第八話
今日からMMOカリキュラムが正式に授業として始まった。
言葉にすればこうやって一言で済むことだけど、それに対する新参者、つまりは俺達高等部一年生のモチベーションは半端じゃない。
あの日、初めての『ユメワタリ』というゲームを終えてから今日までの一週間の間、盛りに盛り上がったものだ。
夏木は常にテンションが異常に上がっていて、早乙女は何時もの二倍増しで姦しく、弟はいつも以上の爽やかな笑顔で女子を赤面させていた。
あるクラスでは興奮のあまり授業中に鼻血を噴き出した男子生徒も居たそうだ、・・・まあ、それは後から横の席で授業を受けていた胸の大きな女子の脇からブラチラが見えたからだったということが判明したんだがな。
それを誤魔化す為にMMO授業が楽しみ過ぎて興奮したと言い訳をした男子生徒には敬意を表したい、すぐにバレルであろう嘘をつき通そうとしたその意思はすごいと感心する。
やっていることは最低だが・・・・彼もきっと本望だったことだろう。
まあ、ともかく、そうした騒動が合った中、今日から無事にMMO授業が始まったわけである。
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つい先ほど、『ユメワタリ』の世界に来て早々に不良と思しき先輩方に絡まれていた俺は、それを特に気にすることも無く意気揚々と大通りを歩いていた。
不良に絡まれるのなんて日常茶飯事だ。
弟があんなんだからな、やれ女を取られただの、やれ喧嘩売って返り討ちにあっただのとほざいて俺に因縁付けてくる奴は現実の世界に多い。
まったくもって不愉快だ。
弟は弟、俺は俺だろうが、巻き込んでんじゃねーって話だよな。
まあ、弟が悪いわけじゃないからそこまで強くあいつには言えないわけだけどさ。
―――そいつが俺の胸に飛び込んできたのは、そんなことを考えていた時だった。
「―――ちょっと、なんで先に行くわけ。待っててって言ったじゃん」
身体をすりよせながら見上げてくるその直向きな眼に、もの凄く見覚えがあった。
俺は戦慄した。
「あ、ああ、その、悪い。別にお前を避けてたってわけじゃないんだぞ?ただ俺もさ、一人でやりたいことがあったっていうか・・・一人でいられる時間を大切にしたかったていうか」
「うん、わかってんよ。マキがマナを避けるわけないじゃん。ウチらちょーラブラブだし」
何か、俺の知らない所でこいつと俺はちょーラブラブになっていた。
・・・・・みんなはこいつが誰、とか聞きたいよな?
だって俺の知り合いの中に出会いがしらに抱きついてくるような奴はいなかったもんな。
信じがたいことに、こいつはあの糞ガキな訳で、どうトチ狂ったのかは知らないけど一週間前のあの日、教室の中で俺への愛を叫んだこいつは人が変わってしまった。
正直、前の傍若無人な糞ガキが懐かしい。
今のこいつは、なんか恐い。
姿形が変わったってわけでもないし、俺に対する態度は前より軟化しているにもかかわらず、ただ恐いんだ。
まるで人じゃない何かと対峙しているような、そんな寒気がする。
瞳から光彩が消えた眼で見つめられた時は、蛇に睨まれた蛙の気分が味わえる。
「ねえ、キスしよっか」
今みたいに意味不明なことを言ってくるし。
さっきから俺達に集まっていた視線がこいつの言葉でさらに多くなっているにもかかわらず、動きを止めない。
腕で首を拘束しながら、マナはつま先立ちになって俺に口づけを迫ってくる・・眼を見開いたままで。
普通そういうときは瞳を閉じるものなんじゃないの、という疑問は事ここにいたっては不粋だろう。
何せこいつは魔眼で俺の動きを止めているわけだからな。
ハッハッハ、笑いごとじゃねーよ、すげー恐えーもん。
若干混乱している頭で俺はどうすればいいのか考える。
抵抗は出来ない、っていうかどうしてだか身体が動かない。マジで魔眼の効果なのか?
だからといってこのまま観衆の中でファーストキス(マナのじゃなくて俺の)をするなんていう羞恥プレイには耐えられない。
マナの唇と共にタイムリミットが迫る中、考え尽くした俺は声をだした。
「ま、マナ。待て、い、今は止めよう」
なんで?と問いかけてくる眼に臆さぬように震える声をなんとか絞り出す。
「俺もお前もさ、初めてだろ?やっぱそういうのは男の方からするものだと思うんだよ。・・・お前との初めてはさ、大切にしたいんだ。だがら、ちゃんと、俺からするから、待っててくれないか?」
・・・・・自分で言っておいてなんだが、うん。これはない。なんか死にたくなってきた。
俺が精神に致命傷を負いながら絞り出した言葉を聞いたマナは、ぱちぱちと瞬きをした後、顔を赤くして笑顔を咲かせた。
「うん、うん!いいよぅそういうの。マキってば男らしい、マナってば惚れなおしちゃうじゃんっ!」
どうやら、今回は選択肢を間違えずに済んだらしい。
間違えていたらどうなるのかは考えたくもないが、ともかくよかった。
取りあえずこういっておけばマナの我慢が続く限り、意味不明な理由で迫られることはなくなるだろう。
ナイスプレーだ、俺。超頑張ったよ。
「えへへー、ごめんね。マキがマナのこと大切にしてくれてんのはわかってんだけどさ、ちっとも手を出してくんないから、マナってばちょっとはしたない真似しちゃった」
「あー、次からは気を付けろよ。俺は清楚なマナの方が好きだからな?」
「はーいっ!」
そこ、周りの奴ら。
バカップルだのリア充死ね、氏ねじゃねぇ死ねだのうるせえんだよ。
なんなら変わってやるから来いよ、こっちに気がないのに常にこんな感じで迫られてみろ、胃潰瘍になって死ぬわ。
現にこいつが教室で急にイチャつきだしたせいで早乙女にはうざいから死ねみたいな視線で見られたんだぞ、誤解を解くのにどれだけ苦労したか。
「じゃあ、ポーションとか必要なモノ揃えてレベル上げに行こう。俺が12でお前が13だから、夜の森とかでも大丈夫だよな?」
視線に耐えられなくなってきた俺はもう買い物をして大通りから立ち去ることにした。
ああ、そうそう、後から聞いた話なんだがマナは俺に迫っていた時に『プレッシャー』のスキルを使っていたらしい。
スキル『プレッシャー』 自分よりレベルの低い相手を一定時間拘束する
そりゃ、俺も動けなくなるわな。・・・つーか、なにしてくれてんだよ。
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『夜の森』
講習の間に発見されたフィールドの中で最も難関であると言われたそれは、なんと初心者用ダンジョンの最上位でしかなかったらしい。
まあ、いわれてみればたかだか3日しか『ユメワタリ』をやっていないプレイヤーが挑んで難しいレベルの敵が出てくる所が上位フィールドなわけがない。
2年も3年も早くこのゲームをやっている先達たちがいるわけだからな。
講習中は『朝の草原』『昼の丘』『夜の森』の三つしかなかったフィールドだが、弟の話では『森林』『火山』『渓谷』『湖』などのフィールドがあるらしい。
先輩たちと連れて行ってもらうのだと爽やかな笑顔で自慢された。
まあ、そういう訳で『夜の森』はそこまで難しいフィールドではないわけなんだが、レベルの低い俺達が向かうには丁度いい・・・などと考えていた俺が馬鹿だった。
「幽霊・・だと・・」
『夜の森』と呼ばれるくらいだ、この森は昼夜関係なくいつも暗い。
だから出てくる敵は夜行性の獣だと思っていたら、出てきたのは、幽霊だった。
正確にはまんま骸骨なスケルトンと顔のついた青い光が風船のように漂っているプラズマーというモンスターなわけだが、そんなことは関係ない。
正直に言おう、俺は幽霊が駄目なのだ。
すごい怖い、マジで怖い、足が竦むくらいには恐い。
食わず嫌いとか知らず恐いとかそういうのではなく、確固たる理由があって駄目なんだ。
なにを隠そう、俺には霊感があるのだから。
なにを馬鹿なとか言わないでくれ、しょうがないじゃないか事実なんだから。
元々、父さんの母親、つまり俺のおばあちゃんが昔からそういうモノが見えると言っていた人だったらしかったんだが、その血の所為なのか俺にもそういうモノが見える。
常に、ってわけじゃない。
たとえば家に一人で居る時に部屋の前を通り過ぎる人影を見たり、触ってもいないのに物が落ちる現場によく遭遇したり、朝起きたら金縛りにあっていたりするんだよ。
気のせいとか恐がりとか証拠はあるのかとか言われれば言葉に困るわけだけどさ。
まあ、ともかく何が言いたいかといえば俺はこういうモンスターとは戦えない。
無理をすれば蕁麻疹が出るレベルで無理だ。
百歩譲ってスケルトンはいい、人体の骨格模型だと思いこめば幽霊じゃないからいける。
けど、プラズマーは無理だ、アレはもう普通に幽霊にしか見えない。
というわけで、俺が好き好きでどうしようもなくて役に立ちたくて仕方がないであろう頼れる相棒に丸投げすることにした。
「マナ、お前の美しい戦い方を見せてくれ」
「えええぇ、無理、じゃないけど、嫌っ!マキこそ頑張んなよ。スケルトンって打撃に弱いんだって、格闘家の腕の見せどころじゃん!」
俺の言葉に明かに動揺しながら首をブンブンと振る。
そういえばこいついつの間にか俺の後ろに隠れてやがったな。
「・・・・・なあ、まさかお前も幽霊が怖かったりしないよな?」
「はぁ?そんなわけねーし、大体アレ幽霊じゃねーよ、モンスターだし!馬鹿じゃん、死ぬのっ」
はいはい、怖いのね。
俺もこいつも戦えない様なので、『夜の森』に入って5分で俺達は撤退することになった。
何しに来たんだよとか言わないで欲しい、仕方なかったんだよ。
取りあえず街に戻って『夜の森』をどうやって攻略するか考えなきゃな。
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街に戻り、話しあった結果、俺達はあの幽霊たちと戦うことができないということになった。
攻略する方法を考えた結果が、攻略できないという事とは、自分のことながらすごく情けない。
だが、仕方がないではないか。俺達二人とも、戦うことすら難しいのだから。
俺は鳥肌が立つレベルで無理だ。
マナも無理をすれば行けるかもしれないが足がすくむらしい、無理して死んだら元も子もないし、止めておいた方がいいだろう。
ならばどうするか?
解決方法は二つある。
一つは『夜の森』では戦わずに別のフィールドに行くということ。
さっきも言ったが授業が始まったことで行けるフィールドは増えた、その中には『夜の森』より一つ上の難易度を持つ場所も無論ある。
確かにそこは俺達のレベルでは適正レベルに届かない場所ではあるが、幽霊と戦うよりは勝率が高いだろう。
もう一つはもっと単純に幽霊と戦える人を捜してパーティーに入ってもらうことだ。
俺としては簡単で危険のない後者の方がいいのだが、マナは。
「嫌、どうしてマナとマキのパーティーに他の奴いれなきゃいけないわけ。いいじゃん、二人だけ」
「二人じゃ勝てないから言ってんだろ?俺もお前も、理由はどうあれ戦えないんだからさ」
「うぅ、わかってんよ、そのくらい、けど、マナは何処の誰とも知れない馬の骨と組むなんていやだかんね」
「馬の骨とか、はぁ。お前そこは変わってねーのな。キャラとかいう前に性格の問題かよ。たく、お前さ、友達作りたくてゲーム始めたんだろ?そんなことでどうすんだよ」
「うっせーよ!マキの馬鹿!」
話しあいは平行線、マナは譲る気がないらしい。
こっちが折れるしかねーのかな。仕方ないのか?これはさ。
「わかったよ。一つ上のフィールドでレベル上げをするか。二回連続で幽霊が出るフィールドって訳じゃないだろ、キツイだろうけど、行くぞ」
「うんっ!」
たく、嬉しそうに笑ってんじゃねえよ。
そんなに嫌かね、仲間が増えるのは。俺は人数が多い方が楽しいと思うんだけどさ。
・・・・人目が多い方がマナに襲われる確率も減るだろうし。
俺達はそうして『未明の渓谷』に向かった。