チュウタ、旅立ちの朝
【さくしゃよりのおしらせ】
更新が遅れてすみません。
今回は「チュウタ」君目線の三人称形式となります。
◇
旅立ちの時は、あっさりとやってきた。
夏とはいえ、朝の空気はひんやりとして冷たい。朝もやの立ち込める三日月池には、低く斜めに差し込む光が静かに揺れている。
湿った水の匂いと、都会の喧騒を忘れそうになる森と、小鳥たちのさえずりに足を止める。それはチュウタ――アルゴート元王子にとっては、砂漠のオアシスの辺りを、兄たちと散歩していた懐かしい日々を思い起こさせた。
――もう、オアシスには帰れないのかな。
つい、そんなことを想う。
物憂げな赤銅色の瞳には、空と湖が映っている。やや褐色や赤茶色の髪は、かつて勇者と呼ばれた兄、エルゴノートとの共通点としてチュウタの密かな誇りでもあった。
これからもそれは心の奥底に閉じ込めて、生きていかねばならい。
誰も自分を知る人など居ない、新しい家族のもとで。
「お迎えにあがりました、チュウタ様でございますね?」
湖畔に建つ「賢者の館」の前には、黒塗りの二頭立ての馬車が停車していた。
馬車から降り立った黒い執事服を身に着けた白髪頭の老紳士が、穏やかな声で確かめる。温厚そうな笑みを浮かべて腰を曲げ、背の低いチュウタの目線に合わせて。
「はい」
「良いお返事でございます。では、参りましょう。旦那様――ヴィルシュタイン卿がお待ちにございます。それに、新しい家族になられる奥様や、お嬢様たちもチュウタ様がおいでになるのを、たのしみにしておいでです」
立派な馬車の客室の側面には「剣と盾」それに16個の星が彫り込まれた金属レリーフが飾られている。それは、メタノシュタット王国が誇る騎士団の最高位、『神託の16騎士』の馬車であることを示すものだ。
これからチュウタは、養子として騎士団長ヴィルシュタインの家に迎え入れられ、騎士を目指すことになる。
努力を重ねて成長し王国の騎士となることはもちろん、勇者の証でもある「宝剣の使い手」として期待されての事だというのは、チュウタも理解していた。
――兄上も、きっと喜んでくれるはず……だよね。
今はそう考えるしか無かった。
「平気。つらくない?」
「あ、はい……大丈夫です」
「実家。ここにいつでも戻ってきていいよ、ね」
「ありがとうございます、マニュフェルノさん」
――ぐぅ兄さまの奥さんでいつも優しいマニュフェルノさん。美人で胸が大きくて、ちょっとドキドキしてしまいます。だけど何故か……時々僕にこっそり女の子の格好をさせようとする困った人。けれど、好き。
「美味しいもの食べられるといいね」
「リオラさんのパンが食べられなくなるのは、寂しいです」
「うぅ、そんな可愛いこと言うと泣きそうになるよ」
ぐすっと、すすり泣くリオラさん。
「イオがいなくなってから、焦がしたパンの処分がずっと私一人だったの。チュウタがきてくれて嬉しかったのに」
「僕も処分係だったんですもんね」
――可愛いお姉さん、リオラさん。いつも元気でパン焼きが上手。一度、食料倉庫で小麦の袋をボスボス殴っているのを見たことは内緒にしておきますね……。
「騎士の剣術の修行は、また一からでござる。拙者が教えた野戦向きの剣術とは違うでござる。けれど役にたつでござるよ。なんにせよ鍛錬、鍛錬でござる」
「わかりました、ルゥ師匠」
――英雄の一人、剣士ルゥローニィ師匠。とにかく強くてカッコイイ。でも、耳が可愛いです。それと……あまり覚えていないけど、僕がネズミだった頃、追い掛けられたことがあるらしいです。
奥さんのスピアルノさんと、いつも大騒ぎだった四人の子ども達とも抱き合って、別れを惜しむ。
「チュウタ、さよならですねー……」
「兄さまが一人、居なくなるのは寂しいデース」
「さ、寂しいとか、思ったほうが負けにょ……うぅ……」
「……その……元気でね」
気の利いた言葉が思い浮かばなかった。
涙を堪えるのに必死で、唇を噛んで笑顔を作る。
館で過ごした時間。その思い出の大半は、プラムとヘムペローザ、ラーナと過ごした時間だった。
プラムは人間に戻った瞬間からとても喜んでくれた。昔からの友達のように接してくれたことがとても嬉しかった。
ラーナは一人で歌ったり、スライムと語り合ったりする不思議な子だった。けれど可愛い妹みたいで、よく手を繋いでいた。
ヘムペローザはちょっとヒネたところがあるけれど、「しょーがないにょー」といいながら結局は、とてもよくしてくれた。
――ずっと、みんなと一緒にいられたら良かったのにな……。
短い間だったけれど、煩いくらいのおしゃべりと、たくさんの笑顔。そして隠していたお菓子を分けてくれた、秘密の時間。
その時間はとても嬉しくて、楽しくて――。
「……たのしかった。またいつか……」
一緒に。
と、言いかけてチュウタは言葉を飲み込む。
騎士団長ヴィルシュタインの屋敷へ行けば、もう、ここに来ることなど無いのだろう。
遠く離れた場所で、新しい家族と暮らすことになるのだから。
「チュウタさま!」
「妖精さん!」
と、妖精がひらひらと飛んできて、急停止。きれいな妖精の姿に、迎えに来ていた執事長や、馬車の御者さえも感嘆の声を漏らす。
「もう、遅いですわ賢者ググレカス!」
どたばたと館の奥から、Tシャツにズボン姿の、まるで寝起きのようなググレカスが現れた。黒髪にメガネの冴えない青年、と言った風にも見える。その姿は兄、エルゴノートの雄々しさとは正反対だ。
けれど、今はチュウタにとってとても頼れる存在。自分の正体を知る保護者――ぐぅ兄さまだ。
「あぁ、すまないチュウタ! 餞別をラボで造っていてね、徹夜で……なんとか、間に合ったみたいだ!」
「ふぁ……僕も一晩中付き合わされたよ」
後ろからは、すたすたとハーフエルフのレントミアもやってきた。眠そうで、エルフ耳が下がっている。
ググレカスは銀色の腕飾りを差し出すと、チュウタの腕にカチリと嵌めた。
「おぉ、ピッタリだなチュウタ」
「ぐぅ兄さま、これは?」
「魔法の通信道具さ。何か困った事があったら知らせてくれ。でもこれは、新しい家では内緒だぞ?」
小声で言うググレカス。その表情は時折見せる、いたずらっ子のようだ。
「それとねー、対呪詛術式とかいろいろ仕込んでさ……、いろいろなお守りの役目もあるよ」
レントミアがあくびをする。
「対じゅそ……? まほうのお守り、ありがとうございます!」
「じゃぁ頑張れよ! チュウタ。それとな……」
「……ぐぅ兄ぃさま?」
ググレカスは何かを言いかけて、ニッと笑う。そして頭をなでてから、ぎゅっとハグをした。家族たちともそれぞれ別れのハグを交わす。
そして、いよいよ出立の時が来た。
執事長に促され、チュウタは馬車へと乗り込んだ。
みんなが庭先で手を振るなか、馬車はゆっくりと動き出した。
「祝福。前途に良き風がふきますように」
「さよなら、元気で!」
「また遊べるのですー!」
「学舎にくるのじゃぞー」
庭先では、色とりどりの館スライムたちがピョンピョンと跳ねている。
「さよなら……! さよならみんな! 元気で……」
徐々に遠ざかってゆく、手を振る皆の笑顔。そして賢者の館――。
呪いをかけられ、この館へと送り込まれた頃の記憶は殆ど無い。あるのは、長い眠りから目覚めたら、ここにいて。そして、皆がずっといてくれたこと。
火の絶えない暖炉、美味しいご飯、温かいベッド。
そして目を見張るような凄い魔法と、不思議なスライムたちと暮らす家には、数々の冒険と、ドキドキと、楽しい毎日があった。
「ぐぅ兄さま……」
ポタリ、となみだがこぼれ落ちた。
銀の腕輪は、ずっとつながっている証だという。
けれど――
欲しいのはこれじゃない。
森で、カブトムシを一緒に探した時間、ヘンテコ魔導車を造って乗り回した時間。
それはとても輝くもので、また欲しいと願う。
もう、会えないかもしれないけれど。
と、馬車は道を曲がると速度を落とした。出発してからまだ五分も経っていない。
「……?」
「チュウタさま、着きましたよ」
執事長が御者席からニコニコとした笑顔を向けてそう言うと、停めさせた。
「……えっ?」
驚いて涙を拭うチュウタ。周りの景色は森と、見慣れた三日月池。さっきと殆ど変わっていない。違うのは、広い敷地と綺麗な花の咲き誇る庭。そして、白い邸宅があることだ。
「こちらが、ヴィルシュタイン卿の邸宅にございます。いやはや、お隣とは」
「えっ! えっ!? と、となり!? って……あ! このお屋敷、ボート遊びしていて見えていた……」
チュウタは馬車から飛び降りて、目を大きくしてあたりを見回す。
「ググレカス様もお人が悪……あ、いや失礼」
執事長がクスクスと笑い、コホンと咳払いをして背筋を伸ばす。
「これからは、この邸宅がお住いです。ですが……自由時間は、ご友人とすぐに会えそうですな」
「……はいっ!」
涙が笑顔に変わる。
邸宅の方からきれいなマダムと、チュウタよりも年上の姉そして妹らしい女の子が姿を見せた。
「まぁ……! いらっしゃい!」
「この子がそうなの? ま、まぁまぁね……!」
「あたらしくお兄様になる……おかたですか?」
チュウタは背筋を伸ばし、一礼をする。
「はい! チュウタといいます。よろしくお願いします!」
それは、澄み渡った夏空のような笑顔で。
<おしまい>
【作者よりのおしらせ】
ここのところ多忙で更新が遅れ、ご心配をおかけしております。
5/17から、新章突入です!




