第二十三話
目を覚ますと見慣れないベットの上にいたので、俺はとりあえず漫画・アニメ好きを自称するなら言っておかなければならない台詞を言っておく。
「・・・知らない天井だ」
うん。満足。
茶番を挟み冷静さを取り戻した頭を振って、周りを確認する。
石畳の床に石造りの壁。ベッドもその傍の棚も質素なつくりだが、棚の上に置かれて飾られている花瓶の花を見るに、俺を此処に運んだ誰かに、明確な悪意はないようだった。
「いや、早計な判断か?でも、見舞う気持ちがある以上、それを蔑ろにしたくはないし」
とりあえず、気絶をさせられて放り込まれている場所が倉庫や牢屋の中じゃない以上、俺をこんな目に合わせた奴でも話し合う価値があるだろう。
冷静ささえ失わなければ大丈夫。幸いというべきか、俺はこういう唐突に訪れるピンチ、理不尽な状況というものに馴れている。
弟があんなだからな、恨みは毎日ダース単位で買っている。
拉致監禁も慣れたもの。最近じゃ『王国』に一週間監禁だってされている。
いやー、何の問題もないなー。道端で女の子二人に襲われるくらい普通普通。
あっはっはっ・・・んな訳あるか。
「というわけで、脱走するか」
俺は速攻で身支度を整えて部屋を出る準備をする。幸い、防具一式は取り上げられることもなく、ベッドの傍の床に並べて置いてあったのでそれを着込む。これで最低限の戦闘に耐えられるだけの攻撃力と防御力は手に入れた。
だが、しかし、まだ問題はある。俺は問題のそれを手にとってマジマジと見つめる。
裁縫師『ココナッツ』こと夏木お手製のアイアンヘルメット(バイクヘルメット仕様)だ。
うーん。さすがに、これは装備してたら目立つよな。ずっと装備していたせいで感覚はマヒしていたが、これが怪しさ満点の謎装備であることに間違いはない。
「ここが俺の考えている場所だとするなら、流石にこれを付けて逃げるのは、見つけてくださいって言ってるようなもんだよな。・・・置いていくか?いや、でも、夏木に怒られるよな」
まあ、怒られるのは別にいいが、最悪なのは泣かれることだろう。あいつ、この装備に俺以上の愛着を感じているみたいだし、うん。どうするか。
「・・・まあ、うん。仕方ないよな」
背に腹は代えられない。そう決意して、俺は、アイアンヘルメットを装備した。
え?また捕まるだろだって?いや、俺にとっては捕まることより夏木に泣かれることの方が怖い。だってあいつ、泣くと泣きながらマジで男の急所を蹴ってくんだぜ?ある意味、マナやユウヤミよりやべー女だよ。
俺はいつも通りの格好で部屋から出た。
「さて、逃げよう」
「な!?見るからに怪しい奴がなぜ『王国』本拠の中枢であるこんな場所に!?貴様!さては敵だな!」
そして速攻、衛兵の様な格好をしたプレイヤーに見つかった。
そりゃそうだ。
俺は全速力で駆け出した。
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曲がり角にぶち当たり、俺は本能的に右の道を選んだ。
「ああ!?誰だテメェは」
灰色の鎧を装備した見るからに高レベルの騎士風のプレイヤーと正面衝突しそうになり、俺は速攻で来た道を引き返す。
「おい!待てこらぁ!」
いや、待たねぇよ。なんだあの人。マジやべぇよ。主人公の弟を持った俺の人を見る眼と素質をかぎ分ける嗅覚は自慢じゃないが、大分高い。その目と鼻が、あの人とぶつかりそうになった時に告げてきた。
あれ、やばい。
勝てる負けるの話じゃなく、勝負すらも成立しないだろう。
弟を前にしても感じなかったその出鱈目感は、たぶん俺とあの人との間にある絶望的なまでのレベル差が原因だろう。
流石は『王国』。超高レベルのプレイヤーがモブキャラの様にそこらを歩いてる。
そのプレイヤー層の厚さは素直にすごいなと思った。
「いや、感心してる場合じゃないんだけどさ」
全速力で『王国』の本拠点と思われる場所を走る俺は振り返るのが怖い。
さっきから俺を負う足音が増え続けているのは、きっと気のせいじゃない。
身体的なアドバンテージに秀でている『格闘家』でよかった。もし魔法職とか選んでいたら、俺は逃げる間もなく捕まっていただろう。
しかし、まあ、うん。
「いい加減止まれや!こらぁ!」
後ろから武器や物やスキルと思われる攻撃がブンブンと飛んでくる。
捕まるのも時間の問題だった。
俺は我武者羅に走り、そして、今まで見た中で一際大きく豪華な装飾の施された扉を門番と思しきプレイヤーが止めるのも構わずに蹴り破り飛び込んだ。
そこには前のMMOカリキュラムの際に『王国』の地下牢で出会った薄緑の髪をしたプレイヤーと黒髪黒眼のプレイヤーがいた。
俺は黒髪黒眼のプレイヤーを見つけて、安堵した。
「やっと見つけた」
「・・・フルフェイスのバイクヘルメット、そうか、お前が・・・」
「じゃあ、話し合おうか。『王さま』。とりあえずの議題は、俺を二回ほど拉致ったことについてだ」
「そう、いきり立つな。ようこそ『王国』へ。こうして直接会うのは初めてだな。しかし、初めましてという気分ではないな。お前の話を、俺は現実の世界で嫌というほど聞かされている」
「・・・マナがお前の妹だって話はマジなのか」
びっくりした。そして俺は背後から組み敷かれて頭を床に叩き付けられる。
ビビった。攻撃と呼ぶには乱暴すぎるそれで、俺の体力は半分近く消えてきた。
「っ、いたですって、先輩」
「黙れ。首切られてないだけでもありがたく思いやがれよ、後輩」
「うるふぃん。殺すなよ。妹の友達だ。俺に話があるらしい」
「ああ?妹の友達って、ああ、そうか。こいつが『マキ』か。あの『虹色の絆』のエースの兄貴だっていう、格闘家の」
灰色の鎧を着た騎士。『うるふぃん』と呼ばれたプレイヤーは俺の頭を掴みあげて床から顔を上げさせる。そして、俺の顔を見ると獰猛に笑った。
どうやら俺はとある黒髪赤眼の少女のせいで有名人になっていたらしい。そんなに出来そこないの俺が珍しいかね。いや、珍しいのは格闘家か。
『うるふぃん』と呼ばれたプレイヤ―は笑いながら言う。
「つーか、なんだよ、そのヘルメット」
うん。それについては何も言えない。
意外にも『うるふぃん』と呼ばれた灰色の騎士は笑いながら俺を開放した。
「・・・いいのか?」
「あ?いいよ、別に。お前が『文武連』か『人民』のプレイヤーなら問答無用でぶっ潰したけど、『あーさー』、おっと、『王さま』の妹の友達なんだろ。最初から言ってくれりゃ良かったのによ」
「いや、だって、あんた、出会ってすぐに剣を抜いて凄まじい形相で追ってきたじゃないですか。説明する暇なんてありませんでしたよ」
「ああ、悪い悪い。てっきり敵だと思ったからよ。獲物を前にしたら止まれない性格なんだわ、俺」
獲物って、獣か何かかこの先輩。そう思うと灰色の鎧に施された毛皮の装飾と逆立てた白髪が相まって、なんだか狼に見えてきた。プレイヤーネームは『うるふぃん』だっけ?
うるふぃん。うるふ。うん。次からこの人のことは狼先輩と呼ぼう。
狼先輩はもう一度、獰猛に笑うと「散歩の続きをしてくる」と言ってその場から立ち去って行った。彼は自由気ままな人のようだ。
この場に残されたプレイヤーは三人。俺と『王さま』と『緑の魔女』。しかし、『緑の魔女』は判断の全てを『王さま』に任せるつもりの様で、『王さま』の半歩後ろに立ったまま動こうとはしなかった。
『王さま』は俺に問いかける。
「それで、お前は何をしに来た?」
「俺は自分の意思で此処に来たわけじゃない。目が覚めたら此処に居たんだ。あんたの命令じゃないのか?」
「いや、違うな。部下から奇妙な奴を事故で『気絶』状態にしてしまったので治療のために本拠に運ぶ許可が欲しいとの連絡はあったが、それがお前だったのか?」
「・・・事故ね。故意の事故じゃねーの?」
「違う。確かに俺はマナに近づくお前の真意を確かめる為、一度お前をさらったことがあるが、その時の目的はもうすでに達してる。二度の手間をかける意味はないだろう」
「真意?」
「見てのとおり、俺は『王国』において『王さま』という立場にいる。そんな俺の妹に近づいている奴がいるんだ。警戒をしない方が馬鹿だろう」
一応、納得のできることだった。確かに、大手ギルドの長を務める『王さま』からすればそれは当然の対応でもあったのだろう。相手から、つまり俺から『王さま』に対してあいさつ成りなんなりの何らかのアプローチがあれば話はまた違ってきたのだろうが、それもない以上、自分で調べるしかなかった。それで手っ取り早く俺を攫ったわけだ。
あの一週間前の嫌な事件は、俺のことを知りたかった『王さま』と『王国』を極力避けて行動していた俺との間で起こるべくして起こったものだった。
もしこれが俺ではなく弟であったなら、また話は違ったんだろうな。話し上手な弟なら、マナから『王さま』が兄であるという情報をもっと早く正確に聞き出していただろう。
しかし、まあ、そこは俺だからしょうがない。
「話はわかりましたよ。なら、今回の件は本当に事故だったんですね?」
「ああ、お前を『気絶』させてしまったメンバーからはお前が目を覚ましたら直ぐに知らせて欲しいと言われている。本当ならお前が目覚めるまで傍にいるのが誠意なのだが、そこは許してやってほしい。今の『王国』の状況をお前も知っているだろう?お前の『気絶』状態の時間がいつ終わるかわからない以上、あまり些細なことで戦力を裂くわけにもいかない」
「それはそう、ですね。別に気にしませんよ。それに謝罪というなら、飾られていた花で十分ですから忙し時に連絡なんてしなくていいですから」
「・・・お前がそういうのなら、そうしよう」
「お願いします。じゃあ、俺はもう帰ります」
「ああ、出口はこの部屋を出てすぐそばに控えているプレイヤーに聞いてくれ。俺の名を出せば出口まで案内してくれるだろう」
分かりましたとそう言って、俺は『王さま』と『緑の魔女』に背を向けてその部屋を後にする。遊んでいたら攫われるなんて言う事態に二度遭遇したなら、その原因を取り除かなければ満足に遊ぶこともできないと思った。けれど、二度目のそれは事故で、もうその心配がないというのなら、もう『王国』に用はない。
その筈だ。その筈なんだ。
俺の選択は何一つ間違っていない。
『人民』と『文武連』による『王国』への革命。それに動き出す『虹色の絆』。
『オウコク学園都市』を揺るがす事件は俺の隣で起きている。
その当事者たちの近くに俺がいることは否定しない。
それでも俺は、どうして俺が、
うん。やらない。
俺はその場を後にした。
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『王国』の本拠を出た俺は驚愕した。自分が出てきた場所、『王国』の本拠はなんと『オウコク学園都市』に聳える巨城だった。大通りの宿屋から毎日のように見上げていた、オブジェクトだと思っていたそれが、まさかプレイヤーの手によって作り上げられたギルド拠点だったとは、『ユメワタリ』というゲームの大きさを改めてみたような気がした。
そして同時に溢れる『王さま』と呼ばれるプレイヤー、マナの兄への尊敬の気持ちに嘘はない。おそらく彼は弟と同じ素質を持った人間なのだろう。主人公補正持ち。物語の主役であれる人物。
自作自演の自称ヒロインでしかなかったマナとは、明確なまでに違っていた。
どうやら俺とマナは、似たような境遇にいるらしい。皮肉なことにマナの居ない所で俺のアイツに対する好感度が上がっていく。
まあ、マナを調子に乗らせると碌な目に合わないので伝える気なんて毛頭ないけどな。
大通りに向けて石畳のが移動を歩く。聞こえてくる賑やかな謙遜の中に、剣呑な空気を感じた。これが格闘家の訓練所でおっさんの言っていた、嫌な空気という奴だろう。
NPCがそれを感じているということは、『ユメワタリ』の『オウコク学園都市』サーバーの運営。学校側も今回の『人民』による革命を知っているのだろう。その上で止めようとはしていない。『ユメワタリ』の可能性の大きさの一部として、『オウコク学園都市』が混乱するである今回のイベントを認めている。ならもう本当に、『人民』の革命を止める者はいない。
『オウコク学園都市』は変わる。
このままいけばもう俺は、聳え立つあの城をもう二度と見ることはないのだろう。
そんな感慨をもって、俺は思わず広場で足を止めた。
そして、そこには俺と同じように足を止めて巨城を見上げる人がいた。
「ゴンゾウさん」
「・・・マキか・・・久し・・・くはないか」
「ああ、現実の世界であってるから、二日ぶりだな」
「・・・そうか、たった二日か・・・俺には時間が長く感じたが、まだ二日しかたっていなのか」
「そりゃ、革命なんて大それたことをやっていれば、時間の流れも変わるでしょ。良いのか、『人民』のリーダーがこんな『王国』本拠の傍に一人で居て」
「・・・『人民』の強みはその数と細分化された組織力にある・・・『人民』というギルドは存在せず、大小さまざまなギルドが『人民』を名乗っているに過ぎない・・・目的だけが同じ烏合の衆・・・頭の顔など覚えているものの方が少ないだろう」
『王国』という巨大ギルドが『人民』という新しくできたばかりの組織に対応することが出来ていない理由を語りながら、ゴンゾウさんはいつもの様に無言で腕を組んだ。
「・・・『王国』に俺の顔はいまだ知られていない。・・・それに古い価値観をもつ『王国』では、生産職の『錬金術師』である俺が『人民』の頭などという考えは浮かばないだろう」
自分に近しい誰かが密告しない限りは安全だと言って、ゴンゾウさんは鋭い目線で俺を睨んだ。その迫力は人の二三人はヤッテル眼だった。
俺は苦笑する。
「俺を疑っているのか」
「・・・自分が疑われても仕方がない立場にいることは自覚しているだろう・・・俺を『王国』に売れば相当な報酬が手に入るはずだ」
「そりゃそうだけど、言わないよ。絶対に」
「・・・確証がない以上、俺はお前を疑わなければならない」
人の気持ちに確証だなんて、随分とゴンゾウさんは難しいことを言う。
ゴンゾウさんを納得させるために俺は頭を悩ませて考えて、結局、俺がゴンゾウさんを『王国』に売らない理由を正直に話すことにした。
「ゴンゾウさん。俺はバレンタインに身内からもらったチョコレートはカウントしない派の人間なんだよ」
「・・・何の話だ?」
訳がわからないと、ゴンゾウさんの厳つい顔がさらに厳しいものになる。
そりゃそうだ。今のはわからないように言ったんだ。正直に話すと決めはしても、言いたくないことはある。
「あれだ、情けないんだけどな、俺は『ユメワタリ』の世界での友達は少ないんだよ。フレンドリストに登録してる人数は両手で足りる程度しかいない。ゴンゾウさんはその数少ない中の一人」
助け合いが大切な『ユメワタリ』というゲームの中で友達が少ないなんて、自慢にもならないことは言いたくなかった。けれど、言わなければゴンゾウさんは納得しないだろう。
一番恥ずかしいことを言い終えた俺は開き直って言う。
「しかも、弟と幼馴染なんて言う身内を除いたら、実は一番最初にフレンドになったのは、ゴンゾウさんなんだ。それが俺がアンタを裏切らない理由だよ」
「・・・」
ゴンゾウさんは驚いたように目を見開いて俺を見た。
俺としては、何も驚くようなことを言ったつもりはない。ゲームの中で、『ユメワタリ』の世界で一番初めに出来た友達を裏切る気はないという、ごく普通のことを言ったつもりだ。
「・・・マキ、お前は、なんというか、すごい奴だ」
だというのに、ゴンゾウさんは驚き眼を見開いた後、呆れるような声でそう言って笑った。
「革命を起こそうとしているアンタほどすごくはないだろ。俺は中位のフィールドボスも倒せなくて右往左往するような奴だ」
『革命』。あきれるのは俺の方だ。
どうして俺の周りにはこうも俺に出来ないことを簡単にやってしまう連中が多いのだろうか。自分の小ささを見せつけられる俺の身にもなってほしい。
俺は大した奴じゃない。
だというのに、ゴンゾウさんは静かに首を振った。
「・・・前にも言ったが、お前の欠点は自己評価が低いことだ。・・・お前は、すごい奴だよ」
ゴンゾウさんは真っ直ぐと俺を見て言う。
「・・・『王国』への『人民』による革命。それを前にして、いったいお前以外の誰がお前の様に在れるというのか。・・・マキ、お前は、今回の件での今までの自分の選択に対して、一切の後悔はないのだろう。・・・戦わず、争わず、関わりを持たず、通り過ぎた。その選択肢に一切の悔いはないのだろう」
後悔はない。それは確かにそう言える。
もしかしたら別の道を選んでも良かったのかもしれない。
あるいは『オウコク学園都市』の平和のために弟や『虹色の絆』と協力するべきだったのかもしれない。
あるいは『王さま』を説得して『王国』と『人民』の衝突を避けるべきだったのかもしれない。
あるいはゴンゾウさんの手を取って『人民』として革命に参加するべきだったのかもしれない。
この二日間の間にその選択肢はあった。その選択肢の果てにあるいは何かとても素晴らしいものがあったのかもしれない。
けれど、それでも俺は
うん。やらない。
「確かに、後悔はない。悔いもない」
『虹色の絆』も『王国』も『人民』も、俺は横道だと断じたんだ。
「道は見えているんだ。迷いはない。最初から最後まで、俺がやりたいことは決まっているんだから」
「・・・お前のやりたいこととは、なんだ」
「マナがいる。ユウヤミがいる。二人ともめんどくさい奴だけど、大切な友達だ。俺はただ、あの二人と遊びたいだけなんだ。ただ、それだけだ」
「・・・やはり、な。お前は、きっとそういう奴なのだろうと、思っていた。お前は当たり前に友達思いで、いい奴だ」
ゴンゾウさんはそう言うと、もう話すことはないと背を向けて去っていく。
俺にその背を追う気はなかった。俺が横道にそれない一本道を選んだように、ゴンゾウさんは革命の道を選んだと思ったからだ。
だから、追う気なんて、本当になかったんだ。
去るゴンゾウさんから零れた言葉を、聞いてしまうまでは。
「楽しかったよ。やはり、ゲームは始まるまでが、一番楽しい」
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メロスは激怒したらしい。邪知暴虐な王に目にもの見せてやらなければ気が済まなかったそうだ。メロスは義憤を糧とし走り続けた。
対して俺は何を糧として走ればいいのだろうか。
『王さま』は知略に飛んではいても邪知ではなく、不遜ではあるが暴虐ではなかった。
俺に『王さま』に対する怒りはない。
ならば俺は何を糧として走り、何のために走るのか。
決まっている。友の為に走るのだ。
始めから疑問は感じていた。当然だ。
郷田三蔵という男が語った『革命』とゴンゾウさんというプレイヤーが語った『生き方』はあまりにも相容れないものだったからだ。
現実の世界で、戦いには飽いている。だから、ゲームの中では戦闘職ではない、生産職である錬金術師を選んだはずだ。平和な日常を楽しむために、ゴンゾウさんは『ユメワタリ』の世界にやってきた。
そんな彼が、心から革命を望んだのだろか。
そんな疑問を俺は感じていた。
もちろん、心変わりということもある。『ユメワタリ』をプレイする内に、ゴンゾウさんは平和な日常に飽きてしまったのかもしれない。刺激を求めて『革命』を起こそうとしたのかもしれないと、俺はそう思って、疑問を無いものとしていた。
しかし、ゴンゾウさんは言った。
始まるまでのゲームが、一番楽しかったと。
それはどういう意味だろう。
ゲームの始まり。それは多分、俺達が『ユメワタリ』を正式に始めることになった日。つまりはMMOカリキュラムが正式に始まった時だろう。
そして、その前ということは、MMOカリキュラムの講習中のことではないのか。
そうだとするなら、何か変化があったのだろう。
MMOカリキュラム講習中と正式に授業として始まったその間に、ゴンゾウさんに革命を決意させるだけの何か大きな変化があった。
そして、思い返してみれば単純だった。
その変化を、ゴンゾウさん自身が口に出して言っていたのだから。
彼の前から、何時の間にか一人の少女が消えている。
ゴンゾウさんはただそれが許せなかっただけなのだろう。
革命の炎はあまりに小さな火種から、業火に変わりゴンゾウさんを包み込んでしまった。
向かい路で店を出していた少女の消失を、ゴンゾウさんは「関係ない」と言っていた。気にしていないと言っていた。しかし、そんなはずがなかったんだ。
俺は、ただの高校生。未だ二十歳にもなっていないガキだ。見知った少女の、しかも、それが少なからずの好意を抱いていた相手だとするなら、気にならない筈がない。
おそらくは、あったのだ。ゴンゾウさんと名前も知らないあの少女の間で何かがあった。ゴンゾウさんはNPCじゃないのだから、俺の知らない間も『ユメワタリ』をプレイしているのだから、俺の知らない間にゴンゾウさんとそばかすの少女の間で、ゴンゾウさんに『革命』を決意させるだけの何かがあった。
まったく、嫌になる。そうならそうだと言ってほしかった。
そうすれば、『人民』による『革命』なんて言う形ではなく、もっと簡単で単純な、ゴンゾウさんが『ユメワタリ』での平穏な暮らしを捨てずに済む方法があった。
俺にはそんな方法に心当たりもあるのに。
それなのにゴンゾウさんは『革命』を起こそうとした。小事を解決する為に大事を起こした。火種は大火に変わり、煙は目的すら曖昧にしながら天に昇ってしまった。
「・・・けど、まあ、俺はアンタを責めませんよ。ゴンゾウさん。アンタはやっぱ、不良です。現実世界でそんなだから、そんな方法しか選べなかったんだ。それは、アンタのせいじゃない。まったく、嫌になる」
そう笑いながら、俺は走るのを止める。目的地に付いた。
町外れの薬屋。ここで今週のMMOカリキュラムの中で起きた騒動の道は繋がる。俺の前に唐突でなく当たり前に、特別でなく普遍的に、ようやくのイベントがやってくる。
「最初から、頼ってくれればよかったんだ。ゴンゾウさん、俺はアンタに何度も頼った」
目の前にいない相手に悪態をつきながら、思い出すのは『ユメワタリ』の世界で前も後ろもわからず右往左往していた頃の俺。いまだマナやユウヤミとすら出会っていない頃、知り合いなんて弟と幼馴染しかいなかった俺に、ポーションの使い方から教えてくれたのは、アンタだったんだ。
「だから、アンタは俺に頼っていい。責任も義務も嫌いな言葉ではあるわけだけれど、俺にはそうする責任と義務がある。今回に限り全力を尽くすことを俺はいとわない。不完全燃焼ではなく完全燃焼してやろうじゃないか。何しろアンタは、俺の友達なんだから」
薬屋の扉を開ける。そこにはNPCだろう灰色のローブを被った婆様と、そばかすのある顔が愛らしい胸の大きな少女がいた。
俺は彼女たち声をかける。
「すいません。格闘家訓練所のおっさんの依頼で、届け物に来ました」
灰色のローブの婆様は俺の登場に驚きもせず、まさしく邪知溢れる顔でヒヒヒと笑うと、俺を客だと思い接客の為に傍によって来たそばかすの少女を手に持った杖で差しながら言った。
「用はそれだけかいね、若造」
何もかもわかっているぞとでも言いたげなその顔を見た俺は格闘家のおっさんから聞いていたおっさんが子供の頃から婆様だったという話を思い出して納得した。
なるほどこの婆様はNPCの中でそういう役割を与えられたキャラクターらしい。そうだとするなら、「おっさんが子供の頃から婆様」だという設定はガバガバじゃなかったということだ。そして、それは当然だろう。なにしろ『ユメワタリ』はゲーム大国であるこの国が誇る、最高のゲームだという触れ込みなのだから。
そして、こういうルートも用意されていたからこそ、運営は『オウコク学園都市』の秩序を乱すだろう『王国』のだというというイベントを許可したのだろう。
全てはプレイヤーである俺たちに任せるという、その意思があった。
随分と遠回りをしたものだと自分でも思う。弟ならもっとうまく、そして早くやっただろう。けれど、そこは俺だから。隣で回っている世界に触れる為にこんなにも遠回りをしなくちゃならなかった。情けないけど、届いたという事実をまずは誇ろう。誰も自分を褒めてくれないなら、自分で自分を褒めるだけだ。
よくやった俺。お前は友達のピンチに間に合った。
俺は笑って、灰色のローブの婆様の問いに答える
「いえ、そのついでに『王国』を壊そうとする魔王の愛した町娘を攫いに来ました。あの乱暴者を恫喝するために、そこの錬金術師さんには一緒に来てもらいます」
俺はそう言ってそばかすの少女に笑いかける。彼女は何を言われたのかわからなかった様子で、数秒ポカンとした後、意味を理解して驚きの声を上げた。
「ええ!?」
その様子を見た灰色のローブの婆様はヒヒヒと笑い言う。
おそらくそういうキャラクター性を持たされたからの反応だろうけど、この場でのその反応は生々しいまでに合っていた。
「いいよ、連れておいき」
「えええ!?」
彼女の雇用主である婆様の許可も出たことだし、とりあえず彼女には攫われてもらおう。
あまり時間はないし、話はそれからだ。俺はいまだ混乱する彼女を連れて店を出た。
「さあてと、マナとユウヤミに連絡するか。流石に俺一人じゃもう無理だ」
いい加減、二人とも不貞寝から目を覚ましている頃だろう。
そろそろゲームを再開しよう。




