団結の町内会と、迫る脅威
屈強な衛兵の手を逃れ、白塗りに赤鼻の道化師は人混みに紛れて逃走した。
「――作戦失敗! 繰り返す――」
道化師は逃げながら手元の何かに向かって叫んでいたが、追いかける衛兵の怒号にかき消される。
旅芸人の一座も、いつのまにか四方八方へと蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。
今や見世物小屋の前は無人。投げ捨てられたビラが虚しく風に舞う。
彼らにとって馬車やテントは大事な商売道具のはずだ。それを放置して逃げるとは……と、不審に思った衛兵の一人が中を覗き込んで確認すると、すぐに何かを見つけたようだ。
「おおぃ! こっちに来てくれ! 中で旅芸人の連中が縛られているぞ!」
その声に応援に駆けつけていた巡回の衛兵たちが集まってきた。
「なんだって……!?」
「道化師も縛られている……! さっきの連中は偽物だってのか?」
猿ぐつわをされ縛られていた人たちが、助け出された。
「突然、妙な連中が押し入って来て……」
衛兵たちは困惑したように顔を見合わせる。
そこへ、衛兵隊長の制服に身を包み、白ひげを左右にピンと生やした老人が、険しい表情を浮かべてやってきた。伸びた背筋に逞しい身体。老いてはみえても、歴戦の兵であることは一目瞭然だ。
「ここでも騒ぎか……!」
衛兵隊長は低く呻く。
別の班からの報告によれば、ついさっき、大通りで魔法使い同士の乱闘事件があったばかりだ。それも、事もあろうにメタノシュタットから来た大事なゲストの魔法使いに対する「テロ行為」だったという。
「この街で一体何が起こっているのじゃ?」
いつもとは何か違う空気、妙なザワついた気配を感じながら、衛兵隊長は鋭い眼光で街の中をぐるりと見回した。
そこへ若い衛兵が一人、人混みを避けながら馬を駆ってやって来た。
「裏路地で馬を走らせるとは……何事か!」
「し、失礼します隊長殿! 緊急です。さきほど郊外の駐馬場で乱闘騒ぎがありました。首謀者の二人組は逃走中! 武器を所持したままアークティルズ東地区に逃げ込みました」
「……! 市民に被害は?」
「幸い怪我人はありません。ですが、二人組の暴漢に最初に襲われたのは、メタノシュタットから来たゲスト……六英雄の一人、剣士様だとの目撃情報が」
「なんだって!?」
「同じような事件が起こるなんて、これは一体……隊長殿!」
「おかしい。ゲストの皆さんは昼前に入城されたはず。なぜ、城下に?」
「王城周辺の衛兵隊は、昼過ぎから行方不明のサーニャ姫の捜索で駆り出され手薄です」
「他の地区からも何人か捜索隊で域外にでております」
ことの発端は、宰相閣下より突然下されたサーニャ姫捜索の命令とも取れる。勤務シフトが変わり警備に手薄な地区が出た。そこを狙うかのように騒ぎが起こっている。
「まさか意図的に手薄なところを狙われているのでは……」
小声で、副隊長らしい背の高い衛兵が囁く。
関係あるかは分からないが、毒肉による食中毒で街で騒ぎがあったばかりだ。衛兵の何人もが罹患し、治癒を受けている者もいる。
「……ウム。何者かは知らぬが、機に乗じて騒乱を引き起こそうとしておるのやも知れぬ。じゃが、好き勝手にはさせぬぞ」
衛兵隊長はそう言うと、周囲に居た衛兵たち数人に力強く命令を下す。
「ルーデンス王城と衛兵隊に伝令を。不審者に警戒。警戒レベルを3、ウェポンズ・フリーに移行! 必要に応じ武器および竜撃の技の使用も許可する。人数不足は個々の技量で補え」
「はっ……!」
衛兵たちは自信ありげな表情で敬礼をすると、すぐにまた表情を引き締める。そして駆け足で行動を開始した。
そこへ、街の住民たちがやってきた。
近所で食堂を経営しているらしい顔に傷のある白髪頭のコック、胸板の妙に厚い半獣人のパン職人、それに女性ドワーフ族の鍛冶屋だ。他にも若者や老人がいつの間にか集まり、衛兵隊長を取り囲んだ。
「隊長さんよ、手を貸そうか?」
既に噂を聞いていたのだろう。ドワーフの女鍛冶屋が事情は承知したという顔で言う。
険しい顔の白ひげの衛兵隊長は一度大きく目を見開くと、フッと表情を緩めた。
「……すまんのう竜撃の戦友よ。人手不足で困っておったところじゃ」
「なぁに、困ったときはお互い様さね」
鋼色の髪を一つに結んだ女鍛冶屋は、太い腕に力こぶを作ってみせた。
「いつだってワシらは互いの力を信じ、戦ってきたじゃねぇか」
「魔王なんちゃらのときも、町内会でな」
どっと周囲から歓声があがる。
「ルーデンスを混乱させようとしている連中が、騒ぎを起こそうとしているのかもしれん。皆の者、ここは気を引き締めて、心して警戒してくれ。じゃが、決して無理はするな」
白ひげの衛兵隊長の念押しに、鍛冶屋の女主人が後ろを振りかえる。
「聞いたかい? 私達の街だ、私達の手で守るんだよ! ……もちろん女子供を優先でだ、いいね!」
「鍛冶屋の女主人以外は……だろ」
「あんだって!?」
鍛冶屋の女主人にパン職人がツッコミを入れると、町内会の若者や老人がどっと笑い、そして気勢を上げた。
◆
「なんだか、変ですねー」
プラムがすん、と鼻を鳴らす。
夏だと言うのに妙な肌寒さを感じ、緋色の瞳を細める。
この感じには覚えがあった。かつて、メタノシュタットの城でググレカスが、図書館結界の向こうに「消えた」あの時に似ていた。
「家に帰ったほうがいいかもしれぬにょー」
プラムの腕に自分の腕を絡ませて歩いていたヘムペローザも、不安げな表情であたりを見回した。
人通りも多く、不審な人物も見当たらない。
左腕にヘムペローザ、右手にラーナと、プラムは何故か「止まり木」のように頼りにされている。
先程の見世物小屋から離れた区画。雑貨屋や香辛料の屋台が並ぶ場所は賑わっているが、何かがおかしい。視られている、とでも言うべきか。
「……そうね。買い物も済ませたし、帰ろうか」
リオラが買い物袋を抱えながら、ラーナとヘムペローザに微笑む。
「ラーナどうしたのですー?」
元気のないラーナに、プラムが声をかける。
「ぐーぐを……感じないのデース」
ラーナが不安げにつぶやいた。
「おー、ラーナもですかー」
「も、ってなんじゃプラムにょ!?」
「なんとなくですけど……ググレさまが、困っている気がするというかー」
「なんじゃと? そういう時は落ち着いて、魔法のペンダントじゃ!」
ヘムペローザは胸のペンダントを取り出すと握りしめ、「通信回路接続」と祈る。
これはググレカスからプレゼントされた魔法の通信道具。青い輝石のペンダントだ。
「……通じないにょー」
「これは、ひょっとすると、ですねー」
プラムが、まゆを曲げてうーん、と小さく唸る。
ヘムペローザも察したようだ。
賢者様がよく口にする、「めんどうごと」に巻き込まれた予感がする。
「まずは館に帰りましょ」
と、リオラが踵を返したその時。
影がいくつも頭上を通り過ぎた。そして背後で「きゃー!?」「なんだ!?」と悲鳴が上がった。
振り返るとコウモリのような黒いマントを身につけた不気味な男たちが三人いた。
「な、なんじゃ!?」
「みんな、離れないで!」
リオラが叫び、ラーナを抱き上げて壁を背に間合いを取る。
一人は建物の壁にぶら下がり、一人は屋台の屋根の上、そして、もうひとりがフワリと着地して、聞いてもない事を言う。
「我ら、黒翼の戦闘魔導師……!」
<つづく>




