冬の支度と、リオラのスキル
◇
外は随分と早い夕暮色に染まっていた。
冬が近いと太陽が早く沈むのは、この世界も同じだ。
昼過ぎに隊列を組んで馬で出発していったエルゴノート達は何処までいけただろうか? そろそろ北方の宿場町に着いた頃だとは思うが。
「ググレさまー、イオ兄ィやマニュさんはいつ帰って来るのですかー?」
「そうだな、行くのに三日、現地で三日、帰りも三日。さて……全部で何日でしょう?」
「……? 三日が……みっつなのすかー? んー?」
プラムはそこで脳の限界を超えたのか、首を捻ったまま考え込んでしまった。
ふふん、これでしばらくは読書にいそしめるというものだ。メタノシュタットのパーティで減ってしまった賢者エネルギーを、こうして補充しないとダメな俺になってしまうからな。
仲間が旅をしているのに読書か? と思われるかもしれないが、今は屋敷の実験室で触媒の合成している最中だ。沈殿と「ろ過」の工程ぐらいは少し休憩させて貰ってもバチはあたらないだろう。
ヘムペローザが呆れたような顔をしつつも、紙とペンをもってきてプラムに何やら教え始めた。
「いいかにょ、三つが三個あるという考え方はよいのじゃ、じゃがの……」
「ふむふむー?」
同じ学舎に通っているのに、二人の学力は天と地ほどの開きがある。プラムは成長してはいるのだが同じ歳の子供と比べれば若干アホの子だ。
対してヘムペローザは平均を超えるというか、かなり頭のいい部類だと思う。おそらくは前世の経験と知恵をある程度保持したまま子供の姿になるという、一種のチートめいた状態によるものなのだろうか。
僅かばかり前世の経験や記憶が残っているというのは、やはり完全な転生ではなく「還元」という言葉で表されるとおり、人生をやり直させて反省を促す為に、身体の時間を巻き戻すという古代の魔法の力によるものだろう。
以前のヘムペローザは、魔王だの世界を再び闇で覆うだの、ちょっと痛々しい事を平気で口ばしっていたが、最近はほとんど口にしなくなった。
俺の館に世話になっているから、という理由だけではなく、徐々に「前の人生」の記憶が薄れてきているようだった。
まぁ「人生をリセットさせてやり直させる」という、エルゴノートの持つ剣の衝撃的な特殊能力が明らかになった今、黒髪少女の正体がなんであれ、今更どうというコトは無い。プラムの良き友達でいてくれればそれでいいのだ。
「できました! ググレさまー、9日なのですねー?」
「おぉ、正解だ。まぁ、もう少し早く帰って来てくれるとは思うが、それまでにこの屋敷も冬支度をしておかなければな」
「にょ? 冬支度とはなんにょ?」
「それはな……」
メタノシュタットにも短いながらも冬が来る。四季のあるこの大陸では、年をまたいで雪が降る間を「神が世界を作り変える季節」と呼んで祝う風習がある。
生命力に溢れかえっていた夏が過ぎ、収穫の秋が終わるとやがて天から白い雪が舞い降りて世界を包み込む。地面の下では枯れて腐った葉が生まれ変わり、春の芽吹きという奇跡のような瞬間がやってくる。
そして人々はそれを神の所業と考えて祈りをささげ祝うのだという。土着の自然信仰が転じたもので、俺が元いた世界のクリスマスと正月を一緒にしたようなものだ。
「にょほぅ? 旨いものを食ってぬくぬく過ごすというわけじゃにょ!?」
「楽しそうなのですー!」
プラムとヘムペロが顔を見合わせて笑う。おぉー、と楽しそうだ。プラムは産まれて二ヶ月ほどだし、ヘムペローザだって、似たようなものだろう。
とはいえ、ずっと旅をしてきた俺たちも年末年始をゆっくり過ごす事などなかった。何処かの宿屋でしんしんと降り積もる雪を眺めながら、干し肉と冷たく固いパンをかじりながら年を越したりしたものだ。
だから今年は屋敷でゆっくりと年を越せたらいいな、と思うわけで――。
もちろんプラムの「根本的治療薬」の合成も進めるが、一日中そればかりというわけにも行かないだろう。焦らず、確実に積み上げていくことも大切だからだ。
「というコトは買い物にいくのだにょ?」
「あぁそうだな。今日はもう遅いが、明日にでも王都へ買出しにいこうか」
「にょ! メタノシュタット城下なんて初めてだにょ!」
「プラムは一度連れていってもらったことがあるのですよー? 大きくてお店が沢山あって……、街を見て歩くのは楽しいのですー」
目を輝かせて話すプラムの言葉に、ヘムペローザも興味深げだ。
街に行くのであれば、食料に冬の支度の品々……たとえばプラムやヘムペロの冬の服や靴も買わなければならないのだろうな。
うーむ。考えるのがめんどくさいな。
――そうだ。すこしでも図書館に寄る時間はあるだろうか?
あの後、新しいメティウス姫の書き込みはパッタリと途絶えた。姫のすこし乙女ちっくな夢見る少女のように奔放な詩は、唯一の便りのようで俺は楽しみにしていたのだが……。
何かあったのだろうか?
と――、俺の右手の銀の指輪が信号を伝えてきた。
レントミアの定時連絡だった。
『ほかの誰かのコト、考えてない?』
ギク! なんだこの勘の鋭さは……? そういえば以前も図書館でメティウス姫と話していたときに帰って来てよと連絡してきたよな?
まさかこの指輪、双方向で思念が流出するのか? レントミアが裏口術式を仕掛けたという事も考えられるが、いくらなんでもそこまではするまいが……。
「レ……レントミア、そっちの様子はどうだ?」
『うん、小さな町、えと……アパホルテについたよ。宿屋は小さくて全員で一部屋だよ』
「あぁ、それはそれで楽しそうだな……」
あはは、と鈴の音のような声音まで聞こえてくる。
『それと、護符を5キルメルテ(※約五キロ)ごとに設置してきたよ。大規模魔力探知網に割り込んで通信延長しているから、こうして声が伝わるでしょ?』
「あぁ、流石レントミアだ」
『えへへ、ありがと』
「何かあったらすぐ連絡してくれ」
『何も無くても連絡するよ』
「無駄な事に使うなよ……」
『おやすみを言うのは無駄じゃないでしょ?』
「……ったく」
ふっと思わず笑みを漏らす。
俺達はここまで大掛かりな仕掛けを駆使して、やっと超遠距離通話を実現しているのだが、イオラとリオラが持つ「勇者の印」と「慈愛の滴」は、同じような脳内通話を宝石の付いた首飾り二つだけで行っている事になる。
そもそもあの二つ一組のペンダントは、以前の冒険で手に入れた太古の魔法文明の遺物だが、小さいながらかなり高度な術式が組み込まれているのだろう。
「賢者さま!」
軽いノックの後に、ガチャリと俺の書斎のドアが開いてリオラが顔をのぞかせた。
リオラは別れの後、胸元のペンダントを時々握っては、瞳を閉じて何かを話している風だった。結局のところこの屋敷に二人でいるとき以上におしゃべりしているようにもみえるのだが?
まぁ、互いの意見をぶつけ合う事も、少し距離を置く事も時には必要だろう。それがかえって二人の絆を強くするのさ……って、実はこれは何かの本の受けうりだ。
俺にはそんな経験なんて無いのだが、多分きっとそうだろう。いやそうであってほしいな。
「あぁリオラ、そろそろ夕飯の支度をするのかい? 手伝うよ」
俺はよっこらせと立ち上がった。
と、リオラがたたっと駆け寄ってきて、俺にメモ書きをすっと差し出した。
「……ん、なんだい?」
「えと、冬になる前に必要かな、というものをまとめてみました。皆が帰って来る前に準備できたらいいな……って。見ていただけますか?」
見ると、小麦粉十袋、塩一袋、砂糖一袋、干し肉一俵、固形油脂、乾燥果実各種、ジャガイモ、ニンジン……保存の利く食材多数、そして石鹸、などの日用品――の文字が並んでいた。
「これ、リオラが考えてくれたのか!?」
「……あ、あの、ごめんなさい。わたし、そういうの考えるの好きだから、その」
俺の驚きに恐縮したのか、しどろもどろに栗色の瞳を泳がせるリオラ。
「いや、違うよ、凄いな! 助かるよ、俺はこういうのはぜんぜんだから……リオラが考えてくれて本当に助かる」
「賢者さま……」
安心したようにぱっと明るい笑みを浮かべるリオラは可愛い。
しっかりしているし、いいお嫁さんになるんだろうな……なんて思う。確かに怒らせたら怖いけど「生活を営む」というスキルに関しては、屋敷で暮らすメンバーを見回しても随一だし、頼りになる。
魔物と戦うことだけが生きる意味ではないのだと、改めて思い知らされる気がする。
思わずリオラの頭を撫でようとして一瞬手を止めるが、勢いそのままリオラの頭を撫でてしまう。
ふわふわと柔らかいリオラの髪も良い手触りだが、レディの頭を軽々しく触ってしまってから、ちょっと嫌がられるかもな、と後悔する。
だが、リオラは怒る様子も嫌がる風も無く、子供のように嬉しそうに表情を緩めていた。
「あ、丁度プラム達とも明日、買い物に行こうと話をしていたところなんだ」
「街にですか? わたしも行きたいです!」
見ればリオラは夏物の薄手の服を着ている。いくら丈夫な格闘娘とはいえ、これからの季節は寒いだろう。
「そうだな、リオラにも服とか靴とかかってあげなきゃだな……」
「そんな……! わたし、でも……賢者さまにそんな」
リオラは困ったように曖昧な笑み浮かべた。以前の鎧の時のように、俺が一方的に買い与えるのでは遠慮するだろう。うーむ。では、
「そうだな……リオラは、プラムとヘムペロの服を選んでくれないか? それと、その……下着とかもな。リオラの服はそのお礼として買うということでどうだろう?」
「にょほ、リオ姉ぇに選んでもらえるなら安心じゃの!」
「プラムも! リオ姉ぇに選んでもらいたいのですー!」
「と、いうわけでどうだろうか?」
「はいっ! 喜んで!」
リオラが納得の顔で頷く。素直なところが可愛いなぁ。
流石に賢者の俺が、女子の下着を選んでいたのではマズイだろうしな。
女性陣といえばファリアとマニュフェルノが居るのだが、ファリアは防御力重視(?)で下着を選ぶし、マニュフェルノは紫のラメ入り紐パンツとか、普段身に付けてるのかよ!? とツッこみたくなるようなチョイスを平然としてくる。
常識人のリオラがいてくれて本当に助かるというわけだ。
「にょほほ、賢者がエロイ服をワシらに着せるつもりかとヒヤヒヤしておったしにょ!」
「おまえなぁ……」
呆れ顔で溜息をつく俺に、ヘムペローザが急に腕を絡ませて、耳を引き寄せた。
「ところで賢者にょ……実は……相談……いや、見せたいものがあるんじゃにょ」
「……? 何をだ?」
何か意を決したかのような真剣な顔で囁く。また悪巧みか? と俺は訝しむが、ヘムペローザの様子はいたって真剣だ。
褐色の肌のダークエルフクォーターの少女の、黒曜石のような瞳がじっと俺を見つめている。
「今、ここでは無理にょ。今夜……プラムが寝てから、この部屋に来ていいかにょ……?」
耳元でそんな風に囁かれて、すこしドキリとするが、どうせロクでもない話に違いない。
「あぁ……まぁ。いいが?」
だが、一体何の話だろうか?
俺は首を傾げつつ、エプロン姿のリオラと並んで夕食の準備を手伝いはじめた。
<つづく>