第一話
古今東西、主人公補正というものがある。
字で表す通り主人公を補正する現象である。
英雄詩ならば秘められた力や土壇場での覚醒。
そして平平凡凡な日常を描く物語ならば自覚せずとももつ類まれなる『たらし』の才能だろう。
『うあっ!』
そう、今まさに隣の部屋で行われている光景がそれだ。
寝巻を脱ぎワイシャツと制服のズボンをはきながら俺は毎日聞こえてくる悲鳴にため息をつく。
まったく、何年も行われているいわば恒例行事のようなものだろう。
弟もいい加減になれればいいものを。
そんなことを他人事のように思いながら部屋をでて洗面所へと向かう。
水で顔を洗ってから鏡を見れば、映る物は慣れ親しんだ俺の顔。
黒ぶちの、フレームが少し大きいスタイリッシュな眼鏡を外し洗面所の脇に寄せる。
2週間で使い捨てるタイプのコンタクトを目に入れてから、寝癖を直す。
そして最近使い始めたワックスが霧状で出てくる整髪料を髪に吹き掛け、撫でつけるように全体的に後ろに流す。
なんかそれを繰り返し15分ほどかけて髪型を整えた後、良しと鏡を確認しながら頷く。
これで俺は完成した。今日も一日、いつも通りに過ごせることだろう。
「あ、おはよ。もうすぐ出来るから」
居間に入れば、さっきまで仲のいい兄を襲っていた妹に挨拶をされる。
頭一つ分ほど低い身長に今年に入ってから染め始めた茶色の髪。
俺は黒髪のほうが好きだったんだがな、などと意味も無いことを考えながら「何時も悪いな」と言えば「ううん、ついでだから」と気のない返事が返ってくる。
――ついで
まあ、まさしくついでだなと内心苦笑しながらテーブルに着く。
思うところは特にない。
これで俺と妹の仲が冷めきっているならともかく、俺と妹の関係は至って普通だ。
挨拶もするし、話しかけることもあれば話しかけられることもある。
個人としてはともかく家族としては良好な関係を気付いていると、少なくとも俺は思っているんだ。
「あ、お兄ちゃん!おはよっ」
俺の時とは違う、弾んだ妹の声が聞こえる。
ニュースを見ていた俺は振り返り、今にはいってきた弟に目を向ける。
「ようやくきたか、主人公」
「主人公って、また兄さんは意味分かんないこといって」
「事実だろ。お前がこなきゃ朝食が食べられないんだ」
両手を持ちあげ何も置かれて居ないテーブルに目配せをする。
弟が来たと同時に妹は配膳を始めた。「兄さんと先に食べてても良いんだぞ」と言っているが、何を言っているんだろうな。コイツは。
「ううん、お兄ちゃんと一緒に食べたいの」なんて妹が言うのはわかりきったことだろうに。
そして、俺達三人兄妹は朝食を食べ始めた。
座る位置は俺の前に弟と妹が並ぶ形で。
さて、この朝食までの風景を見てもらった諸君ならばわかると思うが、俺を取り巻く環境はまあこんな感じだ。
弟がいて、妹がいる。
両親は現在単身赴任中で海外に居ると言う展開はあるものの、他はさして珍しいということはない家庭環境。
俺自身もいたって普通だ。
普通じゃないのは弟だろう。
目の前で妹の手料理(と言ってもベーコンに目玉焼き、トーストだが)をうまそうに食べている俺の弟。
ああ、兄さん、弟、などと呼び合っているが実は生れた次期の差は僅か数時間。
双子、という奴だ。
双子ということもあって顔のパーツこそ似通ってはいるが、何故か多くの人は弟の方が優しげで爽やかな印象を感じるそうだ。
違いと言えば髪の色くらいしかない筈なのだが、何故だろうか。
俺が帰宅部で弟が剣道部だからか。俺が図書委員で弟が生徒会役委員だからか。
まあ、どうでもいいことでもあるんだが。
ちなみに髪の色が違うと言ったが、俺は日本人の基本である黒髪。
弟は色素が抜けた茶色い髪だ。母方に流れる外国の血が影響しているらしい。
そして朝食を食べながら楽しそうに弟に話しかけている妹を見れば分かる通り、そうとうな『たらし』だ。
女たらしという訳ではなく、老若男女に好かれる人たらし。
といえば弟の株も上がるだろう。少なくとも女に好かれるだけのチャラ男ではない。
それだけは兄として言っておこう。
次に妹。
妹は最近染め始めた茶髪が眩しい美少女だ。
兄である俺が美少女などと言った所で説得力はないかも知ればいが、贔屓目で見ずとも整った顔立ちはしている方だと思う。
他に語れることは特にない。
妹の交流関係などは、弟はともかく俺は知らないからだ。
仲が良すぎる訳でも悪すぎる訳でもない。
うまくやっている家族。というのが適切な評価だろう。
さて、今いる家族の紹介をしている間に弟と弟にひっついていた妹は食事を終えたらしい。
普通の生徒が学校へ行くには少し早い時間だが生徒会役委員である弟はもう出るようだ。
妹はそれにくっついて中学校へと向かう。
「洗い物は水に付けておけよ。出る時に洗う」
「ああ、ありがとう。兄さん」
「さんきゅー」
「いってらっしゃい」
「「いってきまーす」」
半分まで減ったトーストを齧りながら、俺は居間で弟と妹を見送るのだった。
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私立王黒学園。
初等部、中等部、高等部がある完全エスカレータ制。
全校生徒数1200人を誇るマンモス級の教育機関。
私立だからこその充実した施設。個性の強い優秀な教師達。
三等部をまとめ上げる学園生徒会。一年を通して行われるさまざまな学業イベント。
G教育推進委員会が推奨するVRMMO教育システムも取り入れた充実したカリキュラム。
笑いあり、涙あり。そんな我が学園で青春を送ってみませんか?
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数ヶ月も前に入学式は過ぎたと言うのに未だひっそりと隠れるように貼られていた我が校のポスターを横目で見ながら教室へと入って行く。
弟の入っている生徒会はズボラなのだろうか。
前に紹介されて会った会長は随分と面白おかしい人柄のようだったから、否定は出来ないのだろうけど。
そういえば副会長をやっていた妹の方は見た目しっかりしてそうだったんだが、あの見た目で実は姉のようにおかしな人柄だったりするのだろうか。
「あ、ねえ聞いて!聞いて!」
そんなことを考えていたら前の席に座る女子に話しかけられた。
言っておくが、別に俺が女生徒達と特別親しいとかそういう感じではない。
そういうのは弟の仕事だろう。
俺に喋りかけてくるのは彼女が単におしゃべり好きというだけのこと、現に彼女以外の女子とは普段会話らしい会話はしない。
「あ、無視?無視ですかー?ひっどーい。マッキーてばひっどーい」
「俺をその名で呼ぶなっ!」
聞こえてきた単語に反応して思わず昨日読んでいた漫画のセリフが出た。
何故だろう。
読んでいる時はとてもカッコイイセリフだったんだが、実際に言ってみると相当に恥ずかしい。
くそ、こんな恥ずかしい思いをして叫んだのに目の前の女には効果がないらしい。
童話に出てくるペルシャ猫のような笑みを浮かべながら喋り出す。
「あれ?あれあれ?なんでそんなに怒るのかなー?幼馴染ちゃんにはそう呼ばせてるくせに。あっ、もしかして彼女しか呼んじゃいけない呼びかたってやつー?あははっ、ごめーん。それは悪いことしちゃったー」
小憎たらしい目の前の女。
『私は喋っていなければ死ぬサメのような女なのさっ!』と自己紹介の時に豪語したりする普通とは言えない女子高生。
名前は早乙女女々(さおとめ めめ)
名の通り、とてつもなく姦しい。
机に頬杖をつき窓から外を見て、「そんなんじゃねぇよ」ともう会話したくないと案に示すが早乙女は無視するようで喋りだす。
「もー、こんくらいで怒んないでよね。マッキー、あー、はいはい、もう言わないからそんなに睨むなよー」
両手を合わせてへこへこ頭を下げる姿を見て、ため息をつく。
謝るくらいなら怒らせんなよ。
「で、今日は何の話題だ?悪いけど弟が誰誰に告白されたーとか、妹がイケメンの何何君を振ったーとか言う話題なら聞き飽きたからな」
「いやいや、私はそんな一人だけモテない長男の心を傷つけるような話題はだしませんよーだ。今日の話題は明日から始まるMMOカリキュラムについてだよ。お前は参加するのかー?」
前半部分はどの口が言うんだと思いながらも不承不承と言葉を返す。
「いや、初日の講習だけ受けて授業には参加しない。説明受けたところでよくわからないだろうし、空いた時間をバイトに当てた方が得だろ」
「あれ、お前はゲームやんないんだっけかー?」
「スポーツの奴。野球とかサッカーのゲームなら昔は家族でやってたんだけど、最近はそれも無いしな」
「ふーん。ゲームやる暇あるなら働きますーってかー。一昔前のサラリーマンみたいだなー」
なぜか不機嫌になり始め俺の机に突っ伏しながら睨んで来る。
なんだよ。俺が遊ぼうが働こうがお前にはかんけーないだろ。
「ああ、そうか。安心しろよ。弟はやる気満々みたいだぞ。あいつもう既に一般のVRMMOもやってるみたいだし」
「はぁ。違うなー。ほんと、わかってないなー」
なんだ。てっきり俺が参加しなきゃ弟が参加しないとでも思って落ち込んでたんだと思ったんだけど、違うらしい。
「じゃあなんだよ」と聞くと露骨に睨まれた。
「いや、もういいから。不愉快だから。その話題終わりー」
「お前から振ってきたんだろ」
「うっさい、馬に蹴られて死んじゃえよー」
なんだこいつ。意味がわからない。
死ねとか面と向かって言うんじゃねーよ。
「で、お前が参加しないんだから幼馴染ちゃんも参加しないのかー?」
「は?あいつは関係ないだろ。一般VRMMOで弟が作ったギルドにも入ってるみたいだし、やるんじゃないのか?」
「へ?そーなの? 」
「あ、ああ。あいつああ見えて結構ゲームは好きだからな」
「へえー。意外だなー」
がばっと顔を起こすと驚いたように声を上げる。
言葉を返せばさっきまでの不機嫌そうな表情はどこへやら、嬉しそうにまたにやにやと笑い始めた。
顔が近い。
慌てて顔を離すとさらに笑みを深めてくる。
「じゃあ、カリキュラム中に弟君と幼馴染ちゃんがくっ付いちゃうかもねー。そういうことも結構多いみたいだし。ゲームの中でいい感じになって現実でもってやつ。どうする?お兄ちゃん、止められないぞー」
弟とあいつがくっ付く?
ああ、何言っているんだ。
結構なことじゃないか。
兄の俺が言うのもなんだが弟はかなりの優良物件だしな。
それよりも、
「おい。あいつのこと幼馴染ちゃんとかいうなよ。なんか腹立つ」
「あ、うん。わかったから。もう言わないから、そんなに怒んなよー」
そんなやり取りをしていると教室のドアが開き先生が入ってくる。
件のMMOカリキュラムについての説明が始まるようだった。
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21世紀。
それは未来と呼ばれていた節目の様な時代の名称だった。
21世紀には不可能なんてない筈だろう。
なんていう、標語が20世紀には流行していたそうだ。
けれど、残念なことに21世紀はそんな素晴らしい進化を遂げる時代ではなかった。
アポロが月に立って以降、未だ月以外の惑星に人類が到達することも無く。
空飛ぶ車、人のように生活するロボット、なんてものも無い。
20世紀末で人類の進化は止まってしまった。
なんて事を言う学者もいたそうだ。
夢のない話だ。もっと頑張れよと叫びたい。
けれどそれが、不出来な学者のいいわけではなく、世論としての言い分な訳だから俺の様なただの学生が文句を言った所でどうしようもないのだろう。
現実な訳だから、夢がない。
それが俺の生きる世界の現実。
しかし、そんな中ただ一つ進化を止めなかった物がある。
それが、ゲームであった。
21世紀の初め、映像に奥行きが出ると言う可愛らしい3Dゲームが誕生した。
数々の科学技術が進歩を止める中、ゲームだけはそれだけで終わることはなかった。
特殊な眼鏡をかけることで立体的に見える画面。
コントローラーではなく自身の体の通りに動くキャラクター達。
後に英知の塊と称されるオタクと呼ばれる者達の力によって次々進歩を続けたゲームの進化はとどまることを知らず。
遂には画面から飛び出し実際に見て触れる映像というものが開発された。
これを開発した一人のオタクの言葉に世界は驚愕した。
『俺の嫁を画面なんて狭い物から救い出してやりたかった』
なんだそれはっ!と、人類の進化は止まったと諦めていた学者達はさじを投げた。
不可能を可能にしたオタクのあまりの熱さに世の男達は咽び泣いたそうだ。
バーチャルリアリティー技術の発明。
その時まではある意味蔑視されていたオタクと呼ばれる者達は一気にスターダムを駆けあがる。
しかし彼らはそんな名声など気にすることも無く、自身達が開発したゲームをやり込み。
さらに新しいゲームを模索し続けた。
トラゴンクエストMax 超機動兵器大戦 ラブラブプラス Extra・・・
次々発明される名作ゲーム達。
そして、あくなき探究心を持つオタク達は遂に彼らが追い求めた究極のゲームを作りだしたのだ。
ゲームの画面を見てその世界観に入り込むのではなく、実際にゲームの中へと入る。
好きなキャラクターを操作し冒険するのではなく、自分自身がキャラクターとなる。
彼らが嫌っていた3次元という世界からの解脱。
無限の可能性を持った2次元という理想郷を現実にしたゲーム。
VRMMO(バーチャル・リアリティー・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン)が誕生したのである。
「――――そして、そうして誕生したVRMMOは現在、人類の生活に深く根付いているわけだ。娯楽だけではなく、教育や医療の分野。先進国ではまあ、あれだ、戦争の訓練として使われてもいるそうだ。オタク達が楽しむために使った技術が戦争の為に使われるってのは、気分がいいものじゃないんだがな」
現代人であればだれでも知っていることを改めて説明した律義な体育教師は腕を組みながら生徒達を見回している。
渡された冊子をパラパラとめくりながら説明を聞いていた俺だが、うん、まああれだ。
熱心に説明してくれたのは嬉しかったんだが、あんまり頭に入って来なかった。
ゲームゲームって連呼されても、ゲームなんてあまりやらない現代人失格のレッテルが張られた俺にはよくわからん。
熱心に喋る体育教師の声をBGMに冊子を読み進めることにした。
――MMOカリキュラム。
VRMMOを週に一度、1日を通して授業として行うという試みである。
なぜそのようなことが行われ始めたかと言えば、それはG教育推進委員会の発足にまで遡る。
21世紀末に開発されたVRMMOは人類に多大な恩恵と進化を齎したが、大きな弊害を起こすことにもなった。
そう、引きこもりの増加である。
家に居ながらゲームの世界に入り込めるその技術は働かず家から出ないという若者を多く生みだすことになってしまった。
そして就職率の低下、結婚率の低下に伴う出生率の低迷など無視できない社会問題が起き始める。
遂には『VRMMO内で笑いながら本人は餓死』などという事件まで起きてしまった。
世界はこれを問題視し、一時はVRMMOの廃止という案が出るまでになる。
しかし、既に娯楽としてのみではなく医療の延命治療などにも応用され、人類の生活に根付いていたVRMMOを廃止できる筈も無い。
何よりオタク達がそれを許さなかった。
そこで、世界は次代を担う若者達がゲームにハマりすぎないように教育する必要があるとした。
そうして発足されたのが若者達に正しいゲームの遊び方を教育する機関。
G教育推進委員会である。
MMOカリキュラムとはG教育推進委員会の打ちだした方針。
『ゲームは1日1時間』という基本方針の元、政府公認VRMMOを遊ぶことができるようになった若者達に週間に1度の授業としてVRMMOゲームをやってもらい、清く正しいゲーマー生活を送ってもらうための教育を施そうという考えである――――
この後も長々と説明文が続いているわけだが、要約すればこういうことだろう。
1週間に一度、授業としてゲームをやる。
一番初めの講習は全生徒に受けてもらうが、その後の授業は自由参加。
授業に参加しない生徒は自宅学習とする。
ゲームに熱中する生徒にはしっかりと週に一度、遊びながらゲーム教育を受けてもらい。
関心のあまりない生徒はゲームをやっている生徒がいる中で授業を進める訳にはいかないので自宅学習という名の休日とする。
なんともまあ、効率的な目論見だと思う。
感心しながらラストの方まで読み進めると、そこには政府公認VRMMO。
『ユメワタリ』の公式設定資料が乗っていた。
職業なんかが今風のイラストで描かれた男の子や女の子の絵なども乗っている。
未だ説明を続ける体育教師の声を聞きながら、時間を潰す為に読みこんでいく俺だった。
∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇
出来の善い弟。出来の悪い兄。それが俺達兄弟周りの評価。
けれど、それは間違った評価だと思う。
俺の出来が悪いんじゃない。
弟があまりにも例外的すぎるんだよ。
子犬と狼の足の速さを比べているようなもの。
別種別存在を並べ立てて比べたところで意味はなく、比較する対象じゃない。
言い訳じみた詭弁に聞こえるだろうが、それは紛れもない事実だ。
弟を一番近くで見てきた俺が言うんだ。
間違いない。
俺の弟は普通じゃない。
出来が善いなんてもんじゃない。
天才なんて言葉じゃ測れない。
一例を入れれば、あれは小学生の頃。
レクレーションで行われた野球での俺の打率は0、掠りもしなかった。
弟の打率も0。
悔しかったんだろう、涙目になっていた。
そして、次の日。
俺は放課後の校庭で少年野球のチーム相手にホームランを打つ弟を見た。
空いた口が文字通り塞がらなかった。
今思えば、あの頃からだろう。
弟と比べられてもなにも感じなくなったのは。
「それは、逃げってやつですよ。へたれっすねー、先輩」
「うるせーよ」
バイト先の後輩は「なさけないっすよ」などと言いながら蔑視の視線を向けてくるが、コイツはなにもわかってない。
なら、お前が弟の兄をやってみろってんだ。
十中八九、プライドずたずたにされて今の俺みたいになるから。
お前に分かるかよ、弟と比べられ続ける兄の気持ちが。
「でも、弟さんと仲が悪いって訳じゃないんすよね?」
「ああ、これで俺が弟を毛嫌いしていたりしてみろよ。俺、情けなさすぎるだろ。比べられるのも嫌だったけど、それ以上に憐れみ受けるのは嫌だったんだ」
「妙な所で負けず嫌いっすね。いいじゃないですか、俺とあいつを比べんじゃねー!って泣きわめけば親とか、幼馴染の夏木ちゃんでしたっけ?その子も先輩に優しくしてくれたんじゃねーかって話ですよ」
「で?実際俺がそんなことをしていてみろ。お前はどうするんだよ」
「爆笑―」
油で満ちたフライヤーから豚カツを取る様の菜箸を出し、油を後輩に向けて飛ばす。
「あじぃぃっ」なんて言いながら手を冷やしに行った後輩を鼻で笑いながら刻みキャベツを盛りつけ、豚カツを切る。
「7卓様のヒレカツ定食お願いしまーす」
すると後輩が戻ってきて叫ぶ。
「これ、普通に苛めっすよね!まずいっすよ、職場内での苛めはっ!店長に言い付けてやりますよ!先輩なんか首っすよ、クビっ!」
「はいはい。悪かった、悪かった。いいから早く次の定食のパン粉付けを始めろ。15分以上お客様を待たせたらいけませんよー」
「ぐっ、うぅ、絶対にいいつけてやるっす」
涙目で仕事に戻った後輩。流石にやりすぎたか?
まあ、帰りにジュースでも奢ってやれば機嫌を直すおバカな奴だから別にいいか。
そんなことを考えながら21時ごろまでバイトを続け、予定通りに後輩に炭酸飲料を奢ってやった。
思うんだが、感謝のあいさつで『ちぃーすっ』というのはどうなんだ?
『ありがとうございました』とは言えないのか?
後輩が言うには運動部は大体こんな感じのあいさつをしているそうだが、お前運動なんかやってないじゃん。
何か勘違いしてんじゃないかな?帰ったら弟にでも聞いてみるか。