★国王陛下の料理番
◇
「本日は天気 晴朗なれども波高し……か」
晴れ渡った空、青く輝くヴィトムニア湾を眺めながら、俺は呟いた。
朝の海風は優しく、実に心地の良いものだ。
この清々しさは、やり遂げた達成感によるものだろうか。無論、秘密のティバラギーポテト・スペシャルレシピを完成させた、という意味でだ。
「賢者ググレカス、今日の波は穏やかですが、波高しとはどういう意味ですの?」
妖精メティウスが凪の海を眺め、怪訝そうな顔で羽をひらひらとさせる。
「んー? ……なんだったかな」
「もう」
何となく浮かんだフレーズだが、『人生の中で一度は言ってみたいセリフ』の上位に位置していた気がする。まぁ元ネタがなんだったのか、ちょっと忘れてしまったが。
ともあれ、今日はいよいよ美食王との決戦だ。
別に試合や戦いではないのだが、「料理でマリノセレーゼの国王陛下を唸らせる」と決めた以上、勝たねばならん戦いだ。相手は王族の肥えた舌。これは既に苛烈な外交戦とも言える。
「いよいよですね、緊張してきました」
「大丈夫。作戦通りに頼んだよ、リオラ」
「はいっ!」
栗色の髪を後ろで束ね、キリリとした表情で頷く。
リオラは『賢者の館』の厨房で調理担当をしてもらう。王様にお出しする料理をマニュフェルノやスピアルノと共に作ることになっている。
この後、ポレリッサ邸の広大なダイニングルームで昼食会が開かれる。
マリノセレーゼ国王――ベレーンガイア・マリノセレーゼ国王陛下は、今からこのポレリッサ邸を訪れる事になっている。ポレリッサの奥様、つまり国王陛下の従妹という身内に会いに来るためだ。
更にはメタノシュタットから来た親善訪問団である俺達の歓迎会に兼ねてもいる。
宮廷から一流の料理人が来て、王宮の厨房で仕込んできた料理を並べ振る舞うとのことだった。この情報がもたらされたのは、昨夜のことだ。
つまり、俺達は完全アウェイで、余興として「自慢の一品」を提供せねばならない。そう考えると流石に不安になってくる。
と、ルゥローニィが朝の鍛錬を終えて砂浜の方から帰ってきた。チュウタも砂まみれになりながらついてくる。
「ググレ殿、いよいよでござるね。相手は王宮お抱えのプロの料理人。……不安ではござらぬか?」
「あぁ、不安だよ。だが、みんなと一緒だからな」
素直に心情を吐露する。ルゥローニィやレントミアには、包み隠す必要もない。
「……でござるよね。スッピとマニュ殿は昨夜、かなり頑張っていたでござる。市場で買ったスパイスを調合して試していたでござる。お陰で、拙者も舌と鼻がもう……」
たははと笑うルゥローニィ。敏感で繊細な感覚を持つがゆえに味見をさせられて、結構大変だったようだ。
「ありがとうルゥ。スピアルノも恩に着る」
「いいってことでござるよ。普段から料理に洗濯と、館を支えてくれている、他ならぬリオラ殿のためでござる。ググレ殿はリオラ殿をしっかり支えるでござる」
「あぁ!」
昨日、俺はリオラと「秘密のティバラギーポテト・スペシャルレシピ」を考え試作した。
リオラの故郷であるティバラギーの料理を参考に、俺が持っていた「淡い思い出の味」を加えて作り上げたものだ。試作品は館の皆にも食べてもらい、更に改良を重ねた。
仕上げに、スピアルノとマニュフェルノが特別に調合したスパイスで味をつける。
そして、ルゥローニィやレントミア、プラムにヘムペローザ、ラーナにチュウタたち「試食組」の意見が、最後にはとても参考になった。
確かに俺達は料理のプロじゃない。だが、一致団結した力と「美味しさ」に関する感覚では決して負けてはいないはずだ。
出来ることは全部やった。あとは、相手がどう出てくるか……だ。
「ググレ、王宮の馬車が近づいているよ」
庭先で運動をしていたレントミアが、教えてくれた。
「了解だ。ではみんな……ゆくぞ!」
「「「はいっ!」」」
◇
ポレリッサ邸のダイニングルームはとても広い。白い大理石張りの内装に、大きな窓。見るからに高級そうな調度品の数々――。中央には三十人が余裕で座れるような長いテーブルがあり、一番奥の「上座」には、ベレーンガイア・マリノセレーゼ国王陛下が座っている。
民族衣装を豪華にしたような特別の服は、かなり手の込んだ物のようだ。
他には大臣や将軍のような、難しい顔をした役人の姿は無い。部屋の窓際に、側近の近衛兵が三名ほど目を光らせているだけだ。
「賢者ググレカス殿、今日は我が宮廷料理人が、腕によりをかけた料理で馳走させてもらうぞ、存分に楽しまれよ」
「身に余る光栄です国王陛下。家族ともどもお招きいただき、みな喜んでおります」
俺たちは深々と礼をして席についた。王様から見て左側の席に俺たち家族が着席する。
マニュフェルノに、ルゥローニィ、レントミア。そしてプラムにヘムペローザ、リオラにラーナ、幼い四つ子をスピアルノとチュウタが挟んで座る。
「僕はもう君たちが出す『自慢の一品』が心配で心配で」
四角いメガネをくいっと動かしながら、樽のような男がどすんと座る。
「心配はいらないよポレリッサ。準備万端整っているさ」
「また妙な魔法で、どうにかしようなんて思わないでね」
「あ、あたりまえだ!」
俺達の対面、王様から見て右側がポレリッサご家族だ。家族として暮らしているハーネリア、リヒラロッタもすまし顔で腰掛ける。それぞれ綺麗にドレスアップしていて、見違えるようだ。
「はは! よいよい、余を楽しませてくれればそれで良い。いつも、厳しい顔をした軍人や、外交使節との会食ばかりで、折角の料理の味も薄くなる。今日はこのような温かい家族と、綺麗どころの娘さんたちとの会食ぞ……! これは料理の味もより良くなるというものだ! ははは」
国王陛下はかなり上機嫌な様子だ。リオラにチラリと視線を向ける。
まぁ美味しい料理を身内である従妹の家で食べるのだから、気楽なのだろう。
俺たちゲストの前にも、料理が運ばれてきていよいよ会食が始まった。給仕の女性が一斉にドアを開けて料理を運び込んで並べてゆく。
「前菜の魚介のマリネ、茹でジャガイモ添えにございます」
「ぬ!?」
いきなりジャガイモを使った料理……だと!?
思わず家族たちと目を合わせる。
白い陶器製の皿の上には、薄くスライスされた生の魚の切り身に、塩漬けのオレンジ色の卵、そして茹でた貝が添えられ、食欲をそそる香りがするソースがかけられていた。
その横には白く粉を吹いたジャガイモが添えられている。緑の細かなものがまぶしてあるが、ハーブ入りのソルトで味を整えたものだろう。
――こ、これは……!
早速食べてみるとソースの絶妙な酸味と香味が、魚貝の臭みを消して旨味を引き立てる。舌の上で白身魚がとろけ味覚を楽しませ、貝の弾力のある食感が触覚を刺激する。そこへ魚の卵のプチプチとした食感がアクセントとなり、踊りながら喉を通りすぎて行く。余韻を忘れぬうちにポテトをフォークに乗せて食べてみると、ジャガイモの甘さとハーブソルトの風味がまたいい。
「美味い……!」
思わず胃袋からの感想をそのままつぶやく。
「美味しいですねー……!」
「早速生の魚かにょ……と思ったが、食べてみると絶品じゃにょl!」
プラムとヘムペローザが早速、歓声を上げる。その声にマリノセレーゼの王様は実に満足そうな微笑を浮かべた。
「で、あろう!? 今朝ヴィトムニア湾で採れたての魚貝だ。堪能めされよ」
「はい。これは実に美味しい……素晴らしい食材と調理です!」
「美味。さすが王宮のお料理ねぇ」
俺も素直に感動を口にする。マニュフェルノと顔を見合わせて顔もほころぶ。今日のイベントは抜きにしても、料理は純粋に素晴らしい一級品だ。
「――魚貝は勿論ですが、北方の国から取り寄せた、大地の滋養を吸ったイモの組み合わせ、なかなかでございましょう?」
と、不意に背後から声がした。
ハッとして振り返ると、窓の光を遮るように、大きな背丈の男が立っていた。
どうやら次の料理を運んで来たようだが、精悍な顔つきに鋭い目つき。首が異様に太く、肩も腕も胸も、モリモリと隆起した筋肉質。それをコックが着る白衣の下に押し込んでいる。
どうみても只者ではない。特殊部隊に所属する軍属のコックだろうか。
肌は例に漏れず日焼けしていて、髪は黒っぽい。頭に載せた大きなコック帽と、ヒゲがナマズのように左右に長く伸びているのが特徴的だ。
「……貴殿は?」
「申し遅れました。私、王宮料理長、国王陛下の料理番こと、ヒローブン・セガーレにございます」
――国王陛下の料理番……!
ゴゴ……ゴォンと波がうち寄せる音がした。
<つづく>




