★賢者の印
「よくぞ我が試練を乗り越えた……、見事であった」
俺は笑みを浮かべながら、自分の胸元でポカンを口をあけたまま驚きの表情を浮かべる少年――イオラの頭をぽん、と撫でた。
イオラは、まだ何が起こったかを理解していないのか、目をぱちぱちと瞬かせる。
周囲の空間は、最初に居た客間に戻っている。
窓からは爽やかな風がふわりと吹き込んで、優しい小鳥のさえずりが通り過ぎてゆく。
もちろん俺の姿も『似非魔王』から、本来の賢者姿に戻っている。
イオラとリオラは俺が与えた『賢者の試練』を打ち破った。
妹の命か、魔王を撃ち破る剣か――。
その究極の選択の答えは、どちらも救う、というのが満点の回答だ。
勇者たるもの、常識と限界を超え不可能を可能にしなければならないからだ。
すくなくともあの男――ディカマランの6英雄を率いた勇者、エルゴノート・リカルはそうだった。
――まぁ、妹の方が覚醒するというのは、想定外だったが……。
ちなみに、魔王を倒す剣を手に取り、妹を見捨てた場合は即、不合格。
電撃を食らわせ、屋敷から追い出すつもりだった。
逆に、妹を助ける選択をした場合。
つまりは魔王を倒す機会を逃した場合も、不合格。優しさだけでは世界を救えない。勇者たる資格は無いのだ。せいぜい世界の片隅でイチャイチャしていればいいさ。……ギリッ。
「はぅうう……おねーちゃん、すべすべなのですぅううう~!」
「きゃぁああ!? もういい加減離れてくださいい!?」
俺とイオラから少し離れたテーブルの脇で、リオラの太ももに頬ずりしながら絡みつくアホメイド・プラムの姿があった。
モンスターの姿でリオラを触手攻め、途中からは完全に趣味の世界で恍惚としていた不埒なヤツだ。うらやま……いや、後でお仕置きだ。
悲鳴を上げるリオラは、触手攻めを撃ち破ったあの力が嘘のように、涙目でプラムを引き剥がそうと必死の様子だ。
「やめんかプラム!」
「ぎゃん!?」
ごち、と鈍い音を立てて俺のこぶしがプラムの頭頂部を直撃する。
「いいい、痛い! ――はっ!? ……プラムは今まで何をしていたのですかぁ!?」
きょりょきょろと頭を押さえながら辺りを見回すプラム。
「嘘をつくな! 姿を変えただけで記憶が跳ぶわけないだろう!?」
「……てへっ☆」
ぺろ、と舌を出す笑顔がとっても腹立たしい。
俺が作り出した人造生命体とはいえ、なんでこうなんだ?
「大丈夫かリオ!」
「う、うん。平気」
リオラの元に駆け寄ったイオラが、涙目のまま座り込む妹の頬に手を添えて、無事を確かめている。
安堵と、ほんのり甘い空気が伝わってきて、なんというか……その、うらやましい。
まぁ、『勇者』試験も合格したのだし、さっさとお引取りいただこう。
「うむ、と言うわけで君たちは合――」
「やいてめぇコラ賢者! いきなり何てことしやがるんだ! まさか本物の魔王か!?」
「いや……イオラ君……あのね?」
イオラがぎりりといきり立つ。
――コイツ……、理解してねぇ!?
俺は思わず、あぁ、と呻いて眉間を押さえた。
仮想空間を展開し、俺が魔王を演じて見せた勇者の試練を、イオラはいまいち飲み込めていないようだった。
勇者になるには知性が幾分不足しているような気がする。
「イオラ、賢者様は私達に試練を……」
「リオラは黙ってろ! コイツが賢者ってのは嘘でタコ女とグルの魔物――ぐふっ」
イオラがバタリと倒れこみ動かなくなる。
妹の容赦ない鉄拳が兄の腹をえぐっている。肺の空気を全部吐き出せ、と言わんばかりの見事な一撃。
「わぁ、おにーさん、また死んだのですかー?」
プラムが面白そうにイオラをつつく。今度も返事が無い。ただの屍のようだ。
「すみません賢者様。イオラには後で私から説明します……」
「あ……あぁ、そうしてもらえると助かるな」
申し訳なさそうに平身低頭する妹に、俺は軽く微笑み返した。
ぽっと頬を染めるリオラ。
――あぁ、可愛い。
もういっそ俺の妹になって欲しい!
なんて言える筈も無い俺は、いつもの賢者顔に戻り、
「そ、それはそうと、リオラ。君の冷静な状況判断能力と爆発力はかなりのものだ。イオラは確かにスピード、パワー、そして勇気もある。鍛えていけば、おそらく勇者として成長してゆくだろう。だが、いまいち……その」
俺はそこで言い淀んだ。
「くす……兄はすこしアホなので、私がしっかり支えていきます」
リオラの口元が柔らかくほころぶ。
なんて可憐で賢くていい子なんだ! 妹の鏡、キングオブワールド妹級だ。
「うむ……、では君たちに試練を乗り越えた証として、これを授けよう――」
俺は部屋の隅にある宝箱から、二つの宝石を取り出しリオラに手渡した。
それは水晶を加工した小さなペンダントだ。色は青みがかった透明なものと、少し紅色の水晶の二つ。
かつて、俺が冒険した海底洞窟シル=タレールで手に入れたものだ。
聖なる力を帯びたアイテムだが、効果は気休め程度。だが、成長してゆくこの子たちにとっては十分効果はあるだろう。
「これは『勇気のしるし』と『慈愛の滴』という宝石だ。それぞれ恐怖に打ち勝つ心と、癒しの力を与えてくれる。身につけていれば怖い夢も見なくなるさ」
「わぁ……! 綺麗!」
「きれいなのです! ググレ様からのプレゼント、いいなー、なのです~!」
リオラが目をまるくする。
プラムも興味深げにそれを横から覗き込む。
やはり宝石に惹かれるのは女の子なら共通らしい。
だが、足元で昏睡しているイオラを踏んづけている足はどかした方がいいぞ、プラム。
「それは、二つが離れると、互いの位置を示すように光を放つ効果もある。……君たちにピッタリだろう」
「素敵……!」
ちなみに、俺にこのアイテムの出番は無かった。
……使い道が無くて悪かったな!
「それが、試練を乗り越えた『賢者の印』だよ」
「賢者様! ありがとうございます……!」
「だが、忘れないで欲しい。勇者になるかどうか、なれるかどうかは君とイオラ次第だ。それは自分たちで決めてゆくものだ。私は……導き手に過ぎないのだから」
俺の言葉の意味を聞いていたリオラは、やがて受け取った宝石のペンダントを大事そうに握り締め、大きく頷いた。
ふっきれたような笑顔を浮かべるリオラの美しい栗色の髪が揺れた。
こうして――
兄妹は『勇者の印』を手に入れることができた。
それは、あくまでも勇者になるための試験を合格した、という俺の気の効いたプレゼントだ。
本当の勇者になれるかは、後は本人次第なのだが。
まぁ、感動のアイテムゲットの場面では肝心のイオラが気を失ったままだったのは残念だったが、説明するのに時間がかかりそうなので良かったかもしれない。
「また、遊びに来てくださいなのですー!」
プラムが屋敷の外まで二人二手を振るのを、俺は自分の書斎から見送った。
イオラとリオラは、近くの村に住んでいるらしかった。
また会う機会もあるだろう。
――まぁ、こういうのも悪くない。
読みかけだった手元の古代図書に視線を落とす。
俺の書斎に静かな時間が戻ってきた。
だが、すぐに俺は窓の外を眺めた。
外ではプラムが飽きもせずにチョウを追いかけ始めていた。
――俺は少し、屋敷に引きこもり過ぎたのだろうか?
自嘲気味な笑みを漏らす。
なぜなら、他人との会話が楽しいと感じたのは久しぶりのことだったからだ。
<つづく>