新しい道場と、カエルの唄
外は夜の帳が下り、青黒い闇で満たされている。
夏の夜、風通りが良いようにと窓は開け放している。けれど虫が光を求めて飛んで来るので、網戸を嵌め込んでいる。それには更にマニュフェルノの魔法――『虫よけの祝福』が施され、害虫の侵入を阻んでいる。
ルゥローニィは夕食の席で、事の真相を打ち明けてくれた。
「カーミヤ道場が……閉鎖されてしまうのでござる」
そこを引き払い、もう少し広くした道場を建てたい。子ども達も気軽に剣術を学べる場所を作りたい、という夢があっての事だったという。
「なるほどな。気軽に学べる場か」
「剣術は護身用にも、そして何よりも普段の生活での心構えが、正しく身に付けられるでござる」
ルゥは長テーブルに座った向かい側で静かに背筋を伸ばした。
通常、剣術の修行を行えるのは騎士の養成校や、戦士団の訓練所に入ってからだ。
あるいは民間の傭兵ギルドや、護衛業者が独自に行う、付け焼き刃の訓練……程度のものばかりだ。
そんな中で傭兵や護衛業者でも無い一般人の子供が、剣術の稽古を受けられるカーミヤ道場は、貴重な存在だったようだ。
王都の東側に広がる閑静な住宅街の一角で、ルゥローニィの恩師にあたる剣術の師範とその妻が、切り盛りしていたという。
けれど道場は老朽化が進み、師範だった老夫婦もついに引退を決意。看板をルゥローニィに譲ると言い出したようだ。
すでに師範の老夫婦は賃貸住宅に引っ越して、王都の片隅で悠々自適で暮らし始めているらしい。
ちなみに、ルゥローニィが本格的に師範から剣術の基礎を習ったのは、魔王討伐の冒険の途中だった。
俺達6人が揃い踏みした後、王都に立ち寄って滞在していた時期が1ヶ月ほどあった。その間にルゥローニィは「ファリア殿の背中を守れるように、強くなりたいでござる……!」という一心で修行を重ねていたらしい。そして魔王大戦終結後、気がつけば月日が流れはや三年。その後も道場に足繁く通い修行を重ね続けたことで晴れて免許皆伝、二代目師範として認められたのだという。
もちろん、魔王討伐における実戦の積み重ねと、知名度を見込まれての事らしいが。
「昔は実用的な剣術の鍛錬でござったが、今は騎士や戦士になりたい子ども達のための、『習い事』のひとつでござるね」
そういって笑うルゥの話によると、ここ1年はもっぱら、子ども達にだけ教えていたようだ。
「その場所に建て直しという手も有るだろうが……?」
「なのでござるが、もともとこのリビング・ダイニングぐらいしかない建物でござる。できれば土地も広くして、鍛錬に使いたいのでござる」
「なるほど……。そういうことなら、『賢者の館』の土地で、ちょうどここから見える右半分に建てたらどうだ? 今は暗くて見えないが、未開拓の部分がある。そこなんて良いと思うが」
「し、しかし! 流石にそこまで世話になるわけにもいかないでござるよ」
「もともと広い敷地を買って、館の周囲は見ての通り手付かずの森のままなんだ。俺が自由にしていいと言われている土地なんだ」
無論、王政府や関係機関には確認と申請が必要だろうが。
「それに、子ども達の声がうるさい、と近所からも苦情が出ていたでござる」
ルゥは少し悲しそうに猫耳を動かした。
「それも心配ない。なんたって賢者の館は、子供らの元気な声だらけさ。見ての通り、公園と広い敷地に囲まれた貴族の館が見えるだけだ。苦情なんてこないさ。何もピッタリ並んで建てようって訳じゃないんだし、ルゥも通うのが楽だろ」
「ググレ殿……!」
ルゥローニィが猫耳を行儀良く立てた。
「ま、土地は無くならないし、まずは広告の土地と建物を見て回って、それでもダメなら俺を頼ってくれよな」
「……かたじけないでござる!」
俺とルゥはパチンと手を打ち合わせた。
いつか、『ルゥローニィ道場』が建てば、毎日のように元気な子ども達が修行に通ってくるのを見ることができるだろうか?
それを想像すると、なんだか元気がもらえるような希望と明るい未来が見えるような、そんな気持ちになってくる。
◇
この土地に引っ越してきて、誤算だった事と言えば、あまりにも騒がしいカエルの大合唱だ。
水辺が近いので虫などは想像していたが、夏の夜の激しいゲコゲコ、ゲーゲー、ケロケロという鳴き声までは想定していなかった。
「風物詩でござるね。カエル肉、美味しいでござるし」
「砂漠の国で暮らしていたオラにとっては、珍しい鳴き声ッスけどね……って、食うんッス?」
何気ないルゥローニィの告白に驚き、ぴくんと犬耳を動かすスピアルノ。
「魔王討伐の旅で、一番簡単に獲れたお肉がカエルだったのでござるよ」
ルゥが、しゃっ……! と手を素早く動かして何かを捕まえる真似をする。猫耳半獣人の本能だろうが、夕飯の支度ともなれば、ルゥとファリアが何処かへ狩りに行っていた記憶がある。
「蛙肉。よく食べたね……」
マニュフェルノが長テーブルの隣でくすくすと笑う。6人で旅をしていた当時の事は、今となっては懐かしい思い出話だ。魔王討伐の旅は自給自足。倒した魔物の貴重な部位を近くの村で物々交換し、食べ物は手に入った。けれど肉などの滋養の高い食べ物は、基本的に現地調達だった。
「俺はファリアに、『これは大丈夫な肉だから』って、色々食わされたぞ」
ファリアの『大丈夫な肉』の範囲は実に広かった。色も臭いも明らかに毎回違っていたのだが、一体なんの肉だったのやら。
「その中には確実にカエルとヘビが入ってたでござるからね」
「あぁ……蛋白で美味しかったよな」
「……野蛮な冒険には行きたくないにょー」
「えー? この前も海に冒険したじゃないですかー」
同じく食卓を囲み、俺達の会話を聞いていたヘムペローザとプラムが、ひそひそ話をしながら笑っている。
「館ごと移動するのならどこでも良いにょー! 料理の作れるキッチンとお風呂、それに寝床があるからにょー」
「そんなお気楽旅ができるのは、ググレ様だけかとおもいますけどー」
真っ当なことを言うようになったプラム。ヘムペローザは相変わらず仲の良いコンビのようだ。
「わかっておるにょ。賢者にょには感謝にょ!」
「ははは……」
楽しいディナーの時間は過ぎてゆく。今日も一日いろんなことがあったが、とりあえずは一段落だろうか。
「って、今日の肉の煮込みは、なんだか酸味が効いていて美味しいな!」
夕飯のメインの料理は、ウサギの肉をトマトとワインビネガーで煮込み、ローズマリーで香り付けをした煮込み料理だ。今日はマニュフェルノ作だというが、夏にピッタリの美味しさだ。思わず勢い良くガツガツと食べてしまう。
「微笑。たくさん食べてくださいね、ググレくん」
「おう!」
銀色の髪をゆるく結わえたマニュフェルノが静かに微笑んで、リオラと視線を交わす。
――マニュとリオラ、いや……家族のためにも明日からまた頑張らねば。
<つづく>




