暗闇の洞窟とサーニャ姫
「賢者ググレカス、ここは……?」
「地の底、落とし穴に落ちたんだ」
「賢者様も……落とされた!?」
サーニャ姫が驚きの表情を浮かべる。
「君も落とされたのか?」
「はい。不正な肉を私に託した人物に、会いに行こうと準備を終えた時、声が聞こえてきて……」
なるほど、落とされるに至る「手口」は同じようだ。
だが妙だ。
遠隔監視しているにしても、タイミングが良すぎる。近くで見ていないと落とし穴への誘導など、簡単に出来るはずもないのだが……。
――やはり誰かが見ているのか? 城内に内通者? あるいは別の方法か?
疑問は増すばかりだが、大魔導師ラファート・プルティヌスの正体すら掴めていないのだ。
「賢者ググレカス、レントミアさまやルゥさまは?」
「丁度、彼らとは別れて一人だった。大魔導師の口車と挑発に乗ってつい……俺としたことが」
「賢者ググレカス、油断大敵でしたわね」
「面目ない」
「あら、この岩、淡く光っていません?」
と、妖精メティウスが何かに気がついた。
「はい。お陰で真っ暗じゃなかったので正気を保てました」
「見たことのない不思議な岩だ……」
サーニャ姫は周囲を見回しながら、不安そうに俺のマントの裾を掴んでいる。
詳しくは分からないが岩の中から魔力の残滓を感じる。試しに魔力糸を床下の岩に向けて伸ばしてみると、まるで乾いた砂が水を吸うように魔力を吸い込まれ、減衰してしまった。
だが吸収した岩の部分の輝きが増した。気がつくと周囲に撒き散らした『粘液魔法』の周囲がより強く光っている。
どうやら魔力を吸収し、光を放つ性質が有るのだろう。
――まずいな。魔力を吸い取る岩で囲まれているのか……。
ざわ、と嫌な汗が噴き出る。だがここは努めて冷静を装う。
魔法の波動を放ち、魔法の通信でレントミアに連絡をとろうと試みたが通じない。 魔力の波動、すなわち魔力糸が全て岩に遮断され届かないのだ。
ザーとホワイトノイズのような音が、戦術情報表示から聞こえるだけだ。
「……なんとかしないといけませんわね」
妖精メティウスも事態を飲み込めたようだ。
「君は俺から離れない方がいい、岩にも触れちゃダメだ」
「はい、常にお側におりますわ」
寄り添うように妖精が肩に止まる。
無駄な魔力の消耗を抑えるために、索敵結界の動的励起を止める。更に賢者の結界も一層を残して全て止めることにする。
残り最後の一層は自分の身を守るというよりは、妖精メティウスを包むものだ。妖精が周囲にいる間、魔力の蒸発を避けるための防壁という意味合いが大きい。
ここで俺達が動揺しても、サーニャ姫の不安を煽るだけだ。まずは状況の確認をしつつ対応を考えることにする。
「まずは、ここがどうなっているかを調べませんと」
「そうだな」
妖精メティウスは空中でひらりと舞い、更に『燐光魔法』を励起して遠くへと放った。周囲は次第に明るさを増し、空間の全体像がつかめてくる。
落とし穴の底は、どうやらドーム状の空間のようだった。
魔法の青白い明かりが周囲を照らすが、壁や床の岩盤自体が、まるで月明かりのような「淡い燐光」を放ち始めている。
どうやら、俺がここに来たことで魔力が供給され輝きを増しているようだ。
「あぁ良かった。賢者様と妖精さんのお陰で、見えるようになってきたわ」
サーニャ姫は安堵したようだが、俺は内心焦りを感じている。
「昨日の夕方からここに? 怖かっただろう。しかしこの場所は一体なんだ? サーニャ姫は何かご存知では?」
「いえ。城の地下にこんな場所があったなんて知りませんでした。でも……そうだわ! 確か子供の頃にお母様から聞いた昔話で…………」
と、そこでサーニャ姫は何故か言い淀んだ。
無理に聞き出すのも躊躇われるので、少し休ませることにする。
「そういえば、水はあったのかい?」
「えぇ、壁から地下水が滲み出ていたので、なんとか」
「なるほど。だが出口は無しということですか」
「壁沿いに歩いてみましたが、50メルテぐらいの空間で、出口はありませんでした」
「ふむ、まぁ、落ちてきた穴が唯一の脱出口、か」
上を見上げると確かに落ちてきた「穴」がぽっかりと口を開けている。穴は丸く滑らかなので人工的に開けられた穴のようだ。
他にもいくつか穴が見えるが、全て「落とし穴」だろう。
天井までの高さはおよそ5メルテほど。跳ねても届かない。妖精メティウスは通常は20メルテぐらいは離れても平気だが、彼女いわく「息を止めて水に潜るような感覚」に襲われてしまうという。
今、ここで俺から距離を取れば、周囲の不思議な岩に魔力を奪われ、意識を失うかもしれない。
地面に触れてみると、青黒い岩はゴツゴツとしていて足場も悪い。アークティルズ城の基部、城を支える部分なのだろう。
壁も剥き出しの岩肌も荒々しく、一部には水が流れている。つまりは天然の洞窟、大きな空洞のような場所らしい。
「ともあれ、サーニャ姫も賢者ググレカスも、お怪我がなくて何よりですわ……」
妖精メティウスが気だるそうにマントの肩に腰掛けた。既に影響が出始めているのかもしれない。
「それにしてもサーニャ姫、よくぞあの穴の高さから落ちてご無事でしたね。私でさえ大慌てで魔法でなんとかして……あぁ、そうだ粘液の件は、本当に申し訳ございません」
粘液まみれにしたことを謝ると、ようやくサーニャ姫は、自分の身体に降り注いだ液体を苦笑しながら払いのける。
「もう! そうですよ賢者様、上から声がしたので駆け寄ったらいきなり……ドバーッて。気持ちの悪いヌルヌルが降り注いだんですからね! なんなんですか、この液体!?」
「すまない。俺が魔法で作り出した粘液だ。でも大丈夫、安全でクリーンだし口に入っても問題ない。なんなら食べても大丈夫だ」
「結構です、食べません」
顔をしかめて頭や身体の粘液を払いのける。段々とサーニャ姫らしい表情と調子が戻ってきたようだ。
「ちなみに、どうやって着地を?」
「鹿が崖を降り下る時の要領ですわ。右の壁をこう……蹴って! 反対に跳ねて、次にその壁を蹴る!」
サーニャ姫が、えい! やっ! と逞しくもしなやかな脚で蹴りを繰り出す。
「え、えぇ!? 凄いな……!」
どうやらサーニャ姫は落下しながら左右の壁を蹴ってジグザグに落ちながら減速し、安全に着地したらしい。
「どうってことありません。ファリア姉ぇさまも得意ですもの」
「ははは」
ルーデンスでは普通のリアクションなのだろうか。
「今ごろ……ファリア姉や父上、母上が心配しているわ……」
サーニャ姫が遠くを見るような瞳をする。しかし、城ではサーニャ姫失踪の話が何故か伝わっていなかった事になる。
やはり城内に怪しい人物がいるようだ。だが……一体誰だ?
「あぁ。俺の仲間たちも気がついているはずだ」
特にレントミアは俺とほぼ常時接続とも言えるほど、魔力の波動を感じあっている。お互いに同じ街の中に居る今、俺が「消えた」となればすぐにでも動き出すはずだ。
――問題は、ここをどうやって知らせるか……だな。
「大丈夫。とにかく私が来たからには心配ない。すぐに助けを呼びますから」
「はいっ!」
ようやくサーニャ姫は元気を取り戻したようだ。
とりあえず、俺たちはじっとしていることもできずに壁に沿って歩きはじめた。
◇
「……ググレが消えた」
レントミアは街の通りの途中で立ち止まり、ルーデンスの城を振り返った。
エルフ耳がピンと立ち、警戒感をにじませる。
ルゥローニィは賢者の館へと向かっていった。
今、ググレカスのファミリーはバラバラの状態だ。
どうやら、このタイミングを狙われたのかもしれないと、踵を返し、アークティルズ城へと歩みだしたその時。
「お前がメタノシュタットの最上位魔法使い、レントミアか?」
「……いきなり失礼だね。そうだけど、君たちは?」
人通りも多い通りの真ん中で、前後から挟み撃ちだ。相手は――3人。
夏だと言うのに目立つ黒いマントにフードを被った見るからに怪しい外国人だ。道行く人達も何事かと、輪を作りはじめる。
「戦闘魔導師」
短く答え、三人はザシャと間合いを取った。
「ふぅん……。今回は退屈しなさそうだね」
レントミアは指先で頬にかかった若草色の髪を耳にかきあげると、唇の片端を持ち上げた。
<つづく>




