兄妹の気持ちと、『雷神の黎明』の秘密
「リオ、行かないって……どうしてだよ!?」
イオラが信じられない、という顔で声を張り上げた。
「行きたいのならイオだけで行って。わたしは……行きたくない」
リオラは静かな、けれど力強い口調で答えた。
クエストへ兄が行くと言えば当然、妹のリオラも行くものだと思っていた俺は、予想していなかった答えに面食らった。
「そんな……! 本物の勇者様と旅が出来るんだぞ! なのに……なんで!?」
イオラが憤然とした様子でリオラに歩み寄って声を荒げた。
「だから、イオだけ行けばいいでしょ!」
「勇者さまみたいに強くなって、仇をうつんじゃなかったのかよ!」
売り言葉に買い言葉、ムッとした様子で言う。
「わたしは……! イオが……そう言うから……頷いただけよ」
双子の妹は栗色の瞳に陰りを宿し、兄から目を逸らした。イオラは妹の思わぬ言葉にむっつりと黙り込んでしまった。
いつもの仲睦ましい二人が、互いの主張を言い合って譲らないというのは初めての事だ。
二人の事をよく知るファリアにレントミア、そしてマニュフェルノは互いに顔を見合わせて困惑の色を浮かべている。
ルゥローニィとて数日間とはいえ共に過ごし、二人と打ち解けはじめていた様子だった。ルゥの性癖(?)知らないリオラが抱きつかれて悲鳴をあげ、イオラが駆けつけてルゥの首根っこを押さえて引き剥がす……なんてこともあったりしたのだが。
エルゴノートも自分が軽い気持ちで誘った事で生じた軋轢に、どうすればいいのか判らないという困惑の表情で、俺に助けを請う視線を向けた。
――そうだ、こういう時の賢者だ!
ディカマランのメンバーの目線が、そう言っていた。
「う……、うむ……ぅ」
かける言葉が見つからないのは俺だって同じだが、何か言わねば……。
「俺はリオが一緒じゃないと嫌なんだよ!」
イオラが上気した用で一息に叫んだ。
その声にリオラはぴくんと肩を震わせて、顔を上げた。そして自分の気持ちをゆっくりと吐露しはじめた。
「わたしだって……イオと一緒に居たいよ。けど……プラムちゃんやヘムペロちゃんのお世話をしたり、ご飯を作ったり、暖かい暖炉の前で皆でご飯を食べたり……、賢者さまと一緒にお皿を洗ったり、……そんな風に暮らしたいの。もう……怖い思いをする旅は嫌なの……!」
ぽろり、とリオラが涙をこぼした。
「リオ……」
イオラは、ようやく妹の気持ちを理解したようだった。
そうか……。リオラは兄が考えている以上に「女の子」なのだ。ごく、普通の。
鎧を身に纏い鉄拳を振り回し、魔物と戦う事は決してリオラにとって嬉しい事でも楽しい事でもなかったのだ。
兄が強くなって両親の仇を討ちたい、勇者になりたい! と願う気持ちを尊重し、そしていつも一緒に居たいという気持ちを支えにして俺の旅へついてきてくれたのだ。
植物の魔物に食われそうになったり、土人形の大群に囲まれたり……。それは普通の女の子にとってとても怖くて、辛かったのだろう。
けれど兄が傍にいてくれて、プラムやヘムペローザを守らなければという強い気持ちがあったから、なんとか耐え抜けたにすぎない。
俺もイオラも、彼女の本当の気持ちまで考えが及んでいなかったのだ。
「仇を……うつんだって……イオは言うけれど……」
「あ、あぁ……」
「魔物を……、カボチャやカエルをいくら倒したって、イオが勇者になったって――母さんも父さんも、あの家も時間も、戻ってこないんだよ!」
「……リオ……」
悲しみに満ちたリオラの言葉に、イオラは返す言葉が見つからないようだった。
だが、全てを吐き出したリオラは無理やり微笑みを浮かべて、
「ごめん……イオ。いいすぎたね……気をつけて、行ってきてね」
「…………」
リオラはそういうと、ディカマランのメンバーにペコリと会釈をして、部屋を出て行ってしまった。
結局、俺は二人の仲裁も何も出来ず、ぽつねんと立ち尽くすばかりだった。
イオラはクエストに行くという決意を取り下げたりはしないだろうし、リオラだって平穏な暮らしを望む気持ちは変わらないだろう。
――ったく、二人とも不器用で意固地なところがそっくりじゃないか。
俺は溜息をついた。そして先ほどから口つぐんだまま、事の成り行きを見守っていたプラムとヘムペローザへと視線を転じる。
はわわ……!? と目を白黒させるプラム。仲のいい兄妹があそこまで言い合う姿を初めて見たのだし、無理も無いが。
「リオ姉ぇー!」
プラムがたっと駆け出してリオラの後を追った。
残されたヘムペローザは、白いワンピースの裾を握り締めたまま動かなかった。
ヘムペローザは、二人の言い合いにショックを受けたのか、茫然自失と言った様子でリオラの去った扉を見つめている。
褐色の肌の元の悪魔神官は、二人の言葉をどんな風に聞いていたのだろうか? 魔王デンマーンの手先、悪魔神官として国々と戦い、多くの命を奪い人々を苦しめたことを、自分がかつて犯してきた罪の重さと、良心の呵責に改めて苛まれているのではないだろうか?
あの戦乱さえなければ、家族仲良く暮らせていたはずのイオラとリオラ。二人から両親と幸せな家庭を奪い去り、身売り同然に孤児院に送られた二人の悲しみと苦しみを考えれば、普通ではいられないのではないか……。
ヘムペロがイオ兄ィリオ姉ぇと慕う無邪気な姿は、もう、ただの子供なのに。
俺はヘムペローザの傍らに立ち、顔面蒼白で小さく震えていたヘムペローザの細い肩をそっと抱きしめた。
「今のお前が、何も悔やむ事ではないさ」
「賢者……にょ」
う、ぅぇ……と小さく嗚咽し、また俺の服に鼻を拭く。……おぃ。
「ググレカスの言うとおりだぞヘムペローザ。お前の罪は――以前の魔王に魅入られた命を代償として、既に償われたのだから」
「? エルゴノート……、何を……?」
――やはり、エルゴノートはこのヘムペローザの正体を知っているのか。
「ググレカス、君のところに『還元』されたはずの仇敵が居たと知った時は流石に驚いたよ。けれど……もう何も、悔やむこはないんだ」
わしわしっと大きな手でヘムペローザの頭を撫でる。その顔には、勇者様だ! と駆け寄ってくる子供たちに向けるのと変わらない、優しい笑みだけが浮かんでいた。
「にょ……? 勇者、いったい何故……、何を……?」
ヘムペローザは、自らに引導を渡した勇者の言葉と、自らの過去と正体を知る相手の笑顔に戸惑いの表情を浮かべる。
「罪は償われた。僅かに残った記憶は成長と共に徐々に薄れていくだろう。そして……新しい人間、新しい人生を歩んでゆく。黎明は誰にも平等に訪れるものさ……!」
ピッ! と二本の指を振って白い歯を覗かせる。
「一体……何の話をしているんだ? エルゴノート、君は……一体ヘムペローザに何をしたんだ?」
俺の言葉と同じ疑問、いや……違和感を、ファリアもレントミアも感じたようだった。
「……もう俺も帰るべき国を失ったし、話してもいい頃合か」
そういうとエルゴノートは、腰に下げていた宝剣を抜き去った。美しい白銀の長剣には、神聖文字が掘り込まれ、鍛え上げられた剣だけが持つという「刃紋」が全体に浮かんでいた。
ギラリと光る剣圧に、そこに居た全員がぎょっとして、僅かに身構えた。
それほどまでにエルゴノートの剣、『雷神の黎明』は鋭いのだ。
「実はこの剣には秘密がある。それも、伝承にも書物にも載っていない、俺の……王家に口承としてだけ伝わるものさ」
秘密……? そこに居た全員が首をかしげ、固唾を呑んでエルゴノートの言葉を待った。
妹と意見をぶつけ合い、呆然としていたイオラもその剣と勇者の言葉に耳を傾けている。
「この剣で心臓を貫かれたものは当然、息絶える。だが――、犯した罪の重さに応じて、極めて稀ではあるが、子供の姿へとその肉体を還元し、もう一度その人生をやり直させるという、慈悲深い魔法の力を宿した剣なんだ。それが『雷神の黎明』の秘められた力なのさ」
衝撃の内容に一瞬、ぽかんと口を開けた面々が、一斉に叫んだ。
「な、なんだってエルゴ! 初耳だぞ!?」
「そ、そうなの!?」
「驚愕。そんな……ヘムペロちゃんが子供になった理由って……」
「拙者……あまりの事によくわからないでござるよ!?」
「ばかな! 肉体と魂の還元を……人生を……リセットさせる魔法なんて、そんな!」
俺の検索魔法でさえ、長らく旅をしてきた仲間達でさえ知らない秘密。
「ははは、隠すつもりは無かったんだが、この剣で倒した相手は消えちゃうだろ? キラキラーって光の粉になってさ。だから俺も確かめる術はなかったんだが……ここに来て本当だったと確信が持てたのさ」
確かに魔王城での最終決戦で悪魔神官ヘムペローザ究極体を打ち倒した後、本体であるヘムペローザ本人は消えてしまった。ヘムペローザ本人の「爆発に紛れて逃げた」という記憶がそもそもの勘違いで、大人から子供の姿へと「還元」されたことによる記憶の混乱のせいだと考えれば合点がいく。
エルゴノートの剣が持つ魔法は今のこの世界には無い。それは既に太古に滅び去った旧魔法文明の失われた魔法体系だ。
人造生命体を自在に作り出し、世界の理すらも捻じ曲げるほどの魔法を駆使した文明は、僅かに残滓を残すばかりだが、こうして奇跡に近い力を発揮するのか……。
「ワシは……悪い事をしてきたということは覚えておるにょ……。リオ姉ぇの言っていた言葉を聞くと、何故だか胸の奥が痛くて、ワシは……痛くて……どうすればいいのにょ……」
泣きべそをかいて俺を見上げる黒髪の少女のほほを、俺はぐにーと引っ張ってみる。
「にょほ!? にゃにをするか賢者にょ!」
「あぁ……すまん。つい」
ヘムペローザ。俺の知っているプラムの友人で、館の居候。
「今のお前はプラムの友達の『ヘムペロちゃん』だろう? それ以外の何者でも無いさ」
「にょ……ぅ」
俺はヘムペローザの柔らかい頬を両手でさすりながら、そっと微笑んだ。
<つづく>