書斎にて ~蔓草の魔法とヘムペローザ~
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ヘムペローザを書斎に誘い、特等席の椅子に座らせる。
書斎の机とセットの椅子は革張りで高級品、読書と仕事で使うものだ。
「良い座り心地じゃにょー」
上機嫌な様子のヘムペローザはお風呂に入る前らしく、自慢の長い黒髪を結い上げている。服装は薄い水色の、ロング丈のワンピース姿でノースリーブ。
膨らみかけた胸の上には、以前あげたペンダントが光っている。刺繍の施されたワンピースの裾から膝小僧を覗かせて、すらりと長い脚をブラブラと伸ばしたり曲げたりしている。
「そりゃぁ、王様からもらった特別な品だもの」
俺は床の上に無造作に積んであった本の上に腰を下ろした。これで視線の高さは同じ。肩に座っていた妖精メティウスが、ふわりと飛んで机上のインク瓶に腰掛けた。静かに俺と弟子の会話を見守っている。
階下の暖炉で使う薪運びはチュウタにお願いしておいた。ランプの灯された書斎にいるのは、俺とヘムペローザ、そして妖精メティウス。それと水色とピンク色の「館スライム」が数匹、ゆっくりと床の上を這っている。
「魔王を倒すと、いろいろと良いことがあるんじゃにょう?」
「ま、まぁな」
「お家を貰って、たくさんの家族に囲まれて、おまけにこんな可愛くて賢い弟子まで出来たんだからにょ」
「はいはい。そうだよ、とても幸せだなぁ」
「にょほほー」
座り心地を確かめながら、にしし……と小生意気な笑みを見せる弟子。
転生前は魔王の配下、悪魔神官だった事はすっかり記憶から消えている。
それは俺の前世、別世界での記憶が無くなってゆくことと同じだ。転生、あるいは肉体の再生による記憶の欠落と消滅は、妖精メティウスも同じ脈絡で考えれば説明がつく。
この世界はどうやら、前世の記憶や人生を「リセット」してくれる、ある意味でとても慈悲深い場所のようだ。
さて、今それはどうでもいい。
「賢者にょを見下ろすと女王様になったような気がするにょ。そういえば……足が疲れたにょ」
サンダルを脱ぎこちらに向けて伸ばしたつま先を、ぱしっと手で受け止める。すこし汗ばんでしっとりとした手触りの少女の足先を、指先でちょいとくすぐってやると、きゃははと笑って椅子の上で飛び跳ねた。
「……で、ヘムペローザ。今更なんだが、蔓草魔法について、一つ教えてほしんだ」
「何を知りたいにょ? 以前、研究室でいろいろと調べたじゃろー?」
「あのときは、『世界樹の種子』の研究だろ? 今夜はヘムペロの蔓草魔法について、すこし知りたいことがあってね」
「ふーん?」
以前この館の研究室では、『世界樹の種』についての発芽実験や研究を行っている。結果は『世界樹の種子、特性解析結果報告書』として、王政府や魔法協会に提出済みだ。
ヘムペローザとレントミア、そしてメティウスの協力で世界樹の種子が持つ、特殊な魔法特性が明らかになっている。
――水晶よりも軽く、優れた魔力吸収発散特性を持つ、再利用可能な魔力蓄積素材。
もし、現行の水晶・輝石ベースの『魔力蓄積機構』と同サイズの物を『世界樹の種子』ベースで製造した場合、重量は半分以下でありながら、倍以上の出力を得られると推測されるほどの、次世代の新素材となり得るものだ。
「世界樹の種子を魔法で『発芽』できたのは、ヘムペロ……お前だけだったよな」
「にょほほ? そーじゃったかにょー」
椅子の背もたれに身を預け、黒髪を耳にかきあげる。
「発芽には特定の魔力の波動が必要なんだ。つまり、蔓草魔法という魔法の波動そのものがね」
次世代の乗り物、『木道魔法交通』の構想をまとめるには、あらためて、蔓草魔法を知る必要がある。
というか、今まで詳しく訊いていない部分があるのだ。
「まず『蔓草魔法』は、ヘムペロの意志でどこまでコントロールできるんだい? ほら、『蔓草の杖』みたいに、実体化させたりする部分さ」
「あー、あれかにょ?」
「そう、あとは種に魔力を注ぎ込んで、種を発芽させたりするじゃないか」
「勘、じゃにょ!」
ふんぞり返ったまま、言い切る。口元から覗く八重歯が光る。
「……発芽させるときは?」
「気合いにょ」
「そうか……。じゃぁ蔓伸ばすときは?」
「頑張るにょ。根性というか、うりゃっと! そんな感じで」
拳をぐっと握りしめて、手のひらをひらく。淡い緑色の光とともにしゅるしゅると蔓が伸びて、50センチメルテまで育ったところで、みずみずしい若葉が広がる。
予想していた答えではあるが、体系化され、魔法言語で制御する「魔術」ではなく魂に直結した「原初的な魔法」そのものだ。
「ま、俺も似たような部分はあるし、そんな気はしていたがな」
「種が欲しいんじゃろ? ほれ、これでどうにょ?」
伸びた蔓の先に一輪の白い花を咲かせると、甘い香りが漂う。月下美人にも似た花は、神秘的でとても美しかった。
「まぁ……! 綺麗ですわ。ヘムペローザ様の魔法」
「あぁ、異論はない」
「にょほほ! ……ほれっ」
次の瞬間、白い花びらが舞った。ひらひらと降る花弁を手のひらで受け止める。顔を上げるともう、そこには果実が実っていた。ぱちん、と小さな音がして「さや」が開くと、黒い種子が沢山見えた。
「見事だな、一つ貰うよ」
「さやごとあげるから、好きにするにょ」
「ありがとう、ヘムペローザ」
俺は礼を言ってから、熟して開いたさやと種子を受け取った。
種子の粒を一粒手にとって、魔法力を注いでみるが、発芽しない。
「……やはり、発芽できないのか」
「ワシが魔法力を注げば、一瞬じゃがにょ?」
「違うんだ、別の魔法使いが育てられないかな、と思ってね」
「はぁ? できるのかにょー? 芽を出すだけなら、その辺に蒔いて水をやっておけば、普通に生えるにょ」
「それだと普通の植物だろう」
もちろん、普通の植物として育てるにはそれで十分だ。しかし、俺が考えていたのはヘムペローザの魔法の種を、別の魔法使いが発芽させて、瞬時に樹木にまで育てる方法だ。
「ワシの魔法の一部じゃからにょー。例えば、種が発芽した後も『繋がってる』感覚があるから、育てたり、伸ばす方向を操ったり出来るんじゃが」
「世界樹の種子も、発芽させるにはヘムペローザさまのお力が必要でしたものね」
「なるほど、やはりオリジナルの種もヘムペローザにしか扱えないんだな」
予想はしていたが蔓草魔法の種子を発芽できる魔法力は、やはり特別なものらしい。
「種を発芽させて伸ばすくらいなら、ワシがいくらでもやってやるにょ?」
ヘムペローザは余裕の笑みで、身を乗り出して種に手を伸ばす。きれいな黒髪がさらさらと流れて、腕に触れる。
「……じゃぁ、300キロメルテ先まで伸ばしてくれるか? 二本ならべて」
「はぁ!? さんびゃ……アホかにょ!」
切れ長の目を見開いて、立ち上がるヘムペローザ。
「ははは、冗談だよ。流石にそこまでは頼めないよ」
「ワシも忙しいからにょー、でも……こういう魔法の勉強の時間は大好きにょ」
「俺もだよ、ありがとうヘムペロ」
そっと頭をなでて、頬をきゅっとつねる。ヘムペローザは俺の手をさっ、と掴み返すと目を細めた。
「……プリン、忘れるでないにょ」
「わかってるよ」
だが、俺の『木道』計画は、いきなり頓挫したようだ。
構想として捨てるのは惜しいが、別の方法を考えたほうが良さそうだ。
◇
<つづく>




