マリノセレーゼ王の頼みごと
◇
「遠路遥々よくぞ参られた。メタノシュタット王国の賢者ググレカスよ。ご家族共々、歓迎するぞ」
よく通る張りのある声だった。
ベレーンガイア国王陛下は若く、三十代も半ばと言ったところだろうか。
海の民、マリノセレーゼ人特有の小麦色に焼けた肌の艶は良く、好奇心溢れる瞳と屈託のない笑顔が印象的だ。
「お招きいただき光栄です、ベレーンガイア・マリノセレーゼ国王陛下」
俺は右手を胸に当てると、深く頭を下げた。
マリノセレーゼ王国の海竜聖宮に招かれた俺達は、国王陛下との面会という栄誉を賜っていた。
マリノセレーゼ流の挨拶は、失礼のないようにと謁見までの待ち時間の間にしっかりと予習をしておいたものだ。家族たちもそれに倣い、礼をする。
「おおぅ? 我が国の伝統を重んじてくれるとは嬉しい事よ。だが気遣いは無用ぞ、ここは大海のように分け隔てなく開かれた国。形式ではなく気持ちが伝われば十分ぞ」
「寛大なるお心遣い、感謝致します」
優雅に再び礼を返すと、王はゆっくりと眉を持ち上げ、満足そうな笑みを零した。
なるほど、噂通りの度量と寛容さを見せるあたり、大物の風格が漂う。
日焼けした肌に白い歯を見せての笑顔や、大らかな雰囲気は砂漠の国イスラヴィアを代表するエルゴノートを思い出す。だが、こちらの様子を仔細に観察している様子の眼差しなどは、その数倍も抜け目がない印象を受ける。
竹を磨き、飾り壁に仕立てた『謁見の間』は広さ15メルテ四方ほど。天井まで届くような装飾が施された玉座が一番向う側にある。
左右には最初に案内してくれた外務大臣と、側近の相談役と長老らしい顔ぶれが2名。勲章と凛々しい制服の人物は国防戦士団長だろうか。他には、赤と黒のローブを身に纏った最上位魔法使いと思われる女性が一人立っている。
衛兵と合わせても十数人ほどで、それほど物々しい雰囲気ではない。
「早速だが、貴殿らの港町レーシアでの働き、聞き及んでおるぞ。港が使えず多くの船乗りや民が困っておった。民に代わり礼を言おう」
「もったいないお言葉。礼などと仰せられては痛み入ります」
俺は流石に恐縮する。
「港が使えぬ原因が巨大なカニであったとはな。誰も見抜けなかったのは手抜かりよ。本来ならば我が国が誇る海軍が出向くべき仕事であった。それを異国からの客人の手を煩わせる事になるとは……。メタノシュタットには借りができた」
王の言葉は明朗だが、暗に自国軍の失態だと言っているのだ。王の右横に立っていた国防戦士団の長が表情を曇らせた。
「……恐れながら申し上げますベレーンガイア・マリノセレーゼ国王陛下、我が国に借りなどございません」
俺は一拍の間を置いて声を上げた。
「ん?」
「忌々しいカニめは少々手こずりましたが、私共の胃袋に収まりました。実に新鮮で美味、お陰で家族ともども、良い旅の思い出が出来ました」
「カニさん、美味しかったですよー……」
遠慮がちに小声で言うプラムのナイスフォロー。
「……ははは! これはいい、いや、気に入ったぞ! 噂に聞こえし賢者ググレカス。魔法の実力も然ることながら知恵も実に痛快ぞ」
王の飾り気のない笑い声が響くと、大臣や国防戦士団の長も思わず表情を緩めた。
「上手いねぇ……。実に」
横で静かに聞いていたポレリッサが小声で茶々を入れる。
「貸し借りは無いんだ。あくまでも親善訪問の挨拶だからな」
俺は先程の貴賓室で、遠距離魔法通信でメタノシュタットのリーゼハット局長に、謁見が決まったことを伝えていた。何か気をつける点はあるかと尋ねると、現場判断で上手くやってねという、有り難い指示を頂いた。
『何事も貸し借りなし、交渉せず、安請け合いせず。けれど、ググレカスくんが出来る範囲のことはしてあげても損はないよ、大切な友邦国だし。くれぐれも慎重に』
そこで遠慮なく『検索魔法』を使い、地元の報道業者が発刊している魔法写真入りの名簿を調べまくった。
時間は限られていたが、王族の名前、王政府要人の名簿などにも一通り目を通した。可能な限りの国情を調べ、粗相のないように準備はしたつもりだ。
「ところで、ググレカス殿は、今夜の宿はお決まりか?」
「いえ、まだ……」
「ふむ、ならばポレリッサ。客人の宿ともてなしを頼んだぞ」
「あ……? それは、えぇ、モチロンにございます。ウチで丁重におもてなしを。妻に相談してみます……」
ポレリッサが「そうきたか」とばかりに苦笑いを浮かべる。ベレーンガイア・マリノセレーゼ国王陛下は更に続ける。
「うむ、頼んだぞ。お主が心血を注ぐゴーレムや空飛ぶ魔法道具について、いろいろと語り合い、教えを乞う良い機会であろう?」
「は、まぁ……えぇ」
「知恵を借りるが良い。素晴らしい魔法の知識をお持ちの賢者殿であれば、何か良きアドバイスをくれるであろう」
王はよい考えだとばかりにポレリッサから視線を俺に向け、軽快な口調で喋りつづける。
つまりは、魔法の技術支援をしてくれというのだ。この流れではここで断れるはずもない。持ち上げて囲い込まれた格好だ。
「あのように館を空に飛ばすなど、信じられぬ程の魔法よ! 世界でも稀有な魔法使いが我が国に来たとなれば、いろいろと面白い話も伺いたいものよ! そうであろう? 魔法長ゲイラリーズ」
「仰せのとおりでございます国王陛下。魔王大戦の英雄のお話など、是非とも拝聴させて頂きたいものですわ」
小麦色の肌に、紅の乗った厚めの唇。紅水晶のような瞳の目尻は下がっていて、髪はオレンジがかった茶色で腰までの長さがある。
錫杖を持つ手は肉付きがよく、ふっくらとした女性特有の身体のラインを、赤と黒のローブで包み隠している。
――あれがマリノセレーゼの最上位魔法使いか。
魔法力を発散していないので、どんな使い手なのかもわからない。錫杖や腕に付けられた装身具は全て魔法道具だろう。
「賢者ググレカス、なんだかセクシーな魔女様ですわねぇ」
「あぁ、アルベリーナ様を思い出すな」
「でも! 私がいる限り、決して二人きりにはさせませんから!」
「何の心配をしているんだメティ」
「女性特有の身体のラインが……とか思っているような気がしまして」
「ばっ!? 思ってないよ」
戦術情報表示を通じて、メティウスとコソコソとアホな話を交わす。
まぁ色仕掛けだろうが力ずくだろうと、魔法の秘密をホイホイと教えるわけにもいかない。なんとか上手くごまかして逃げ帰るとしよう。
と、次に王の興味は俺の家族へ向く。
「時に……ググレカスのご家族。えぇと、そこ、その後ろにいる可愛らしい栗毛の娘さんよ」
王は最後尾でうつむいていたリオラを見据えて話かけた。
「は、はいっ!?」
リオラはきょろきょろっと左右を見回して、どうやら自分に話しかけられたものだと気がつくと、目を白黒させた。
「あまりこのあたりでは見かけぬ髪色だ。実に美しい。何処の出身なのかな?」
「え、ぇえ!? あ、あのその、私、ルーデンス方面の、そのティバラギー村出身で」
「ほぅ……? メタノシュタットの北に位置する広大な森林地帯か。では……ひとつ、余の頼みを聞いてはくれぬか?」
「なな、なんでございましょう……!?」
ごくり、とリオラが留飲する。
マニュフェルノも、スピアルノもルゥローニィも、突然の王の言葉に固唾を呑んでリオラとマリノセレーゼの王を交互に見る。
プラムもヘムペローザもチュウタも、リオラを心配そうに見つめている。
王はリオラを見て「可愛らしい」とか言っていた。まさか「余のものになれ」とか、いきなり無茶ぶりをするんじゃあるまいな?
その時は外交問題になろうが、リオラを連れてここを出るまでだが。
「実は……宮廷の料理も飽きてしまってな。異国の料理が食べたいのだ。家庭料理で良い。何か……こう、美味いものを食べさせてはくれぬか?」
「え、えっ!? その、ウチはジャガイモ料理しか……って、王様に食べていただくようなものは」
「ほぅ? ますます気になるな! 是非とも食べてみたいものだ」
「ど、どうしましょう、ぐぅ兄ぃさん!」
「うーん、まぁ料理ぐらいなら良いんじゃないか」
「でもでもっ!」
リオラがあわわと慌てながら、身体を左右に揺らす。
返答に困っていると、王は次にポレリッサに向き直る。
「ポレリッサ、明日お前の館に赴こう。久しぶりに従妹の顔も見たいしな。そして賢者ググレカス、すまぬが、その娘にも料理を作らせておいてくれると余は嬉しいのだが……。無論、無理にとは言わぬが」
「ご期待に添えるよう、考えてみます」
返答は少し濁したが、断れる流れでもない微妙な願い事だ 。
「来ましたね。無茶振り」
「う、ううむ。無茶振りとはこれのことか……」
ポレリッサと俺は、メガネを突き合わせて小さくため息をついた。
<つづく>




