世界をかえてゆくもの
「また……図書館で……」
コーティルト・メティウス姫は俯き加減につぶやくと、小さく手を振った。
指先は白い絹の手袋に覆われているが、指先の表情は優雅で柔らかい。
俺も挨拶しようと思ったが、右手に『社交界での作法、ダンス編』を持ったままだった事に気がついた。
と、メティウス姫が、手に持っていた魔法使いの杖を俺の方に伸ばした。
――魔法?
と思った次の瞬間、杖の先がパカッと二股に割れて、俺の手にあった本を掴みとると、ひょいと持ち上げた。
驚いて呆気に取られる俺の目の前でメティウス姫は、器用に本を杖の先に挟んだまま、元の書棚に本を戻してしまった。
どうやら魔法使いの杖だと思っていたものは「高枝斬りバサミ」のような構造の姫の為の道具らしかった。
「は……はは、まさに魔法の手ですね」
「届かない本が多すぎますの」
人形のように表情を変えないかと思われた姫は、方頬をほんの少し膨らませて、次ににこ、とはにかんだ様に俺に向かって微笑んだ。
――い、いかん、なんか可愛いぞ……。
俺はつい、中指で眼鏡を持ち上げるフリをして、いつものポーズで顔を隠す。
これが本当に世界を単純な原理で掃除してしまおうという信条を掲げる『ひとつの清らかな世界』が信奉する預言者、ウィッキ・ミルンなのか?
「もし、ググレカス……」
「何でしょうか、姫」
「もう少し、もう少しだけ、お話をさせて、わたしの……話を聞いて」
「……わかりました」
俺は貴人に対する礼儀を重んじる賢者だ。時間は差し迫っているが、仮にもメタノシュタットの姫君の頼みを断るなんて事は出来はしない。
姫は世界を裏で操ろうと暗躍する組織の預言者かもしれないが、こうして会話が交わせるのは、俺にとっては僥倖でもあるからだ。
車椅子の姫は何か覚悟を決めた様子で、静かに語り始めた。
「あの頃考えた物語は……わたしを苦しめる世界なんて滅んでしまえばいい、そして、美しくて綺麗な、世界に変わってしまえばいいというものでした」
「それが、だたひとつの清らかな世界、~魔女の未来予見、というわけですか?」
姫が首肯する。肩口でさらりと淡い黄金色を帯びた髪が流れた。
「わたしは有能な姉に目の敵にされていました。でも、私の書いた物語が世界にあふれ出したと聞いたとき驚き、けれど内心は喜びました。自分の考えた夢物語が、現実になるのかしら? と無邪気に考えました。でもやがて私は父に大切な日記帳を取り上げられ、ここに閉じ込められ、もう二度と物語を書くな、と言われました」
「…………!」
物語が……世界に溢れ出す?
「父が心配したとおり、世界はわたしの描いたとおりに変わってゆきました。本当に世界が乱れ、魔王が現れ、人々が苦しみ、ついに父が戦いに赴いた時、わたしは怖くなりました。けれど、同時に……楽しくなりました……」
姫が、きゅっと唇をかんで、何かに耐えているかのように目を細めた。
「…………」
「父が魔王の軍勢と戦っている間も、姉は私に辛くあたりました。姉の楽しそうなパーティの音が聞こえてきたとき、わたしは……! 姉なんか居なくなればいいと、……この図書館の本の余白に少し物語を書き足したのです」
元々色素の薄い顔を更に蒼白にして、わなわなと手で顔を覆う。
「『竜に連れられて、塔に閉じ込められてしまえ』 ……と?」
「…………はい」
震える声で、小さく頷く。
俺は姫の思いも寄らない告白に、軽い眩暈を覚えていた。
メティウスの物語は……予言なんかじゃない。
まして幻視とも違う。
クリスタニアの信奉者が思い描くような、自分達に都合のいい未来へ道しるべでもない。
――世界改変能力の一種か……!
ざわ、と肌を舐める感触に、俺は肺の中の淀んだ空気を吐き出した。
先史魔法文明の魔術書に、その力を使いすぎたが故に世界の「理」を崩壊させ、滅んでしまった国の話が載っていた。それがア・ズーにおける、「終わりの光」だとも。
「ほんの出来心でした。姉を……私は。……許されない事です」
俺は、人間らしい感情を発露させるメティウス姫をみて、どこかで胸を撫で下ろしていた。自分と変わらない普通の人間なのだ、と。
「今でも時折、思いのままに筆を走らせておられますね?」
話題を変えようと、すこしだけ明るい声で俺は言った。
「……はい。本を読んでいると時折、幻視が浮かぶのです。世界の見知らぬ場所や、旅をする勇者様の姿や、賢者さまがお屋敷に住んでいるところが……見えるのです」
姫は幻視の魔力も持っているのだろう。だから世界を見通して、それを妄想と夢想の種にしているのか。
メテイゥス姫の言葉からは、嘘の気配は感じられない。
これまでの数多くの事象が、事件が、メティウス姫言葉が、俺の頭の中で互いに繋がり、一つの答えを導き出してゆく。
5年前、メテイゥス姫は確かに予言めいた物語を書き上げたのだろう。
――だたひとつの清らかな世界 ~魔女の未来予見~
そう記された厨二病少女の日記帳には、光と闇の戦い、魔王と勇者、そして異世界から来る賢者のことが書き込まれていたのだ。更には過去から未来へとつづく、国の行く末までもが。
それは足を患った少女の、密かな楽しみに過ぎなかったはずだ。
心躍らせる異世界への憧れと冒険と、夢と空想の結晶にすぎなかった。
だが、父が取り上げたメティウス姫の日記を、恐らくは誰かが盗み見て、都合よく思ったのだろう。「これは……予言の書だ!」と。
と、そこでレントミアが再び俺を呼んだ。
――早く来て、大変なんだ!
魔力糸の信号はそう告げていた。何かが起こっているのか? そしてどうやら本当に限界時間らしい。
「姫……申し訳ありません。私の友人の『賢い魔法使い』が呼んでいるのです。今日はこれで……失礼つかまつります」
「あぁ……、今夜はありがとう。すごく……うれしかった。ほんとうの賢者ググレカス……! また、来てくださいね」
姫は車椅子の車輪を動かし、俺に近づくと細い腕を伸ばし、そっと俺の手に触れた。
トクン、と鼓動がはねる。
深く澄んだ青い瞳と、柔らかそうな髪色に思わず引き込まれる。
実在を確かめるかのように恐々と触れてくる指先を、俺は下から支えるように手を添えて、静かに礼をした。
「また、図書館に参ります」
顔を上げて、深い星屑を散らしたような碧い瞳を大きくして、姫は安堵したような、小さな溜息をついた。
普段ここまで誰かと話す機会がなかったのだろう。一息に胸のつかえを吐き出したような、そんな顔だった。
階下で人の気配がした。声と音から衛兵が見回りに来たのだと気がつく。
「ググレカス、ここいいては見つかってしまいます」
「フ……、ご心配なく」
俺は隠蔽型の魔力糸で全身を眉のように包むと、可視光領域の波長のみを撹乱する自律駆動術式を展開し、姿を文字通り見えなくした。
「――まぁ!」
姫が無邪気な驚きの声を漏らす。
「では、失礼」
声だけでそう告げると、俺は今いる二階の階段をくだり、堂々と衛兵の横をすり抜けて、図書館を後にした。
◇
メティウス姫との思わぬ邂逅の余韻も覚めやらぬうちに、俺はパーティ会場へと舞い戻った。頭を整理して考えたい事は山ほどあるが、そうもいかないらしい。
パーティ会場は相変わらず騒がしかったが、ちょっと様子が違っていた。
「ググレー! 何処行ってたの!?」
「役割。ググレくんは、皆の調整役だよね……!」
「なな、なんだ!?」
俺の顔を見るなら背後に回り、ぐいぐいっと俺の背中を押す、レントミアとマニュフェルノ。
ンスの事で怒られるかと思ってヒヤヒヤしていたが……状況はもっと悪かった。
「貴方、さっきから目つきが気に入らなくってよ!」
「ほぉ……!? 奇遇だな、実は私もだ!」
俺達の座っていたテーブルと、国王と王妃の間で、第一王女スヌーヴェル姫と、ファリアが睨みあっていた。
周囲から酔った来賓のヤジと歓声が響く。
「な……なんだ、これ?」
俺は愕然とした。
一国の姫と、地方の小国とは言え、仮にも姫のファリアが角を突き合わせるようににらみ合っているのだ。バチバチと火花を散らすガンの飛ばしあいだ。
普通ならありえない状況だが、コーティルト・アヴネィス・ロード王は上機嫌で笑っている。つまり公認のメンチの切りあいだと!?
「ググレー! お前がなんとかしてくれよ!?」
半泣きのような顔で、隆々とした体つきの勇者エルゴノートが駆け寄ってきた。
<つづく>