★多分、これが賢者のハーレム
数多くの謎と陰謀を孕みながら、メタノシュタットの戦勝記念パーティは終わりを告げた。
ググレカスら一行は賢者の館へと戻り、留守番組のイオラとリオラ、そしてプラムやヘムペローザと再会した――
◇
この世界に来て何度目の朝だろうか?
お前は今までに食ったパンの枚数を覚えているのか? なんて聞かれたら困るのだが、何度目の朝かなんて正確には覚えていない。けれど、少なくともエルゴノート達と過ごした二年半近くの冒険の日々と、この館に住み始めた数ヶ月……、つまり丸三年程はこの世界の太陽が昇るのを見てきたことになる。
だが、こんなに気持ちのいい朝は初めてだ。
今朝は窓が白く曇るほどに寒い朝だというのに、毛布の中は家ネコを抱いて寝ている時のようなほわほわとした感触と、抱き枕のような感触と暖かさが相まって快適だ。なんというか経験した事のない心地よさだ。
もういっそ、このまま夢と現の狭間をまどろんでいたい……。
と、ノックの後に続いて部屋のドアが開き、誰かが入ってきた。
「――朝ですよ、賢者さま」
済んだ声色で俺は覚醒へと誘われた。
まるで春の日差しみたいに柔らかくて、ほっこりと心に染み渡る少女の声だ。
寝ぼけ眼を擦りながら「その姿」を見たとき、これはまだ夢の中か……? と、我が目を疑った。
なぜなら俺の寝台の脇には、エプロン姿のリオラがオタマを持った手を腰に当てて、はにかんだような笑みを浮かべているからだ。
「おきてください賢者さま、せっかく作ったスープ、冷めちゃいますから」
なんて。
リオラのエプロン姿で起こされるなんて、ハーレムラノベの主人公か俺は? ハハハ。
「もう! 寝ぼけてないで……おきて……ください……よっ!」
続いてがばあっ! と毛布が剥ぎ取られる。朝の冷たい空気に一気に身が縮みあがる。俺は思わず「ひあっ!?」なんて声を上げる。
おぉ! これも定番だよな! 俺は生きている間に一度でいいからこういう経験をしたかったんだよ……。なんて、思わず感涙にむせび泣きそうになる。
と――、
「きゃ……!? す、すみません、ごめんなさい!」
続くリオラの小さな悲鳴。
あ、そうそうこれも定番だ。俺の朝の股間は、メタノシュタットの尖塔みたいだよね……って!?
「あッ!? リ、リオラ、ちょっ……ごめ! 俺も男だし、朝はどうしても……」
わたわたと慌てふためきたいところだが、何故か俺の身は動かなかった。金縛りかと思ったが左右から生暖かい感触がぎゅっと俺を押さえ込んでいる。
……嫌な予感しかしない。
「うーん? ……ググレ……おはよ」
「拙者はまだ……眠いでござる……にゃ……」
「ちょっ!? おま、おまえらあああああぁ!?」
俺の左側にはレントミアがぎゅっとしがみついていた。腕と脚を絡めて抱きついているので身動きが取れない。更に右腕には家ネコ……いや、若干サイズが大きいネコ耳少年のルゥローニィが丸くなってへばりついている。しかも俺の方に尻を向けてだ。
両手に……花、もとい、どっちも男じゃないかアッー!? ここせはせめてプラムとヘムペローザじゃないのかよ神様!?
「こ、こら離れろ、起きろ!」
夕べ俺は疲れて爆睡してしまったらしいが、夢の中で暖かい何かに包まれて天国に行くみたいな心地だった。……寝込みを襲われたのか俺は。
「ん……ダメ、もうすこしこのまま寝かせて……」
「拙者、寒くなると朝がダメのようでござる……」
ふたりはもぞもぞと俺に身体をこすり付けてくる。身をよじるとハーフエルフの抱擁が益々きつくなった。
「あっ、やめ……!」
「……。では賢者さま、食堂でお待ちしております」
リオラの声が真冬のような声色に変わっていた。
剥ぎ取った毛布をそっと元に戻すと、光彩の失せた瞳で俺を一瞥。双子の妹はペコリとお辞儀をして、すっと部屋を出て行ってしまった。
「ちょっリオラ!? これは違ッ……!」
そういえば夕べ、俺が兄のイオラと話をしていた時のことだ。リオラがスッと間に割って入ってきたのだ。てっきり俺は「兄とじゃなく、私とおしゃべりしてくださいよ……!」という可愛いアピールだと思っていたのだが――。これはもしかすると「賢者の毒牙から兄を守らなきゃ」という悲壮な決意の現われだったのか!? なんだか俺、ものすごく誤解されてるんじゃないのか?
「これが……ハーレムか。ハ、ハハ」
乾いた笑いが口をついて溢れてくる。俺の「ハーレム」はここらが限界のようだな……。
◇
「ググレさま! ググレさま! おはようなのですー!」
俺がキッチンへ現れると、プラムが勢いよく飛びついてきた。
しばらく逢っていなかった気もするが、離れていたのは僅か一晩ほどだ。思わずその小さな肩をぎゅっと抱きしめる。
「おはよう、プラム。……お? 髪を綺麗にしてもらったのか」
「はいなのですー! リオ姉ぇに綺麗にしてもらいましたのですー」
にへっと嬉しそうに笑うプラムの長い赤毛は、綺麗に梳かれていた。プラムの柔らかな髪を、首の後ろから肩にかけて指を滑らせる。指どおりはなめらかで心地のよいさわり心地だ。
テキパキと家事をこなし、プラムやヘムペローザの面倒も見れるリオラは歳も若いのにすごいなと感心する。本当にお嫁さんにするならこういう娘がいいなぁ……。
「あ、ありがとうな、リオラ」
「いえ」
硬い笑みに短い返事。うん、嫁以前にリオラとの距離が開いてしまった気がするな……。かといって俺がリオラと親しくするにはどうすればいいんだろう? プラムぐらいの歳の子なら扱いは大分慣れたものだし、苦手だった同い年の女子もマニュのおかげで大分克服したと思う。
けれど少し年下の、妹みたいな年頃の女の子って……難しいな。
と、気がつくとテーブルの俺の席で、黒髪の少女がパンをかじっていた。
「にょふほふほふ? 起きてこないならワシがお前の分まで食うところだったにょ」
「てか、もう食ってるじゃないか!」
朝の日差しの差し込むキッチンでヘムペロに突っ込みをいれる俺。朝の日課だな。
俺のサンドイッチには見事な歯型がついていた。思わずヘムペローザの頭をワシ掴みにして顔をシェイクしてやる。
「にょほぉ!? 育ち盛りのワシに食わすのは……大人の役目じゃろうがぁ」
「黙れこのアホゥ」
「平常。今朝もググレくんは平常運転……」
茶をすすりながら、眼鏡を光らせるマニュフェルノは落ち着き払った様子だ。
なんだか肌艶がいいのは、マニュも「僧侶エネルギー」を充填したからか? ちなみにここでいうマニュの僧侶エネルギーとは、BL系の妄想のネタを大量に仕入れる事で得られる満足感のことらしい。
まぁ城では押し寄せるイケメン紳士に、レントミアと美形ハーフエルフ青年のダンスやら、ネタの宝庫だったのだろうな。
「拙者……朝の修行を怠ってしまったでござるよ」
後悔しきり、と言った顔のルゥが溜息をつきながらキッチンに現れた。
「別に今からすればいいだろう?」
「それはそうでござるが、朝決まった時間に起きるのが一つの鍛錬でござる! 夕べは……暖炉と賢者殿の体温のおかげで、思わず寝落ちしてしまったでござる」
「節度。ググレくん……すこしは節度をもって」
「何のだよ!? 夕べはレントミアも一緒だったんだ、別にお前が考えているような事は何もしてないからな……」
「混乱。三人!? 誰が……攻め? え? ググレくんちゃんと説明して!」
ターンと鼻息も荒くお茶の入ったカップをテーブルに叩きつけるマニュ。
あぁ、お前の汚れたピンク色の脳みそも朝から平常運転みたいだな。
「おはよう、ググレ。朝から賑やかで楽しい屋敷だなここは」
食卓にファリアがやってきた。意外な事に街の娘が着る様な平服姿だ。緩やかなラインのゆったりとした服装だ。なんだ、普通の服も持ってるんじゃないか。
ルーデンス特有の銀色の髪は片方の耳の横で緩やかに一つにまとめられていて、スッキリとした首筋と顎のラインに思わず目がいってしまう。
ボリュームのある身体つきは、女戦士である事を忘れてしまいそうだった。って朝から俺はなんて事を考えているんだよ。
「ファリアよく眠れたか、……あ!」
「な、なんだ?」
ファリアは自分の服装がおかしいのかと思ったらしく、はっとして自分の姿を見回している。いや、違うんだ。
「すまん、山羊のチーズを切らしていた。お前の『よい筋肉を作る食材』なんだよな……」
「あ、あぁ? そ、それは構わない。今日食えない分は、後で食う時に補えばいいさ」
ファリアは良質なたんぱく質を摂取しないとダメな体質らしい。冒険の最中も一番の悩みは兵站(※補給、食料などの物資)が途切れる事だった。
考えてみれば、今日からしばらくは大人数だし、調達しないと食べ物はすぐに底をつくだろう。これは少し考えないといかんな……。
「ファリアさん、今日も午前中は稽古をつけてもらってもいいですか?」
たたっ、と勢いよく駆け込んできたかと思えば、背筋を伸ばして一礼。そして訓練の依頼をしているのはイオラだ。
すっかり弟子みたいだな。
「もちろんいいぞ。少年」
ファリアは気持ちのいい笑みを浮かべて、イオラの肩をぽんと叩く。
そうだよ、この感じだ。
よし、俺もリオラに……。
「リ、リオラは俺と……一緒に皿洗いをがんばろうな」
ぽん、とリオラの肩に手を置こうとして……、自分の眼鏡を直してしまった。
「えぇ、賢者さま」
リオラはその様子がおかしかったのか、少し柔らかい笑を俺に向けてくれた。
ちなみに賢者の魔法の一つとして、手の先から「よく洗える泡」を出す事ができる俺は、リオラと共に皿洗い担当をしている。
賢者が自分の館で皿洗い……。威厳もクソもあったもんじゃないが、リオラと会話を交わす数少ないチャンスだからな。
「うーん。今日は、食料やら衣服を買いだしに行かねばなるまいか……」
どのみちメタンシュタットには行こうと思っていた。
冬支度の為に、プラムやヘムペローザ、そして双子の兄妹の衣服や日用品を買うためだ。
それに大量の食料と。
うーん……金がかかるが致し方ないな。
こんなことで悩むのはきっと、平和で安らかな証拠だろう。
そして……もし、チャンスがあれば、だが。
もう一度だけ図書館へいってみたいのだ。
メタノシュタットの城の王立図書館。その最上階の隠されたあの場所へ。
少しだけ、少しだけでいいのだ。一目、メティウス姫の姿を見たい。生きている姿を確認出来ればそれでいい。そうしたら俺は、それで十分だから――。
「ググレ、今日はプラムちゃんの薬の触媒、最後の合成をするんだったよね?」
涼やかで、どこか鋭さを帯びた声が耳に届いた。
「――あ、あぁ! そうだったな」
レントミアの不意の声に、思わず動揺する。
森のような色の瞳は吸い込まれるように深くて、俺を見つめる瞳はまるで全てを見透かしているかのようだった。
確かに俺は、仲間達に伏せたままのメティウス姫との邂逅を話す機会を伺っていた。
だが、これはいい機会だ。実験室で魔法の触媒を合成するのなら、レントミアと二人きりになれる。そこで話そう、相談してしまおう。
と、俺は心に決めた。
「……レントミア、買い物は明日にする。今から俺に付き合ってくれないか? 薬の合成をしながら、実験室でいろいろ相談したい事があるんだ」
「うん! いいよ」
ぱっ、と瞳を輝かせてレントミアが微笑んだ。 朝日に照らされた髪が、艶やかな萌黄色の光を帯びている。
これでいいんだ。一番の友であり師匠であるこのハーフエルフに、まず相談するのだ。
クリスタニアの預言者ウィッキ・ミルンの存在と、囚われの姫、メティウス姫の事を。
その時、屋敷の周りに張り巡らせていた魔力糸が、来訪者の接近を告げた。速い速度での接近は、どうやら馬らしい。それも……かなり大きい馬だ。
――エルゴノート・リカル!?
レントミアも気がついたらしく、ぱっと俺の顔を見て、
「ググレ!」
「あぁ! どうやら勇者様のお出ましだ」
俺の言葉を何かの冗談かと思ったのか、イオラがぽかん、とした顔をしていた。
だが、ここには既に五人のディカマランの英雄が揃っているのだ。
その言葉の意味する事は、おのずと判るだろう。
「え……、えぇ!? 賢者さま、ま、まさか、本……物の? えぇええ!」
「にょ!? イオラ兄ぃ、どうしたのじゃ?」
「イオ兄ぃー?」
イオラが半ばパニクって駆け出すのを追って、プラムとヘムペローザも駆け出した。リオラもその後を追う。
他の面々は、顔を見合わせて、勇者の気配を感じているようだ。
馬は速度を落とし敷地の中へと滑り込むと、ヒヒィンという嘶きとともに止まったようだ。
同時に、鐙を降りた人物の、ガシャリという重々しい音が聞こえた。
それは甲冑と、剣のぶつかる音だった。
――エルゴノートが……武装を?
嬉しいはずの来訪者に、俺は何故か妙な胸騒ぎを覚えていた。
<つづく>
<次回>
胸騒ぎのする来訪、エルゴノートの目的とは?
次回、「賢者の選択」
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