宰相、ザファート・プルティヌス
ルーデンスの首都、アークティルズから飛び立った二匹の飛竜は、明らかにこちらを警戒している動きを見せた。
見張り塔付近から舞い上がるや急接近、一匹は高空からの監視位置へ上昇、もう一匹は真正面から飛んでくると炎を吐き威嚇してきた。
賢者の館には全体を包む球形の結界が張られているので、至近距離で火炎の吐息を浴びせられても弾き返す。まだ遠距離とはいえ、気持ちのいいものではない。
「いきなりの出迎えだなぁ」
「賢者ググレカス、どうなさいますか!?」
「うーむ、俺達が空路でルーデンスに入ることは、王政府から通知してあった。何かの行き違いかもしれない、文字を表示して呼びかけてみよう」
戦術情報表示を可視化して、相手に見えるように展開。縦2メルテ横6メルテの極大サイズに拡大して、さらに映像中継で文字列を映し出す。
『――こちら、メタノシュタット王国より来た愛と平和、友好と笑顔の使者、賢者ググレカスなり。貴国への入国は既に申請している!』
文字列をピカピカと光らせながらスクロールさせてやる。
「愛と平和って……」
「ファリア姫の愛の架け橋であり、二国間の平和を願っている。間違いじゃないさ」
ちなみにルーデンスは現在、事実上メタノシュタット王国の保護国扱いなので、入国申請などは必要ない。だが事を荒立てないためにも、ここは控えめな表現を使ったのだ。
正面からぐんぐんと接近してきた飛竜は、こちらの表示を見て事態が飲み込めたのか、僅か30メルテほど手前で、背中に乗る竜騎兵が手綱を操り、大きな翼を動かして右に大きく逸れた。
ゴゥウウウ……! と飛竜の翼から風切り音が聞こえるほど、至近距離を通り過ぎてゆく。
尻尾や背中には、剣のように鋭いトゲが無数に生えている。鉄のような光沢をもつ鱗が太陽光をギラリと跳ね返す。
その竜の背中に乗っていたのは、特徴的なデザインの黒い軽装鎧を身に纏った人物だった。ヘルムを被っているので顔や髪色まではわからないが、手には遠距離攻撃が可能な魔法兵装か、銀色に光る円錐形のランスを持っている。いわゆる空中竜騎兵のような兵種だろうか。
「あれはどこの竜だにゃぁ?」
「なに……?」
「賢者様、あれはルーデンスのじゃないクマ!」
「知っているのかベアフドゥ?」
「あの鱗に姿……北に棲む剣飛竜種だクマ」
「なるほど……」
ルーデンスの森から来たニャコルゥとベアフドゥの反応からして、ルーデンスでは見慣れない種類の飛竜らしかった。
一瞬ではあったが、咄嗟に『検索魔法画像検索』で鎧の意匠を照合する。するとプルゥーシアで使われている甲冑が近似候補として映し出された。
――プルゥーシアから宰相とやらが招き入れた傭兵か……!?
「賢者ググレカス、あれは異国の竜ですの……?」
「らしいな。これは、事態は思った以上に深刻だぞ」
下手をするとここで引き返さねばならないかもしれない。
「ググレ殿、見たこともない、大きな飛竜でござるね!」
ルゥローニィが腰に刀をくくりつけながら駆け出してきた。革のズボンに袖なしのジャケット姿の、戦闘に向く装束に着替えている。
「あぁ、あまりいい歓迎ではなさそうだ」
「やはりルーデンスには異変が起きているのでござろうか」
並び立ち上空で哨戒飛行を続けるもう一匹の飛竜を見上げる。
「ファリアからの連絡もない。ここからは警戒しよう」
「そうでござるね。レントミア殿も今、支度をしているでござる」
「わかった」
にわかに緊張感が高まってゆく。
だが、幸いにも威嚇行動はそれで終わりを告げた。
やがて後方から鉄色の飛竜が戻ってくると速度を落として館と並飛した。上空で待機していたもう一匹も高度を下げながら大きくターンすると、同じような速度で飛び始めた。
『失礼しました賢者ググレカス。信じられない……! 噂では聞いていたが、館を載せた巨大な岩塊が空を飛んで来るなんて……。驚いてしまって』
飛竜の背中に跨った騎士が、外国語なまりの言葉で語りかけてきた。鎧のヘルムには『音声拡張魔法』が仕込まれているのか声が大きく響く。
『と、とりあえず、我らのあとに付いて来てください。誘導します』
「……わかった!」
やはり何か誤解と行き違いがあったようだ。少しホッとしつつ、指示に従い飛行すること5分。
賢者の館『新・空亀号』は、ルーデンス首都アークティルズの中心にほど近い、駐馬場へと到着、着陸を許可された。
◇
ルーデンスは、真夏だと言うのに涼しくて風は森の香りがした。
実に過ごしやすい気候で、避暑にはもってこいだが、のんびりともしていられない。
「おー、着いたのですー!」
「ルーデンス名物を早速食べに行くかにょー」
待ちきれない様子のプラムとヘムペローザが庭先でワクワクしているが、この状況ではいきなり街に繰り出すのは危険だろう。
「買い物や散策は、ちょっと待ってくれ。俺達が挨拶をしてくるから。ニャコルゥとベアフドゥもだ」
「良い子にしているでござるよ」
「わかったのですー」
「ワシも何かあれば手伝うにょ!」
「あぁ、その時は頼むよ」
俺はルゥローニィと館の門扉を通り、敷地の外に出た。
既に周囲には交易の馬車に乗って来た人々や、アークティルズの商人たちが驚いた様子で集まってきていた。衛兵や役人らしい人々が慌てて、あまり近づかないようにと注意を促している。
周囲に居る馬車に乗っている人々の服装をみると、メタノシュタットはもとより、カンリューン公国やプルゥーシア皇国から来たらしかった。おそらくルーデンス特産品の乳製品や、肉製品などの買い付けと、外国の産品を売りに来たのだろう。
だが、どことなく活気がないようにも感じられた。
「レントミア、マニュ、留守を頼んだぞ」
「まかせて。ググレに何かあっても館ごと飛んで逃げるから」
「無事。何もありませんように」
レントミアとマニュフェルノはとりあえず安全な館で待機してもらう。賢者の館には、認識撹乱魔法や施錠魔法を組み合わせた、強固な対人結界が張られているので、押し入ろうとしても敷地内にはそう簡単には入れない。
と、ルーデンスの城の方から馬車がやってきて停車すると、客室から一人の男が降り立った。
赤と白で色分けされたローブのような外套を纏った中肉中背の男だ。
顔は細長く、眉はつり上がり、唇はへの字に曲げられている。その険しい表情に加えて、チョビヒゲを生やしているのだから、いかにも偉い役人という風情だ。
髪はプルゥーシア人に多いという淡い金色だが、前髪を眉の上で一直線に切りそろえている。
俺とルゥローニィを認めると、まるで顔面返しのように表情をくしゃりと緩めた。
「これはこれは……! あぁ! ようこそおいでくださいました 賢者ググレカスさま!」
揉み手をしながら、なんとも貼り付けたようなニコニコとした表情を浮かべ近づいてくる。
「あ、あぁこんにちは、えぇと貴方は?」
「ワタクシ、この国の宰相を任せて頂いております、ザファート・プルティヌスと申します、えぇ」
「貴方が、宰相ですか」
なんと自らお出迎えとは。俺は少し面食らった。宰相クラスともなれば、普通は城の中で王様の横に立って、ふんふんと話を聞いている人物だとばかり思っていた。
それが部下も伴わず、一人で出迎えに来たのだ。それも揉み手をより速くしながら、更に顔を近づけてくる。
「はいい! お噂はかねがね伺っておりますよ、賢者ググレカス様! あぁ、お会い出来て光栄です。そちらは剣士のルゥローニィ様ですね? あぁ、最強の魔法使いに最強の剣士様! ワタクシ、とても光栄に存じます」
「それはえぇ、こちらもお会い出来て嬉しいです。ところで先程、飛竜が……」
「ああっと! 大変、大変失礼いたしましたぁ! ワタクシとしたことが、歓迎の準備にばかり気を取られて、新しく雇ったばかりの防空傭兵に、指示を出し忘れておりまして」
「なるほど……そうでしたか」
「あとで傭兵には、非礼を働いた罰を与えましょう」
「い、いやそこまでは。彼らも責務を果たしたまででしょうし……」
俺がそう言うと、さも驚いたという風に目を見開いた。
「なんと寛大な! あぁ……流石は賢者様だ! お若いのに慈悲と、深い徳の御心をお持ちなのですね。ワタクシ心底惚れ込んでしまいそうです、ハイ!」
ニッカァ……! と圧倒されるような笑顔を更に深くする。
だが果たして「歓迎の宴」を準備するような人物が、防空を司る傭兵に指示を出し忘れるだろうか?
「ググレ殿、この男……」
「あぁ」
ルゥが声を潜めて警戒を促す。
笑顔の裏には別の顔が隠されていそうな気配がプンプンする。抜け目のない行動といい、既に駆け引きと心理戦は始まっているのだ。
<つづく>




