不運の海魔、ブラウブローブ・ラウ
「賢者ググレカス! 直下の死角から何かが急速浮上してきます!」
「なにっ!?」
妖精メティウスが叫ぶのとほぼ同時に、真下から突き上げるような衝撃を受け、館全体が軋み音を立てた。持ち上げられるような縦揺れと振動が、足元を揺らす。
――隔絶結界境界面、底部外縁に接触……!
「きゃ……マニュさん!」
「平気。おちついてリオ!」
館の中からはリオラやマニュフェルノの悲鳴と、皿が何枚か割れる音が響いた。
「わわっ!?」
「何でござる!?」
「にょはっ!?」
「ヘムペロちゃん!」
戦術情報表示が真っ赤な警告を発する。更に、外周部に配置しようと移動させていた最中の『樽』が何体か、海へと落下してしまった。
コロコロと転がった樽がドボン、ドボンと落下しては白波を立てた。
「しまった……!」
「賢者ググレカス! 浮上には最低12機必要ですわ!」
「わかっている。落下した『樽』を自律飛行モードに切り替える! 魔力糸を再接続……命令を送り、単独で飛行させて戻す……!」
これは痛い時間のロスだ。一分で飛び出てるはずが、二分……いや、もう少しかかってしまう。
庭先ではレントミアとルゥローニィも驚き、よろめくヘムペローザをプラムが咄嗟に支えていた。立っていた人間が倒れるほどではないが、まさかの奇襲に動揺が走る。
「真下からの攻撃とは……!」
眼前に浮かぶ半透明の魔法の窓――戦術情報表示が、『接敵』と真っ赤な警告を発している。次々と補助小窓が展開し、各所の被害状況、索敵結界による敵の位置情報などを矢継ぎ早に表示してゆく。
――魔法外殻に損傷なし、隔絶結界安定度、4%低下……!
「大丈夫ですわ、損害は軽微!」
「あぁ!」
賢者の館を支える特殊な『隔絶結界』が、簡単に破壊されることはないだろう。だが、衝撃を受け続ければ、上に乗る館自体を支える『形態維持魔法』が耐久限界を超えて、建物が崩れることはあり得るのだ。
早く上空へ逃げましょう! と叫ぶ妖精だが、こうなれば空への離脱よりも、各個撃破した方が確実だ。素早く作戦の変更を伝え、まずは体勢の立て直しを優先する。
「ググレ殿! 幽霊船がもうすぐ近くにまで来ているでござる!」
邪悪な霧に覆われたボロボロの幽霊船も、既に60メルテにまで迫っていた。あと二分もすれば接触する勢いだ。
生者である俺たちを狙うのは、生きている者を妬む邪悪な魔法の呪いによるものだろうか。あるいは、生霊にみせかけた「骨のゴーレム」の可能性もあるが……。
そのいずれにせよ、魔法を構成する術式を「破壊」する戦法で対処する。ここは経験値と魔法解析速度による腕の見せどころだ。
「案ずるなルゥ。ああいう手合いは、俺の得意とするところだからな!」
焦り浮足立つ仲間たちに迷いなく言い放ちながら賢者のマントを振り払う。そして館の庭先、最前面へと進み出て幽霊船を睨み付ける。
「それを聞いて安心したでござる。でも、乗り込まれたらやっかいでござろ」
「対処にある程度の時間は必要だ。回避はするが乗り込まれた場合の防御、近接戦闘はルゥに頼む。『樽』たちも支援に回す」
「了解でござる!」
みんなの顔に、ようやくいつもの調子が戻ってくる。
不死系の魔物は『解呪』か、魔力阻害系の『逆浸透自律駆動術式』で構成要素自体を破壊、対応可能のはずだ。
「賢者ググレカス! 海中の敵が再度潜りました! また真下から来るつもりですわ」
「ふん、忙しいな……!」
しかし、なぜここまでの事態になったのか疑問が脳裏に浮かぶ。
船乗りを襲う幽霊船、更に海中からの襲撃。この2つは偶然なのか、用意周到に張られた罠か……だが今は疑問の答えを探せる状況でもない。
現在、脅威判定済みの、赤い光点で示された敵は2つ。これらの排除、無力化が最優先だ。
一つ目は50メルテにまで迫りつつある「幽霊船」。戦術情報表示では一つの光点に見えるが、実際は無数の点が集まったものだ。幽霊船の甲板上で蠢く海賊の成れの果て、骸骨姿の怪物たちの群れだ。
もう一つは『海亀号』モードの賢者の館の真下で、重なるように映っている赤い点だ。周囲を回遊するかのように素早く動いていたが、今は再び深く潜っている。
「賢者ググレカス、海中に魔力を検知! 固有魔力波形、パターン照合……! 『海魔・ブラウブローブ・ラウ』と出ましたわ!? な、なんですのこれ!」
「……こんなところで出くわすとはな!」
「知っているでござるかググレ殿!」
「あぁ。恐ろしい海の魔物だったと、王国軍の報告書で読んだことがある。確か……魔王軍で海路の通商破壊活動を担っていた、十二魔将軍の一人……キュルプノス。そいつが操っていたと言われている戦術級の魔物だ」
名前が出てきたことで、ようやく検索魔法が情報を拾い集めた。
――『海魔・ブラウブローブ・ラウ』、推定で10メルテから15メルテ。
海の「エイ」に似た姿だが、長い人間のような腕が二本生えている。獰猛で知性は殆ど無い。元々は海底に潜む魔物だったが、魔王軍が脳を魔力波動で改造し、戦術級の魔法兵器として運用。沿岸部の通商破壊、メタノシュタット沿岸警備隊、マリノセレーゼ海軍を大いに苦しめた――。
「思い出したでござる。ポポラートで灯台を占拠してたヤツらでござる!」
「そいつの手下がまだ生きていたんだ……」
「海は広いからな。魔王大戦が終わり統制が緩めば、あとは姿を隠す場所など無限にあるさ」
「でも、なんで今頃……僕たちの前に?」
「詮索は後だレントミア。魔法支援を頼む! ヘムペローザは『燐光魔法』を最大光量で10メルテ先の海上に投げ入れてくれ! 光で敵を誘導! 海面に出てきた瞬間を狙えるかレントミア!」
「わ、わかったにょ!」
「海水が邪魔で直撃できないかもよ!」
「俺が精密誘導する、脳天に叩き込んでやる」
「海の中まで照らす……にょっ!」
ヘムペローザは大きく『シュラブの杖』を振りかざすと、更に明るい『燐光魔法』を放った。海面に落下すると、軽い綿毛のように波間で揺らぎ、透明度の高い海の中を照らし出した。
海中の敵――『海魔・ブラウブローブ・ラウ』が急速に上昇してくる。
「ナイスだヘムペロ!」
俺はここで更に『認識撹乱魔法』を励起し、館の底に展開する。これで完全に目眩まし、デコイである光へと誘き寄せられる筈だ。
「魔物の進路変更! 光に向かって行きますわ」
「食らいつくでござるっ!」
祈るような面持ちで海面を見つめるルゥローニィの横で、レントミアが火炎魔法の『火槍魔法』を励起し終えていた。両手を頭上に掲げ、炎の渦を生み出して槍状の高密度に収束させてゆく。高い貫通力と破壊力を併せ持つ最上位魔法の一つだ。
「来ましたわ! 深度15メルテ……10メルテ!」
海面下から、真っ赤な眼のような光が急速に昇ってきた。それは明らかにヘムペローザの放った『燐光魔法』を狙っている。
海面が盛り上がり、割れた。ザブァアアアアッ! と白い波飛沫を吹き飛ばしながら、赤黒くヌメヌメと光る巨大な怪物が海から飛び出した。
「『精密誘導打撃術式』励起! 目標誘導……固定! いけ! レントミア!」
「っりゃあああっ! 喰らえ、『火槍魔法』ッ」
ハーフエルフの魔法使いが放った火炎の槍は、赤い光で暗闇を切り裂きながら矢のような勢いで飛翔――。俺の魔力糸による誘導補助を受けながら、一直線に飛んでゆく。そして一度飛び上がり、水面下へと落下してゆく巨大な『海魔・ブラウブローブ・ラウ』の脳天を直撃する。炎はエイのような頭部に命中すると、ギュルルとドリルのように回転しながら吸い込まれるように消えた。
腕のはえたエイのような巨体は、盛大に波しぶきをあげながら、海面下へと再び姿を消した。
だが、俺もレントミアも、ルゥローニィも、ただその海面を睨んでいた。
「賢者ググレカス! 逃しましたの……」
と、次の瞬間。海面下でドッ! と真っ赤な光の球が生じた。そして海面を瞬く間に押し上げたかと思うと、噴火のような勢いで炎が吹き上がり、海面を爆発させた。
ドバァアアアン! という大音響とともに無数の肉片が辺りに散る。
「……運が悪かったね、僕達と出会った今日は」
レントミアは薄笑いを浮かべると、頭上に真っ赤な次弾を励起し始めた。
<つづく>




