ファリア姫の乙女な部屋
「では、城内をご自由に散策なさいませ。ファリア姫と面会を終えた後は、謁見の間にお越しください。ワタクシはそこで待っております故」
「……! では、そうさせてもらう」
「失礼するでござる」
宰相ザファート・プルティヌスの申し出に、俺は意図を掴みかねた。
体調が悪いというファリアに対して、毒なり呪詛のようなものを仕込んでいるのなら、あんな風に平然としてなどいられないはずだ。全力で隠蔽し、なんとかして俺達を追い返そうとするだろう。
ファリアの見舞いをすんなりと許可したばかりか、城内の散策までも許可した。その裏にあるものは絶対的な自信だろうか。
「あぁそうだ、賢者ググレカス様。一つ……お聞かせくださいませ」
思い出した、とばかりに手のひらを打つ宰相。
「何でしょう?」
「健康に、興味はおありですかな?」
「……健康? それは、誰でも気を使わねばならないものですから、それなりに」
――なんだ突然、何を言っている?
既に何か仕掛けてきているのか? だとすればそれは何だ?
「あると申されますか?」
「あると言えば、ありますよ」
「ある! ……そうですよねぇ! えぇ、ありましょうとも。皆さんそうおっしゃいます」
「一体何のお話を?」
「おっとこれは失礼。実は……ワタクシ、健康管理にはちょっとうるさくて。……いえ! この国の宰相を任された以上、自分だけではなく国王陛下や婚姻を願う年頃の姫君、それに、国民の皆様全てに健康になっていただきたいと願っておるのです。その癖でつい、賢者様にも唐突な質問をしてしまいました。ご無礼をお許し下さい」
ゴゴゴ……と、城の入口を背にし逆光となった宰相ザファート・プルティヌスが、両手を大きく持ち上げる。
そして次に右手をゆっくりと腹の前で水平に、大げさなほどに恭しく礼をする。
「……貴方は実に深い考えをお持ちの宰相でいらっしゃる。ザファート・プルティヌス」
「お褒めに預かり光栄に存じます。賢者、ググレカァス様」
口が耳まで裂けたかのような笑顔に、俺は若干の焦りを感じ始めていた。
受動的にあらゆる魔力波動や魔力糸の存在を検知可能な、改良型の『索敵結界』でさえも検知出来ていない。
戦術情報表示にも警告めいた表示は無い。
典型的な魔法でないのなら、視線か、声の調子か、あるいは腕や指先の動きか。
口から発せられる言葉自体が、何らかの魔術的な意味を成している可能性もある。暗示か? あるいは『古の魔法』に属するような未知の『言語魔術』か……。
だが、いくら注意深く観察しても、まるで魔力の尻尾をつかめない。
あるいは本当に何もしていないのか……?
「賢者ググレカス、ファリア様のお部屋へ」
「ググレ殿」
「あ、あぁ」
妖精メティウスとルゥに促され、我に返る。思索に耽りそうになる事自体、すでに術中に嵌っているともいえなくもない。
宰相が見送る視線を背中に感じながら、城内を散策させてもらうことにした。
ルーデンスのアークティルズ城は、メタノシュタットの巨大な城に比べれば小さく、シンプルな構造だ。このまま進んで行き階段を幾つか登れば、最上階の王族の居住エリアへとたどり着く。
「賢者ググレカス、おかしいですわね、あの余裕」
妖精メティウスが賢者のマントの肩越しに、後ろを警戒している。
「あぁ……。たしかにな。考えられるのは2つ。既にこのアークティルズ城を完全に掌握しているからの余裕か、あるいは……本当に何も後ろめたいことがないか」
「何もないはずが無いでござろ! 怪しいでござるよ」
「だが、実際何もしていない」
と、ルゥローニィに言いかけたところで、ひとつ気がついた。
丁度そこは、アークティルズ城の一階にある食堂、『肉汁大将1号店』の前だった。
安い値段で美味しい肉料理やルーデンス特産のチーズ料理やヨーグルトなどを出してくれる大衆食堂だ。お客さんは主に城に勤める役人や衛兵や給仕たち。彼らが普段食事をするための、いわば社員食堂といったところだ。
店内はいつもなら賑わっているはずだが、何故かほとんどお客さんが居ない。
気になって入口から店内を覗いてみると、厨房に居るはずの元気な女将さんの姿が見えない。確か名前はミラリア。セカンディアが勘当された際に、引き取って食堂の店員として働かせた人だ。
だが、代わりに厨房に居たのは、プルゥーシア式のハイネックのコートのような白い割烹着を着た料理人だった。
俺の方をギロリと一瞥してきたので、早々に退散する。
「ググレ殿、店の様子も違うでござるね?」
「うむ、なんだかこう……」
「匂い! 料理の匂いが違うでござる!」
「それだ!」
俺はルゥローニィの言葉にハッとした。確かにルーデンスに来てから感じていた違和感……。つまり肉料理の香りがしないのだ。
以前は王城前の広場に何軒もあった、野生肉の串焼き肉を売る屋台も見当たらなかった。
そしてこの食堂に満ちている香りは、揚げ油の匂いだけだ。確かプルゥーシア式の揚げパン、ピュロシキという食べ物の香りかもしれない。
「プルゥーシア式の料理も食べてみたいが、あの気風の良い女将さんは何処に消えたんだ?」
「きっと、あの宰相がクビにして、料理人を入れ替えたでござる」
「うーむ、だとすれば城の中は……ヤツの勢力が広がっている、ということか」
やはり嫌な予感は当たったようだ。
俺達は駆け足で上階を目指した。衛兵に事情を話して関門は通過できた。屋上の空中庭園を抜け、ファリアの居る居住エリアへとたどり着いた。
◇
ファリア姫の部屋だというドアの前に居た若い女性の給仕は、俺達を見てハッとしたような表情を浮かべ、中へと導いてくれた。
「ファリア!」
「ファリア殿!」
俺とルゥローニィは部屋に入るなり名を呼んだが
返事はない。
白い壁の部屋はきれいに片付いていて、広い。繊細な彫刻が施されたテーブルや椅子、化粧台などの調度品は、どれも女の子らしいものばかりだ。
テーブルの上には読み掛けの本や、編み掛けの白い刺繍レースも置かれている。
大きな寝台には白とピンクのカバーがかけられていて可愛らしい。何だかわからないが、丸いメガネをつけた抱枕のようなものが転がっている。
――これがファリアの部屋……?
一瞬、俺とルゥローニィ、そして妖精メティウスとも顔を見合わせる。
「乙女でござる」
「部屋を間違えたか?」
「もう! 二人共それどころではございませんわ!」
妖精メティウスの言うとおりだ。部屋を見回すがファリアの姿はない。窓がいくつもあり、開け放たれている。薄絹のカーテンが光を包み込むようにしてゆれていた。
窓辺には小さな「鳥かご」が一つある。だが、正面の蓋は開いたままで、中は空だ。
「賢者ググレカス、バルコニーの方、空中庭園かもしれませんわ」
「いってみよう」
体調が悪いというのに起き上がり、外に出たのだろうか? 両開きのガラスのサッシも開け放たれていた。
ルゥが先行し飛び出したところで、ファリアが居たようだ。
「ファリア殿……!?」
「鳥……鳥、私の鳥……」
その声には力がなく、エメラルドのような瞳には光が無い。
「ファリア!」
寝間着姿のファリアがゆっくりと振り返り、虚ろな瞳をこちらに向けた。
長い銀髪が風に揺れ、ふくよかな胸とくびれた腰が、薄衣の寝間着越しに透けて見え、思わず目をそらす。
「ちょっ、すまん! 突然来るつもりじゃなかったんだが……」
「……ルゥローニィ? それに……ググレカス!?」
虚ろだった瞳に、僅かに光が戻った。
信じられないという顔をして目を瞬かせて、そして俺達に向かって歩くと、途中で倒れ掛かるように抱きついてきた。
「わっ!?」
「にゃ!?」
俺とルゥローニィが一緒に抱きとめて支えるような格好になる。ふたりともファリアよりも頭ひとつぶん背が小さいので焦る。だが、とりあえずいい匂いがするし身体も柔らかい。
ん……? 柔らかい?
「どうしたでござる!? 大丈夫でござるか?」
「しっかりしろ、今マニュフェルノを呼ぶ! 体調が悪いんだな? おい?」
「……だ、大丈夫だ。はは、嬉しいな、夢みたいだ」
「大丈夫じゃないだろ、弱ってるじゃないか!?」
俺はそこで気がついた。ファリアは筋肉が落ち、随分と痩せたようにみえることに。
<つづく>




