リオラ、初めての反乱
「みんな、俺と来てくれるな!」
エルゴノートは自信に満ちた表情で俺達に向かって手のひらを差し出した。
手を重ねればそれは誓いの合図だ。意を共にする者が互いの無事を祈り旅に赴く。これは冒険に行くときのゲン担ぎだ。
勇者エルゴノートが誘う旅は、メタノシュタットの最東端、港町の食料と魚を狙う魔王の残党を倒すクエストらしい。
「人々が困っているのであれば……捨て置ける理由は無いな」
はじめに立ち上がり、エルゴノートに手を重ねたのはファリアだった。躊躇うことなくガッシと手を重ねる。
最も長い時間をエルゴノートを過ごしてきた女戦士の瞳には迷いは無い。
「……拙者もいくでござる。鍛錬と修行、そして人々を救うためとあらば……」
ルゥも幾分緊張した顔つきで、凛々しく背筋を伸ばしたまま手を重ねる。
だがその言葉には何故か自分に言い聞かせるような響きを含んでいた。ルゥは何かを言いたげに、俺のほうにチラリと目線をよこした。
「――レントミア、君の力が必要だ。邪悪な魔法に対抗できるのは、俺たちのなかでは君だけなんだ」
エルゴノートが一段と高らかな声をかけ、レントミアをじっと見つめた。
エルゴノートの誘いをうけたハーエルフは、唇を僅かに動かし、かすれるような声で、
「ボ、ボクは……行けない。ググレと約束が……」
とつぶやいた。
その声はいつもの自信に満ちた輝きをもつハーフエルフのものとは思えないほどに弱々しいものだった。
「だが……、俺達にはレントミアの力が必要なんだ」
エルゴノートが再び静かな声で、諭すようにレントミアに言葉を投げかけた。
レントミアは俺に戸惑いの目線を向けてくるが、俺は口を聞けなかった。これは自分が決めなければならないことだからだ。そもそも、俺に協力をしてくれているのはレントミアの自由意志なのだ。引き止めたいのは山々だが……決めるのはレントミアだ。
周囲の時間が止まったかのように静寂が満ちる。だが――、エルゴノートの言葉には何か抗えないような魔力が篭められているようだった。
若草色の髪を揺らし、ハーフエルフの少年が一歩足を踏み出した。一瞬だけ俺のほうを振り返るが、想いを断ち切るかのように歩き出し、そっと小さな手を勇者に重ねた。
「わかった。行くよ、エルゴノート」
「ありがとうレントミア!」
ぎゅっ……と胸が押しつぶされそうな感覚に襲われた。
――ボク達は友達だよね!
そんなふうに眩しい笑みを漏らす美しい横顔のハーフエルフが、手の届かないところに行ってしまう、そんな風に思えたのだ。
――レントミア……。
「マニュフェルノ、君の癒しの力が無いと本当に困るんだ。来てもらえないか?」
「困惑。わたしは……その、あの……」
「マニュがここを気に入っているのは知っている。だから、また旅を終えたら戻ってくればいいさ」
「居候。わたしはググレ君のお屋敷の居候……とても楽しくて、ずっとここに居たいとさえおもう。けれど……皆も大事だし、心配。怪我を直せるのは私だけだから……」
「マニュ……」
「同意。わたしも、いきます」
こく、と頷いて、マニュフェルノも参加を了承する。
「ググレカス! 君も来てくれるんだろう?」
エルゴノートは明るい笑みを浮かべて、金色の眩しい瞳を俺の方に向けた。だが、その視線は何故か俺を射竦めているように感じられた。
拳を握り締めたまま、顔を下げて、小さく震えてしまう。
――俺は……冒険には行けない。
そう言ってしまえば、仲間達との絆が消えてしまうんじゃないのか。と空恐ろしくなる。本当はそんな程度で消えてしまう絆では無いはずなのに……。
だが、俺の後ろで固唾を呑んで事の成り行きを見守っているプラムとヘムペローザ、そして双子の兄妹を置いてはいけないのだ。
俺は、たった一人の反乱を決意する。
「すまない、エルゴノート。……俺は今、どうしてもやりたい事があるんだ」
俺は辛うじて声を絞り出した。
勇者は穏やかな顔のまま僅かに瞳を細め、そして、
「それは……、苦しんでいる人々を救う事よりも大切な事なのか?」
重い一言が俺の心をえぐる。
俺のやりたい事、それはつまり、プラムの命を救う薬の合成し治療に入る事だ。しかし、それは果たして本当に理にかなった選択なのだろうか?
自らが興味本位で作り出した命を、本来はこの世界には生まれないはずの命を、更にはそれを延命させようと奔走している自分……。
世界の「理」を捻じ曲げつづけること。
それは本当に、苦しんでいる人々を救う事よりも大切なのだろうか?
エルゴノートはじっと俺の答えを待っていた。
だが、もとより俺の答えは決まっているのだ。
キョディッティルの森での苦難を越え、そして謎の予言とやらに惑わされそうになっても尚、俺は……やっぱりこの小さな命が大切なのだ。
「好きだと言ってくれた女の子を救う。これが……何よりも大事な今の俺の……賢者の仕事なんだ」
俺はきっぱりと宣言し、傍らのプラムの頭をガッシと掴んだ。
「ググレさまー?」
緋色の瞳をまたたかせて、くすぐったそうに笑みを漏らす。
「心配するな、俺は旅には行かない。お前を治すまでは、な」
「グ、ググレさま……おともだちと……いかなくていいのですか? プラムは……プラムはお留守番も全然平気……なのですよー!?」
健気なことをいうプラムに俺は少し驚いた。体と共に、心も少しは成長しているのだろうか?
「にょほほ、賢者にょ、夕べこやつが『いつググレさまが帰って来るのですかー?』 と半泣きでリオ姉ぇを困らせておったこと、知らぬのじゃろう」
「そ、そうなのか? プラム」
「へ、ヘムペロちゃん、それは言わない約束なのですー……!」
「素直に喜べばいいじゃろうにょ、プラム」
今や心の友となったヘムペローザの言葉に、プラムはてへっとふにゃけた笑みを零した。
「――は、ははは! いい。いいぞググレ、おまえらしいじゃないか。そうだ……それでいいんだ。その答えを待っていたんだ。お前は……以前と変わらない賢者、ググレカスだよ!」
「……? エルゴノート」
俺は勇者の言葉の意味を図りかねた。
「メタノシュタットには心を惑わす魍魎が蠢いているのさ。ググレも……気をつけることだ」
――まさか見透かしているのか? クリスタニアやメティウス姫の事を……。
「まぁ、実のところ今回はそれほど強敵では無いと俺は踏んでいる。港町を襲っているのは――魔王軍を率いた十二魔将軍の一人キュルプノスの……、手下だった連中らしい」
エルゴノートが、話題を変える。
「三下……だね」
レントミアも緊張が解けたのか、くすっと笑う。
十二魔将軍は、魔王軍の幹部軍団で、悪魔神官ヘムペローザの部下の実働部隊だ。そのさらに手下ともなれば、俺の賢者の力が無くても窮地に陥ることは無いだろう。
「少年! 君も来ないか?」
不意にエルゴノートがイオラに声をかけた。
「!? で……でも、俺なんか……」
「誰だって最初は小さくて怖い。だが、俺達と一緒なら何も恐れる必要は無い、修行だと思ってついてくればいい!」
説得力と勢いのある勇者の言葉にイオラは戸惑っているようで、俺の方に同意を求めるように目線を向けてきた。世話になっている館の主の同意を得ようという考えが回るだけ、イオラも成長したなと感慨深い。
――イオラが行きたいと望む道を、行けばいいさ。
俺は無言で首肯する。ぱっと笑顔を浮かべたイオラは、勢いよく勇者たちのパーティに手を重ねた。
「よし、今回はこのメンバーでいこう!」
「ま、待ってください勇者さま、リオも……妹も一緒に」
「妹さんも? あぁ! 構わないぞ!」
はっは! と勇者が笑う。
だが、妹のリオラはキッチンの壁を背にしたまま、声も発せず、動かなかった。
「リオ――!」
双子の兄が明るい声で呼ぶ。だが、リオラは首を横に振った。
「わたしは……行かない」
「リ……オ?」
イオラが驚き目を丸くする。どんな時も片時も離れようとしなかった双子の兄妹の、それは初めての違う選択だった。
これはつまり、俺とリオラの「初めての反乱」だったのかもしれない。
<つづく>