旅立ちの朝、ヴィルシュタイン邸に挨拶を
昨日は休載してしまい、すみませんでした。
◇
一夜明けて、早朝――。
庭先には量産型ワイン樽ゴーレム『樽』が整然と並んでいる。
ゴロゴロとガレージから転がり出てきたのは全部で12体。朝露に濡れる芝生の上で出撃の時を待っているのだ。
俺は魔力糸をそれぞれに伸ばし、内部に充填した疑似スライムの状態、魔力の蓄積量、制御用の魔法術式の状態などを入念に確認してゆく。
安全で快適な旅のために、こうした出発前のチェックは欠かせない。
「……うむ、よしよし問題ない。レントミアも準備はいいか?」
「ふぁー眠いなぁ……。うん、まぁ大丈夫」
朝日が差しこむ庭先で、大きなあくびをしながら伸びをするレントミア。サンダル履きで、白いワンピースをラフに被り、腰の部分をベルトで縛っている。森のエルフが着ているような飾り気のない平服だ。
「まず顔を洗ってこいよ、アホ毛が立ってる」
「うーん? ふぁい」
レントミアは昨夜、遅くに館に帰ってきた。それから夜食を食べながら話し込んだり、つい二人で夜更かしをしてしまったりした。
館を飛ばすには、レントミアの協力が欠かせない。まず『隔絶結界』により館の地下部分を半球形状に切断する。この際、レントミアの『円環魔法』による加速を行わないと、俺の全魔力を注いでも地面の切断が不十分になるからだ。
「何が始まるにゃぁ?」
「ワ、ワインの樽が勝手に転がっているクマァ……。そういや、ここは魔法使い様の館だったクマァ」
「そろそろ、おいとましたほうがいいかにゃぁ……」
庭先のテントを畳んでいたニャコルゥとベアフドゥが、やや不安げな様子で、ゴロゴロと勝手に転がるワイン樽を眺めている。
「心配しなくていい。昨日説明したとおり、ルーデンスへの旅に欠かせない儀式さ」
館の中では皆も起き出してきたようだ。朝食にはまだ早いが、庭先では色とりどりの館スライム達が朝日を浴びながら朝露の雫を吸っている。
「おまたせー」
「賢者ググレカス、わたくしも朝露補給してきましたわ」
「おぅ!」
井戸で身支度をしてきたレントミアと、ハーブ畑の方に朝露を探しに行っていた妖精メティウスが戻ってきた。
妖精メティウスは両手で持っていた小さな水玉を唇に運び、ちゅうと吸う。朝露こそ妖精が口にする唯一のものだ。
「さて……まずは浮上、朝食はそれから取るとしよう」
「そうだね!」
「了解ですわ賢者ググレカス」
目の前に『戦術情報表示』を展開する。丸い船のような形に切り取られた地面の模式図と、賢者の館を映し出す。
「じゃ、僕は『円環魔法』の準備をするからググレは『隔絶結界』ね」
「おうともよ!」
レントミアが魔法の杖『円環の錫杖』を地面に突き刺して、魔法を詠唱する。しばしの精神集中の後、一気に青白い魔法の光が輪になった杖の先端部分に集まり渦を描く。
「ふんぬっ!」
「『隔絶結界』励起……! 接地境界面を切断……分離ッ……!」
俺の魔法をレントミアの『円環魔法』で圧縮、超加速し、一気に地面に流し込み半球形状に展開、地面下に境界面を形成する。
「――館の構造体維持のため、形態維持魔法を励起! 姿勢制御、水平制御魔法術式の自律駆動術式、自動詠唱……!」
矢継ぎ早に魔法術式を励起して、館の浮上を安定的かつスムーズに実行する。
館を包み込む魔法円が光り輝く。光がより一層強くなると、地面に裂け目が出来た。徐々にその裂け目は大きくなって行く。
館が一瞬、ふわっ……と浮いた。庭先が地面から切り離されて、上へゆっくりと浮上しはじめている。軽い浮遊感とともに周辺の木々や景色が低くなり、浮き上がったのがわかる。
「地面が……揺れたにゃぁ!?」
「浮かんでいるんだクマァ」
「そういうこと。さぁ『樽』たちよ、持ち場に就け!」
ゴロゴロと12体の樽を、切り離された館の縁に均等に配置する。あとは『樽』たちが空気を噴射し浮上や前進といった飛行制御を行うのだ。
低く唸るような振動音は、やがて高回転な音域へと変化し、最終的には安定し無音に近い状態となる。
「賢者ググレカス、隔絶結界は臨界を維持し状態は安定、魔力固定アンカー外しますか?」
「よし抜錨! 新空亀号、『賢者の館』発進!」
「……浮上を確認、1メルテ……2メルテ……!」
「全『樽』、推力25% 噴進開始」
賢者の館は、直径30メルテほどの半球形状の地面の上に乗ったまま、すでに5メルテほど浮き上がっている。
周囲の森の木々の上部を越え、視界が急に開けてくる。
一面、王都北側にひろがる公園の緑だ。
南側には王都メタノシュタットの象徴である、白亜の城が見える。その周囲に無数の家々が立ち並ぶ。うっすらと朝もやが朝日に溶けつつあり、幻想的な光景が広がっていた。
「基礎地面に異常なし、館に異常なし! 形態維持魔法正常、重心制御術式正常稼働、『隔絶結界』も安定しています……!」
メティウスが矢継ぎ早に状況を告げてくれる。
「ゆっくりと進路を北に……! ヴィルシュタイン家の上方をかすめて展示飛行する!」
賢者の館は高度を上げて10メルテ上空で、方向を変える。
「そういえば賢者ググレカス、ヴィルシュタイン家にむけて、映像中継はされておりますの?」
「もちろんさ。今のクールな発進シーンは最初の見せ場だからな。起動プロセスもいつもより丁寧にやっただろ?」
「まぁ、それで……」
「ヴィルシュタイン家のお茶の間に絶賛生放送中さ。ほら見ごらん」
俺は門柱の上にある水晶ランプを指差した。そこには『オンエア』の文字が浮かんでいる。昨日のうちに仕込んでおいたのだ。
「まぁ? あれで中継中だとわかるのですね」
「そゆこと。映りたくない場合もあるだろう?」
魔法で旅の様子をヴィルシュタイン家のお嬢様方やチュウタに見せるといっても、24時間生放送ではない。
今のような発進シーンや、空中散歩の映像、あるいは異国の風景など、いい感じのところを切り取って見せるのだ。それ以外の例えば危険なシーンや都合の悪い場面は基本的には放送しない。これはプライバシーの保護と、仕事上の都合によるものだ。
上昇しおよそ15メルテの高さまで浮上する。まずは三日月池の上空を飛び、ヴィルシュタイン家の上を旋回する。
館の中から、身支度を終えたプラムとヘムペローザ、ラーナが庭先に出てきた。
「お家が空を飛んでるのデース」
「賢者にょー、朝から出発かにょー?」
「ご苦労様なのですー」
慣れっこのプラムやヘムペローザは、取り立てて感動もない。だが、チュウタが養子に行ったヴィルシュタイン家の屋根が見えると、ちょっとテンションが上昇した。
「にょほ、チュウタの新しい家だにょ」
「おーい、チュウター起きてるですー?」
庭先でヴィルシュタイン家に向けて手を振る。
と、その時。
「賢者ググレカス、大変ですわ!」
「な、なんだメティ」
「視聴者数……ゼロ! 誰も……今の発進シーンを見ていませんわ!」
「な、なにぃ!?」
これは想定外だ。早朝すぎたのか、あるいは朝の支度で忙しいのか………。ヴィルシュタイン家では『幻灯投影魔法具』で映像を見ていないようだ。
ちなみに、昨日ヴィルシュタイン家のご令嬢に手渡した中継用の水晶は、魔力波動の変化具合で「相手が受像しているか」分かる仕組みになっている。
「どうなさいます? 賢者ググレカス」
「うーん。……仕方ない。しばらくヴィルシュタイン家の上空を旋回しよう」
「え、えぇ!? やめなよググレ」
レントミアが呆れ顔だが、なんの挨拶もなしに出発したと後で言われるよりはいい。ここはしつこくグルグルと旋回し続けよう。
「起きて俺達の館に向かって手を振るまでの間だけさ」
「もぅ、粘着的ですわね……」
シュゴー……と『樽』の吹き出す空気の向きを変え、大きなヴィルシュタイン卿の屋敷の上空スレスレの低空を、何度も旋回する。
やがて、チュウタも含めたヴィルシュタイン卿のご家族が窓を開け、バルコニーに飛び出してきた。
空を見上げて笑顔で手を振ってくれのは、5回ほど屋敷の上空を旋回した後だった。
「よし、これで心残りはない。では一路……ティバラギー村へ!」
<つづく>




