに 手をかけた。
と――、背後でカサ、と小さな音とかすかな気配がした。
「ん?」
音は実験室内から確かに聞こえたと思った。だがネズミなどはが入り込む余地は無い。もちろん魔法使いが外部から魔力糸などで探りを入れたりはできないように、幾重にも及ぶ結界で「魔力暗室」として外部からの接触は遮断してある。
そうえいば数日前にレントミアが、この部屋から何か音がしたと言って、すこし怯えていたことを思い出した。それに魔力波動も検知されたとか言っていたな……。
俺は忘れていた宿題を思い出したような心持ちで、部屋の中を注意深く見て回った。
もちろん魔力糸があれば生物、魔力、そして霊的なものでさえ検知できるので俺は別に怖くもなんとも無い。
おかしな話だが、向うの世界にいた頃は結構ビビリな俺だったが、この世界に来てからはむしろ少し豪胆になった気がする。魔物や怪物、そして幽霊だって普通に闊歩するような世界なのに、賢者となった俺はどんな状況であれそう簡単にやられはしない。おかげで一歩退いて考える余裕をもてるようになった。
俺はさほど広く無い部屋を見て回ったが、やはり何処にも異常は見当たらなかった。
「うーん? 気のせいか……」
俺は念のため魔力糸を部屋の中に張り巡らせて、何かが動けばすぐにわかるようにしておくことにした。
◇
風呂から出た俺は、今や「自分だけの部屋」となってしまった二階の書斎へと向かった。
既に女の子三人組は風呂を使った後らしく、それぞれの部屋に行って寝ているか、リオラは今頃イオラとペンダントで通話をしているのだろう。
階段を上りきったところで、リオラが部屋から慌てたような様子で飛び出してきた。
「賢者さま、きいてください!」
「ど、どうしたんだ、リオラ?」
「イオが……!」
「――イオラがどうかしたのか!?」
すわ、イオラの身に何かあったのか!? と、思わず俺のほうが慌ててしまう。うむ、どこが「一歩退いて考えられる余裕」がある賢者だろうか?
リオラの顔つきは困惑の顔つきだ。
「イオが『勇者様の筋肉、硬くてすごいんだぜ』って言ってるんですよ!?」
リオラが俺の袖を掴んで訴えるように目を潤ませる。栗色の瞳は真剣そのものだ。
「え……? あ、あぁ、そうなの?」
なんだ、また勇者エルゴノートの肉体自慢か。アイツもすこし脳筋なところがあるからなぁ……。イオラに早速、身体の筋肉や傷を見せたりしているのだろう。ファリアといいエルゴといい、王家の血筋はそういうものなのだろうか?
「『胸板とかすごく厚いし、触らせてもらったんだ』とか! 賢者さま……勇者様って、その……あの……男の人も好きなんですか!?」
リオラの口からとんでもない質問が発せられた。
ちなみに今夜は全員で一部屋だとレントミアが言っていたので、マニュフェルノが喜ぶような変な心配は要らないが、それを知らないリオラは兄の身が危ないと勘違いしているのだろう。
俺は少し意地悪をしてみる。フッ、と瞳を曇らせて遠い目をしながら、
「あぁ、アイツは女も好きだが、実は男の子も好きなんだ。あ……変な意味じゃなく『人類愛』とかそういうレベルでの愛で……、あれ? リオラ!?」
「わたし、助けに行きます」
リオラが真顔で身支度を始めるのを俺は慌てて止めに入る。うん! 俺が悪かった。
◇
「いてて……」
俺はリオラにグーパンチでなぐられた。顔ではなく胸の部分をだが、リオラのぷんすかと怒った顔を真正面で拝んでしまったな。
――賢者さまのばか! とか可愛いな。あはは……。
部屋に入ると、俺のベットがもぞもぞと動いていた。
「おい」
と、指で突くと案の定ヘムペローザだった。何をしてるんだお前は……?
「にょほ? あんまり遅いから、寝ておったにょ……」
ヘムペローザは、眠そうな目を擦りながら寝台からおりると、ぱぱっ、と髪と服を調えてコホンと咳払いをする。
そういえば何か相談があるとか言っていたな。一体なんだろうか。
俺の書斎は、隣の「ミニ図書館」とでも言うべき小部屋と繋がる扉と、通常の出入り口であるドアの二つの扉がある。部屋は元の世界の表現ならば、十八畳ほどの広さがあり、腕のいい職人が作ったであろう寝台と、立派な机と椅子、それと寝転んだり座ったりできるソファもある。明かりは落ち着いた雰囲気が素敵な香油ランプの明かりが灯されている。
俺は傍らの椅子に腰掛けると、本を手にとってページを開いた。
「――おいっ! 賢者にょ! ワシが居るんだから何かいうコトは無いのかにょ!?」
「……夜更かしはダメだぞヘムペロ、子供はもう寝る時間だろ」
「にょ!? だから子ども扱いするでないにょ!」
「あーはいはい。ヘムペロは立派な大人だよ」
「棒読みではないかにょ!」
俺はページをめくりながら、適当に相手をする。なんだかうるさいなぁ……。
「……おにょれ! だが……今夜はワシの真の姿……見せてやるにょ!」
ばっ! とヘムペローザがポケットから何かを取り出して高く掲げた。
よく見れば指先には赤い丸薬をつまんでいる。それは――
「プラムの薬じゃないか! 何を!?」
「にょほほ! プラムから一粒もらったにょ! なぁに、沢山あるんだから一粒ぐらいいいじゃろうて!」
「ばか、そんなものお前が飲んだって何にもならんぞ!」
俺は慌てて立ち上がった。ヘムペロから薬を取り上げようと跳ねた。毒ではないにせよ、普通の人間が飲んだ場合、どんな副作用があるか判らないのだ。
俺の手がヘムペローザの手首を掴んだ時には、もう丸薬はヘムペローザの口の中に消えていた。ごくんっと何のためらいも無く飲み込む。一体何を考えてやがるんだ。
「――――ッにょ……おほぉおおお!?」
「お、おぃ!? 大丈夫かヘムペロ!」
「ワシは――! 子供をやめるにょぉおお! 賢者ぁあああ!」
ヘムペローザが石仮面を被った悪漢みたいな調子で叫んだ。
これ、ヤバいんじゃないか!? 俺は慌てて戦術情報表示から沈静魔法の術式をスタンバイする。
が――。
「あ……あれ? ……にょ?」
ヘムペローザが目をぱちくりとさせなながら、自分の身体をまさぐったり、胸を揉んだりしている。
もちろん見た目の変化は何も無い。薬の効果で一時的に興奮したのだろうか?
「こらっ! だめじゃないか!」
ぽかっ! と俺はゲンコツで頭をたたいた。強い口調で叱ると、ヘムペローザは眉を寄せて涙をじわりと浮かべた。
「い……痛いにょ、だって……この前は……確かに大きくなったのに、……なんでならないにょ!?」
「なんでもクソもあるか、これはプラム用の薬でお前が飲んでも何の効果も無いだろう……ん?」
俺はそこで『警告音』に気がついた。それは俺の戦術情報表示が発した音だった。
『魔力数値の急激な上昇を検知』 その警告は、何かは判らないが、魔術師レベルの強い魔力を検知した場合に発する音だった。
何かが屋敷に出現しようとしているのだと俺は瞬間的に戦慄した。それは魔力数値を増大させながら、屋敷の中、しかも俺の部屋の中に現れつつあるのだ、と。
「ヘムペロ、何か来るぞ!」
「にょ!? 賢者?」
俺は、咄嗟にヘムペローザを庇うように抱かかえた。
この部屋に魔力を持った何かが「転移」してこようとしているのだ。重層的に張り巡らせた俺の館の結界を突破し、外部から来るとなれば相当の使い手だ。
――いや……!? 違う、これは!
戦術情報表示が指し示している「不明」の光点はゼロ距離――、つまり、俺の腕の中で身をよじる、黒髪の少女を指し示している。
「ヘ、ヘムペローザ!?」
「にょ、一体何がどうしたにょ、賢者……」
「おまえの魔力値が急激に上昇しているんだよ! 薬のせいか!?」
「そんな、ワシは知らぬにょ! 以前飲んだときは……おっぱいがおっきくなったんだにょ!」
「以前って、前も飲んだのかよ!?」
「あ、あれは事故だったんだにょー!」
涙目で必死に訴えるヘムペローザの魔力値は、魔術師並みの値を示しているが、みたところ身体に異常は無いようだ。
ちんちくりんの子供の姿で慌てる様子は、いつものヘムペロそのままだしな。
俺は戦術情報表示が示し続ける数値に、目を丸くするばかりだった。
<つづく>