★おとぎばなしの、賢者
「そこか……ウィッキ・ミルン!」
俺は猛然と駆け出した。目指すはメタノシュタット城の北側に位置する「王立図書館」だ。
城が建造された当時から存在する、最も古い堅牢な基幹部分にあたる場所に、数百年におよぶメタノシュタット王国の英知が詰まった大陸随一の図書館があるのだ。
地上三階、地下一階の規模がある図書館は、宴会場の丁度反対側だ。とはいえ同じ城の中なので、数百メルテも離れているわけではない。
だが、パーティの招待客が一人城内をうろつくのは流石にまずい。時間もあまりかけられない。昼間ほどではないにせよ、騎士や衛兵、役人達が居るのだ。見咎められれば、流石に騒ぎになるだろう。
――外装変化を自動詠唱、更に魔力強化外装展開。
目立ちすぎるとマズイので、自分の姿を「衛兵」に変え、更に魔力強化外装で脚力を強化し、石造りの城の廊下をダッシュする。衛兵が通路の角に立っていたので俺は走る速度を緩め、ごく自然に歩いて通り過ぎながら軽く挨拶を交わした。
衛兵は祭り気分で浮かれているようで、仕事が終わったら何処に呑みに行くかを話すのに夢中で、俺のことはあまり気に留めなかった。
廊下を突き当るまで走り、二度ほど曲がる。そして階段を降りると俺はもう図書館の入り口の前に立っていた。
扉のない入り口から中を伺うと、祭りのせいか既に司書はおらず、一見すると人影はない。
――ここに、ウィッキ・ミルンが居るのか?
身分の確かな者であれば出入りが許される図書館は、城の地上一階のみだ。王政府が使っている住民記録簿や、税金の台帳、そして様々な最新の記録図書、そして娯楽用の読み物などはこの一階部分に仕舞われている。
さらに上、二階と三階部分は貴重な歴史書や王家の記録、門外不出の魔術の秘蔵書などがあり、王族や一部の魔法学者しか見ることの出来ない場所となっている。
更に地下一階は立ち入り禁止の書庫であり、数百年分の様々な古代図書が眠っているらしいのだが、何処に何が仕舞われているのかす判らないほどに本が多すぎ、ほとんど利用されていないと聞く。
俺のような検索魔法を使う人間が他に居ない限り、書籍の数が膨大すぎては、何かを見つけ出せる状態ではないのだ。
ちなみに、プラムを作り出した人造生命体の練成方法も、この図書館の地下から探し出した情報が、かなり使われている。
俺の検索魔法は、図書館にある書物を直接見ているのではない。位相の異なる空間に存在する『千年図書館』に、実体を持った本の影(つまり情報)だけがコピーされていて、それを探し出すようなイメージだろうか。
俺が検索妖精に命じる事で、その千年図書館から情報を呼び出すことが出来るのだ。
俺は、図書館の一階に足を踏み入れた。
中は薄暗いが水晶で作られた魔石灯がほんのりと灯されている。火を使わないし寿命も長いので図書館にはうってつけだ。色合いはロウソクに近く本を読むにも目に優しい。
迷路のような書棚の森を奥へ奥へと進み、階段を上る。二階は許可なくては入れないが、今日は忍び込ませてもらう。
警戒用の結界と施錠魔法が張られていたが、俺は隠蔽型魔力糸で自分の身を繭の様に包み、結界をすり抜けた。
賢者の魔法で結界を破壊する事は容易いが、それではここの管理人に知られてしまう事になるからだ。
ここから先は、まるでスパイのような気分だ。
流石の俺も心臓がばくばくと暴れてくるのを押さえられない。
二階もかなり広いようだが、広さは宴会場の大広間の半分程度しかない。それでも百近い書棚がびっしりと並んでいる様は壮観だ。天井は普通の部屋を二階分ぶち抜いて造られているので高く、開放感がある。、
魔法の明かりが灯されているとはいえ、薄暗く、人が居るとは思えない。耳を澄ましても静まり返っていて、やはり人の気配は無いように思うが……。
俺は魔力糸による策敵結界を展開してみたが、書棚が邪魔をして本来の性能を発揮しない。どうやら本の中には、魔力を帯びた「魔道書」なども紛れ込んでいて、場所によっては歪み、捻じ曲がり上手く意思どおりに動かせないのだ。
「くそ、目と耳が頼りか……」
今日は城で大掛かりなパーティが催されているし、城の外も祭り気分だ。
そもそも、こんな日に図書館で本を読む人間なんて、寂しい青春を送ってるような残念な奴か、祭りの日になると逆に静かなところに逃げ込みたくなるひねくれ者だろう。
って……俺か?
だが、探すべき人物もおおよそ正体が掴めて来た。
俺が調べていた「メタノシュタット王家の系譜」という本をピンポイントで選び、手にとって謎めいた文章を書き込める人物――。
持ち出し禁止の図書はすべてこの二階か三階に所蔵されていて、読める人物は王族に限られる。一部の魔法学者も読めるらしいが、あんな子供じみた落書きをするとは思えない。
つまり王族だ。
しかし俺の見た限り、王族は全員あのパーティ会場にそろっていた。
と、なれば……、
『消された』第二王女――コーティルト・メティウス姫、か。
しかしそれは俺の推理に過ぎない。ウィッキ・ミルンと呼ばれる予言の主、謎の人物と実際に会わない限りは、それが消された姫かどうかは判らないのだ。
意表をついて掃除担当のオバちゃんだった、なんて事だってありえるしな。
そんな事を考えながら静まり返った辺りを見回して、人の気配を探す。
一歩足を進めるごとに、膠と墨が原料の、インクの匂いが鼻をつく。それは古書特有の埃臭さと交じり合って、俺にとっては心安らぐいい香りだ。
騒がしいパーティなんて逃げ出して、ここに朝まで篭って読書をしていたい気分にさえなってくる。
――って、いかんいかん。
ミイラ取りがミイラになるとはこの事、か?
図書館は奥が見えないほどに広く薄暗い。これ以上の手がかりはないのだろうか?
「仕方ない、もう一度検索してみるか……」
また何か書き込まれているかもしれないしな。調べる本は……『ダンスのハゥトゥ』。
ついさっき本に書き込まれていた『聞こえてくる賑やかな音楽に笑い声』、『舞踏会』と言うキーワードから連想した言葉だ。
あの書き込みは詩というよりは、どちらかと言うと自分の感情をそのまま書き記した日記のような印象を受けたし、舞踏会に興味があるなら、ダンスの踊り方の本を見るのではないか? という直感からだった。
検索魔法を展開する。
――と。
ふわり、と視界のすみで何かが光った。キラキラと光の粉を撒き散らしながら、小さな光るチョウのようなものが、書棚の隙間を浮遊していった。
「検索……妖精?」
俺も自分の館で見たときは驚いたが、ここにいても不思議じゃない。
検索妖精は現実の図書館と、千年図書館を自由に行き出来る時空を超えた存在だ。
見た目は体長15センチほどの光り輝く少女の姿をしていて、青白く光る長い髪に黒目だけの瞳。背中に半透明の羽があって、飛ぶ時に光の粉をキラキラと光らせる。
妖精の姿は、魔力を持つ者意外には見えないが、妖精自信が望めば普通の人間の目に映ることもできる。
しゃべる事はできないが、表情や仕草などで意思疎通はできるらしい。
本が集まる場所には必ず居る妖精らしいが、それを使役できるのは今のところ世界で俺だけのようだ。
時間と場所を超越して存在し、個体という概念を持たず、同時に存在する分身同士が「意識総体」として時空を超えたグローバルネットワークを構築している。
俺は間髪おかずに姿を追った。書棚の角を曲がり、追いついたと思ったとたんに妖精の姿は掻き消えてしまった。
だが、キラッ……と光る一粒の粒子が、とある本の隙間からこぼれ落ちるのを、俺は見逃さなかった。
本を手に取ろうと、近づいた時――
キィ……、と背後で何かが止まる音がした。
俺は驚き反射的に振り返った。そこには、俺以上の驚きの表情を浮かべて目を丸くする、車椅子に乗った少女の姿があった。
「あ――!?」
策敵結界を一時的に止めていた事を忘れていたらしい。ここまで接近を許すとはとんだ不覚だ。
天井から吊るされた魔法石の柔らかな灯りが、突然現れた少女の姿を照らす。
車椅子とはいっても木と皮で作られた上質な調度品のようなものだ。相当腕の立つ職人の手による品だとわかる。
右手には魔法使いの杖のような棒を持っているが、左手は車椅子の車輪を強く握ったままだ。
俺は、精緻な人形のような少女の可憐さに思わず息を呑んだ。
整った輪郭にまるくぱっちりとした瞳。それを縁取る長い睫。瞳の色は春の空を思わせる薄いブルー。髪ははちみつ色の柔らかい髪色で、立てば腰の下までの長さがあるだろうか? ゆるやかにウェーブした毛先は綺麗に手入れがなされている。
だが、少女は困惑と驚き、むしろその顔には明け透けに恐怖の色が浮かんでいる。
「あ――……ぁ」
恐怖で声が出ないのか、口を僅かに動かして浅い息を吐き出すと、慌てたように車椅子を後ろに下げようと手を動かしはじめた。俺ははじかれたように両手を上げて、精一杯の笑顔(これが一番難しいが)を浮かべて、
「あっ! 怪しいものじゃない、ちょっと忍び込んだだけで……、は!?」
われながら怪しすぎる。対人スキルの低さが恨めしい。
「……ひぃ、や……!」
完全に逆効果だったようで、少女は慌てた様子で車椅子をターンさせる、だが、すぐにガツンと書棚に挟まれて動かなくなる。ガッ、ガッ! と慌てた様子が可笑しいが、本人は瞳の端に涙を浮かべて必死の様子だ。
だが、大声を出してもおかしくは無い状況なのに、彼女は口をぱくぱくと動かすばかりだ。
俺は意を決し、名を告げる。
「大丈夫、何もしない! 俺は……賢者ググレカスという者だ」
少女は俺の名を聞いた途端、ぴたりと動きを止めた。よく見ればカタカタと小さく肩を震わせている。
淡い黄金色の髪が幼さの残る横顔を覆い隠している。その表情は伺えないが、怯えているか、泣いているか……そのどちらかだ。
俺はゆっくりと近づいて、引っかかった車椅子の向きを変えてやる。
「あ……」
「おどろかせてすまない」
俺が詫びると、ようやく俺が危害を加えるような輩で無いと理解してくれたのか、ぎこちない動きで首を傾げながら、幾度か眼を瞬かせる。
やがて少女は俯いて視線を下に向けたまま、蕾のような唇を動かした。
「それは……、私が考えた……おとぎ話……」
――なん、だって?
<つづく>