賢者、勇者一行の旅を心配する
◇
俺は旅の準備を手伝いながら、エルゴノートから話を聞いて戦略を練っていた。
今回の旅については辞退したとはいえ、事前に戦い方を考えておく事ぐらいは可能だからだ。エルゴノート達は確かに経験を積んだ猛者ばかりだが、冷静に周囲の状況を見定めて戦わなければ窮地に陥る事だって十分に考えられるからだ。
エルゴノートが持ち込んだクエストは、メタノシュタット最東端に位置する海辺の町、ポポラートに出没した魔物――しかも魔王軍の残党を名乗る――、を退治するというものだ。
魔物によって被害が出た場合、それぞれの街を拠点としている「護衛業者」が請け負う形で駆除が行われる。これは仕留めた魔物の一部を役場に持ち込む事で対価が支払われるという、一種の出来高制度により地域住民の安全と交通の保全を維持しているためだ。
だが、一般の護衛業者では歯が立た無いような危険な魔物が出没したとなれば、上級の護衛業者(いわゆる「冒険者」)を王政府が金で雇い入れることになる。
もちろん各都市には王国の「正規軍」が多少なりとも駐屯しているが、これはあくまでも他国との戦争に備えたものであり、軍隊同士の「正規戦」に特化したものだ。
かつての魔王大戦で各国が苦戦したのは、魔王の軍勢が森林や山岳、砂漠や海といったそれぞれの地形を生かした魔物を組織化して運用し、神出鬼没の「非正規戦闘」仕掛けた事によるものだ。各地で補給線が絶たれバラバラになった正規軍が各個撃破されるという状況に陥ったため、軍隊としての対応が困難になったためと言われている。
(その後メタノシュタットを中心に各国の連合軍、「人類連合」を結成、魔王軍に対して一大反攻作戦に出ることになった。俺達ディカマランの英雄は、その隙をついて魔王城を急襲するという作戦に参加した「一パーティ」に過ぎないのだが……、この話はいずれまたの機会だ)
今回、港町を襲った連中は「魔王軍の残党」を名乗り、魚市場を襲撃――。水揚げされたばかりの魚を食い荒らし、市場関係者に怪我を負わせているのだ。
折しも「戦勝記念パーティ」を大々的に執り行っていたまさにその日の襲撃であり、明らかに王国に対する「テロ行為」を狙ったものだろう。
魔王軍の残党を討伐する為に正規軍を動かせば、国内外に不安定な実情を晒してしまう。ここでさしもの王政府も、頭を抱えてしまったのだ。
事を荒立てずに事件を処理する為には冒険者、しかも魔王軍の幹部クラスと戦っても負けないレベルの冒険者が必要だったのだろう。
「――そこでディカマランの英雄が登場というわけか。パーティの翌日に魔物退治とは、随分と便利で都合のいい俺達じゃないか?」
俺は皮肉交じりにそういうと、エルゴノートは一瞬きょとん、とした顔をした。
「ははは、まぁそう言うなググレカス! 俺達に活躍の場があるのはありがたいことさ。旨い酒に立派な屋敷、冒険をして手に入れたものじゃないか!」
はっはっは! と陽気に笑うエルゴノートを見て俺は小さく嘆息する。
つまり、スポンサーのご意向には逆らえないという訳か。
エルゴノートはカリスマ性、実力共に申し分の無い尊敬しうる勇者だが、どうも「勇者であり続ける為には、戦い続けなければならない」と思っている節がある。
そこを海千山千の王政府に上手く利用されているような気がするが、当のエルゴノート本人はあまり気にした風も無い。
元々が陽気で楽天的な性格のせいか「ググレは考えすぎだろー」といわれてしまう事もあるくらいだからな。
まぁ、せめて今回は俺が不参加とさせてもらうので、戦闘になった場合のリスクを考え、慎重に準備だけはしておくのだ。
三下の雑魚とはいえ、魔王軍を率いた十二魔将軍の一人キュルプノスの部下なのだ。油断は出来ないだろう。
十二魔将軍は能力を最大限に引き出せる地形や状況に特化した特殊強化型の魔物たちだった。人間と変わらぬ知性を宿し、魔物の群れを統率する事から「将軍」のあだ名がつけられたものだ。
ちなみに今回の魔物たちの所属していた「キュルプノス軍団」は、海岸沿いをエリアとする海洋型と水陸両用方の魔物による混成軍団だ。
「――というわけで、敵が水棲型の魔物で構成されている以上、相手に有利な水中での戦闘は絶対に避けるべきだ。連中を陸におびき寄せて、炎か氷の魔法で足を止め、そして近接戦闘に持ち込むのが基本戦略だ。それと、絶対にこれだけは気を付けてほしいのだが……」
俺とエルゴノートは館のキッチンの椅子に腰掛けて、検索魔法の検索で導きだされた魔物の特性と弱点、そして戦術情報表示でメンバーの動きをシミュレーションしてみせる。
エルゴノートはフンフンと聞いているが、ちゃんと頭に入っているのだろうか?
途中から作戦会議にファリアも参加したのだが、五分後には「ググレの話は難しすぎる! そんなもの……力で粉砕すればいいだろう!」と言い出す始末だ。
勇者はその声でカクン、と頭が頬杖からズレ落ちた。……寝てやがるし!
「お前ら……ほんとに大丈夫か? ルゥ、マニュ、レントミア! ポポラート近辺に出没する魔物の特性とか、前衛の二人に代わって覚えていってくれよ?」
検索魔法の結果画面は、全員に見えるように可視化してある。港町の周辺には「水陸両用」の魔物ばかりが出没するようだ。
「せ、拙者、水が苦手で……」
「粘液。海の周辺の魔物は触手とか粘液とか……ググレくんみたいだね、くす」
「ググレ! ボク、周りに木が無いと落ち着かないんだけど?」
「ルゥは水中で使える剣術を会得したとか言ってたよな? マニュ! マジメに聞け、それに俺はそれ以外にも使えるからな!? ……レントミア、それは少しがまんしてくれ」
「贔屓。ググレくん、レントミアくんには甘いよ!」
「えー? えへへ。そうかな?」
レントミアが照れたように笑う。ハーフエルフは森だと調子がいいが、今度は海だしな。
そういえばこの時期でもポポラートでは泳げるくらい暖かいらしいな……。
水着……もっていったら泳げるのかな?
え?
水着? レントミアの? え?
「ググレ殿、ぼーっとしているでござるよ?」
「はぅ!?」
はっと我に返る。いかんいかん、俺も煩悩にまみれ過ぎだ。
「しかし……本当に心配だなぁ……」
早いところプラムの薬の合成を終えて、ディカマランメンバーに合流したい。だが、俺がこの屋敷に残りたいといった言った理由は、プラムの根本的な治療薬の精製でそう簡単に出来るものではない。
本当はレントミアの協力があっても数日はかかるのだが、それが今日から一人で作業しなければならないのだ。
触媒を用いて薬の原料となる「基薬」を三十種類ほど合成し、それを更に組み合わせる。二次生成物を更に組み合わせて……と三百を超える工程を行う必要があるのだ。
術式は既に完成し、戦術情報表示と検索魔法を組み合わせて描いた『生命の樹』に似た設計図も既に仕上げてある。
――焦っても仕方ない。エルゴノートや仲間たちの力を信じて、俺は自分の仕事に集中するしかないな。
◇
村の収穫の季節が終わっていたおかげで、昼前には全員分の馬が手に入った。
今回の旅は、馬車ではなくエルゴノートの愛馬、白王号と共に馬で目的地をめざすことにしたのだ。荷物は最小限にして移動速度重視だ。
館の庭先で馬の準備を終え、それぞれが馬に跨ってゆく。
馬を操れないというマニュフェルノは、ファリアの馬に乗せてもらう事になったのだが、二人乗りをすれば馬が疲弊する。途中で乗り換えられるように代わりの馬を二頭ほど後ろに引っさげての移動だ。
レントミアは森の民エルフの血を引いているので馬はお手の物だ。なんとユニコーン(と、よく似たこの世界の馬)に乗った事もあるのだとか。すっと背筋を伸ばして器用に馬を操る姿は、いつもとは違って凛々しい少年のような顔つきに見えた。
ネコ耳剣士ルゥは、元々器用で体も軽いので馬も嫌がるそぶりを見せない。人馬一体の動きは半獣人ならではの、しなやかさを感じさせる。
そして、今回のルーキーであるイオラは、なんとエルゴノートと一緒に白王号に跨っていた。
「どうだ? イオラ、いい眺めだろう?」
「はい!」
イオラは、瞳を輝かせて澄んだ声色で返事を返す。
勇者に背後から抱かかえられるような格好で馬に乗るというのは、勇者ファンの女子ならば垂涎もので夢の特等席だろう。
イオラは照れくさそうな顔で後ろを振り返ると、勇者が優しく微笑み返す。
その様子を一人、腐った眼でじいっと見ている僧侶がいるが……。垂涎というよりも、既にヨダレが垂れているわけだが。
イオラは前回の旅で俺が買い与えた皮の鎧を身に着けて、愛用の短剣を腰からぶらさげている。静かに祈るようなしぐさで剣の柄に手をかけると、俺にそっと顔を向けた。
「賢者さま、行ってきます!」
「あぁ……行っておいで」
俺はびっと親指を立ててイオラの武運を祈る。
「イオ兄ィ! 気をつけていってくださいなのですー!」
「イオ兄ィも……皆も……ちゃんと帰って来るのだにょ!」
「ググレ、触媒は全部揃っているからね、ググレなら一人でも出来るよ!」
「ありがとうレントミア、気をつけてな」
「……うん!」
「ファリア、あまり力押しでいくんじゃないぞ、俺の言葉を思い出してな」
「ググレ、心配は無用だ! お前はしっかりプラム嬢を治すことに専念するんだ!」
「あぁ、もちろんだ」
それぞれが壮行の挨拶を交わしたところで、エルゴノートが出発を告げる。
「では、いくぞ皆!」
と、館からリオラが駆け出して来た。
「――イオ!」
「リオラ!?」
何度かよろけながら、巨大な白馬の元に駆け寄るリオラに、イオラは手を伸ばした。
馬の上と下からそれぞれ腕を伸ばし、ぎゅっと互いの手を握る。そして二人はじっと見つめ合ったまま、しばらく何も言葉を交わさなかった。
ほんのひと時の間そうしていた兄妹は、やがて静かに手を離した。
「聞こえた?」
「あぁ……! リオの声がちゃんと」
イオラとリオラは互いに微笑むと、首にぶら下げていたペンダントを取り出して見せた。
それは、初めて出会ったときに俺が渡した魔法のアイテム「勇者の印」と「慈愛の滴」だ。透明な宝石は、ほんのりと淡く透明な光を放っていた。
離れれば互いの位置を指し示す指標となり、見失えば必ず引き寄せあう。
そんな力を秘めた魔法のアイテムは、身につけたまま強く相手を思えば、想いや言葉をどんなに距離が離れていても伝える事ができる力を宿している。
二人がどんな言葉を交わしたのか、それは俺にも判らない。
けれど、二人の顔を見るにつけ、本当に大切に思う気持ちを伝え合ったのだろう。
「かならず、帰ってきてね」
栗色の髪が風になびき、頬にかかった髪を指先でかきあげながらリオラが言う。
「ったりまえだろ! 見ろよこの最強メンバー! 何も……心配はいらないから」
「……うん!」
イオラの言葉に、リオラはこくりと頷いた。
僅か一週間ほどの別れだが、双子の兄妹にとっては辛く長い時間かもしれない。
けれど魔法の宝石のペンダントがあれば、互いの無事と気持ちをいつでも確かめることが出来るだろう。
「俺からも頼んだぞ、エルゴノート」
「はっはっは! まかせておけ賢者ググレカス! そして少女、いやリオラよ! 必ずここに戻ってくるのだからな!」
――さぁ行こう、冒険の旅へ――! とエルゴノートが高らかに声をあげると、全員が同じように一斉に気勢をあげ、馬はゆっくりと動き出した。
俺とリオラ、そしてプラムとヘムペローザは、皆が小さくなって見えなくなるまで、館の前で見送り続けた。
傾き始めた晩秋の日差しが勇者一行を暖かい光で包んでいた。
<つづく>