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 甘い南国の夢の中で


 ◇


 空は薄いブルー、地面はクッションのようで桃色の綿毛に覆われている。全身が温かく、ふわふわとした心地の良い感覚に包まれている。


 俺は確か、ココミノヤシの木陰にハンモックを吊り下げて、昼寝をしていたはずだが……。


「てことは……夢の世界……か」


 おそらくここは、夢と(うつつ)の狭間だろう。


 何度か来ているという奇妙なデジャヴ。目が覚めると途端にここでの記憶は消えてしまうのか。

 目が覚めると時折、「あれ……? すごい夢だったけど、なんだっけ?」という、もどかしい感覚に陥ることがある。それはこういう「夢の世界」から魂が帰還した名残なのだろうか。


 ゆっくりと身を起こしてみると、素肌にシャツ一枚の姿だった。


「……賢者ググレカス!」


「わっ!?」


 いきなり背後から体重が被さる感覚と共に、ぎゅっと抱きしめられた。細い腕が首に回され、温かくて柔らかな身体が押し当てられる。

 ふわっと甘い香りとともに、蜂蜜色の髪が頬にかかる。


「うふふ、今回は上手くいきましたわ……! ぴったり波長が合わないと、ここには入れませんの」


「メティ……!? どうやら油断してしまったみたいだな」


「心の裏口(バックドア)はいつでも狙われておりますのよ?」


 くすくすと笑い声が耳をくすぐる。


 それは、等身大になった妖精メティウスだった。とはいえ今は「妖精」という言葉は当てはまらないだろう。メティウス姫の魂――人間の姿そのものだ。


 夢の世界とはいえ、体温や息遣い、重ささえ感じられる。薄絹の夜着のような衣だけを身に着けているのが背中から伝わってくる。

 徐々に夢の世界での「記憶」が戻ってくる。

 妖精であるときは自由奔放で天真爛漫な感じのメティウス。だが、この姿は――


 ぐっ……と首に回された腕に力が入る。徐々に、締め付けてくる。


「……苦しい……ぞ?」


「こうすれば、私だけの『ググレカスさま』になってくださるかしら……?」


 ちょっと本気の力を感じる。首に細い腕がヘビのように絡まってくる。


「な、ならん……夢の中じゃ死な……って、離せこら!」

「きゃん……!」


 俺は強引に腕を引き剥がし、身体を捻るようにして正面へと引っ張り出した。身体は軽く、まるでぬいぐるみのように無抵抗だった。勢い、抱っこしているような格好になる。


「はぁ、はぁ……。ったく、悪ふざけがすぎるぞ」

「なら……お仕置きしてくださいまし」


 少し顔を背けて、薄衣に包まれた胸元から首筋を晒す。


 吸い込まれるように青い瞳が、じっと俺を見つめている。白い肌はほんのりと血色を感じさせる。そして綺麗で柔らかくウェーブした髪は、大きな胸を隠す長さがある。


 いかん……かぷっとしたい。


 俺は、ドクドクと心音が高まるのを感じていた。夢の中の心臓か、本当の心臓かはわからないが。


「メティウス、君は夢の中だと悪い子になるのか……?」


 気をとりなおし、少しきつい口調で問う。けれどメティウスは臆する様子もなく、月下の花のように仄かな影のある微笑みを浮かべる。


「いつも通りの、貴方にとって従順な下僕(しもべ)ですわ、賢者ググレカス」

「そんな言い方はやめてくれ」

「いえ、本気ですわ。こうして、世界(ここ)に留まって居られるのも、皆様と素敵な旅を楽しめるのも、全て貴方の魔法の力ですもの。感謝しておりますわ」


 細く白い腕を伸ばし指先で俺の頬に触れる。その手をぎゅっと掴み、顔を引き寄せる。


「なら、どうして?」


「貴方の命が潰えるとき、本当に最期までご一緒できるのは……私だけです。それを確かめたくて。ごめんなさい……」


 魔法の力が消えるとき、つまり俺が死ぬとき、妖精の魂も消える。それはメティウス姫の哀れな魂を『図書館結界』から救い出したときから決まっていた運命だ。

 あの時から、時計の針は動き出した。


「メティ。俺が死ねば……君も消える。それで……良かったのかい?」

「構いませんわ。本当の世界では()()なんて有りませんし。けれど、ここは最後の砦……。この秘密の場所で貴方を、いつか魂と旅立つのを、密かに恋い焦がれながら待つのは……嫌いじゃありませんわ」


「……? よくわからないな。それに勝ち目ってなんだ……?」


「秘密ですわ。でも、ここに簡単に入れてくださらなかったのが、理由ですし」

「煙にまくつもりか? 教えてくれ」


「嫌ですわ」

「よし、少しお仕置きをしちゃおっかな……」

「……まぁ、(よこしま)なお顔……」

「うるさい」


 折角の夢の中のお誘い、しかも麗しの姫様(・・)バージョンなのだ。ごきゅん、と思わず生唾を飲み込むと、メティウスが芝居がかった表情で目をつぶった。


 と、その時。


「って、何!? うわ……冷てっ!?」


 温かかった身体が突然、あちこち冷たくなり、なんともいえない感覚に襲われた。まるで全身に何かが吸い付いているような、そんな感覚だ。


「な……なんだ?」

「あら? 時間切れですの?」


 俺とメティウスは顔を見合わせた。お互いに思い当たる事はないようだ。ということはつまり、夢の外の世界で異変が起こっている、ということで――

 

 ――覚えがあるぞ。これは……!


 視界がサーッと流れて、光のシャワーが降り注ぐ。その先には眩しい光の塊が見えた。

 覚醒への扉、現世への出口のようなものだ。


「――スッライムどもかぁあああっ!?」


 俺は叫びながら、光の穴をくぐり抜けて飛び起きた。


 途端に、青空とココミノヤシの枝葉が目に飛び込んできた。暖かな空気に、南国の海の音。そしてどこからともなく熱帯植物特有の、甘い花の香りが漂っている。

 けれど全身がなんだが冷たくて重い。


『キュッ……?』

『ヤー!?』

『スラー!』


「ったく! おまえらか!?」


 ハンモックの中から上半身を起こすと、色とりどりの『館スライム』たちが飛び跳ねた。

 色とりどりの館スライムが数匹に、ターンエースライム。それに頭にカチューシャを乗せたメイドスライムなどが、ぴょんぴょんと跳ねたり、地面に落ちて転がったりしながら逃げてゆく。

『ヤー……?』

『スラー……?』

「俺は魔力タンクじゃないぞ……、とりあえず降りてくれ……」


 ゆっくりと引き剥がし、ハンモックから下に下ろす。

 スライムたちは残念そうな様子だが、俺が昼寝するイコール、魔力を吸って良いよ、という意味ではないのだ。これではオチオチ昼寝もできやしない。

 すぐ横のココミノヤシの林の中には『賢者の館』が鎮座している。そこから散歩に出てきた館スライムたちのようだ。


 俺が寝始めたのを良いことに、顔や頭に乗って魔力を吸っていたらしい。

 見ると胸やお腹にも、大きなサイズのスライムが何匹か乗っている。俺と目が合うと、苦笑したような表情を浮かべたようにも見えた。


 不思議なことに、身体には沢山の花びらが振りかけられていた。花の香りの正体はこれのようだ。しかし一体誰が……?


「せっかくいい夢を見ていたのに……」


 あれ? でもどんな夢だっけ? なんだかちょっとエッチな感じだった気が……。


「ぐぅ兄ぃさん、お目覚めですか?」

「……!? リオラか」


 水着の上にシャツを羽織ったリオラが俺の顔を覗き込んだ。頭にスライムが乗ってますよ、とくすくすと笑いながら言う。


「いい夢ってどんなです?」


 耳に栗色の髪をかきあげながら、興味深げに聞いてくる。


「あ!? いやその……リオラ! リオラが出てきたら嬉しいな……!」

「えー? そうですか?」


 嬉しそうなリオラにワケの分からない事を言っていると、リオラは何かを言いたそうな顔で「あの……」と切り出した。


「そういえば、この花弁はリオが……?」

「いえ違います。実は、お客様みたいなんですけど……」


 リオラの視線を追ってあたりを見回すと、周囲には何人もの半昆虫人(イノセクティアン)たちが集まっていた。

「あ!?」


 バッタ族や、てんとう虫族、コガネムシ族に……ダンゴムシ族、そしてクワガタ族も。


 遠巻きに、ハンモックの上でスライムと格闘していた俺を眺めている。その誰もが固唾を呑んでいるような、祈るような表情に見えた。手に花束を持っているもの、果物を抱えている者もいる。


 やがてその中から、ダンゴムシ族とクワガタ族の者がそれぞれ進み出て、声を上げる。


『コ、ロコロロ……!』(※賢者様が、サナギから……!)

『ワ、ガッタン……!』(※賢者様が、生まれたぁ……!)


 それは、忘れもしない顔、姿だった。


「コロちゃん……! クワキンタ!?」


 コロちゃんと、クワキンタ。勇敢なる半昆虫人(イノセクティアン)の戦士たちだった。


<つづく>


次回、章完結……

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