第十四話
顔を青くして部屋を飛び出して言った馬鹿騎士。
しばらくして、連れてこられた弟は俺を見るなりいつもと同じ爽やかな笑顔を浮かべた。
「兄さん、来るなら来るって言っておいてよ。出迎えたのに」
「いや、有無言わず連れてこられたというか、言える状況じゃなかったからな」
「え?連れてこられたってどういうことだい?兄さんが俺に会いに来てくれたんじゃなかったの?」
「は?誰がそんなこと言ったんだよ」
ユウ先輩が、と弟はおそらく馬鹿騎士の名前だろう言葉を言って隣を見る。
ユウ先輩とやらは眼を逸らした。
ああ、そう。あんたが連行してきたんじゃなくて、俺が勝手に来たってことにしたわけね。
でも、誤解とはいえ馬鹿騎士とやらは仕事を忠実に遂行しただけなわけだから、隠さなくても良いと思うんだけどな。
少なくとも弟はそれくらいで人は嫌わない。
まあ、別に隠したいというなら別にそれでいいんだけど。
「あー、うん。そうそう、お前が入ってるギルドがどんなもんか見ようと思ったんだよ、まあこんなんでも俺は兄な訳だし。それで最初は外から見るだけのつもりだったんだけど、そこの馬鹿き、いやユウ先輩がご丁寧にも中を案内してくれたんだよ。いやー、ほんとにお前は先輩に恵まれてるよなー。・・・・・・絡まれるばっかの俺とは大違い」
俺の言葉に弟がうんうんそうだよね、と笑顔でいるのに対して馬鹿騎士は驚いたようで眼を見開き、怒ってないのかと眼で問いかけてくる。
いや、別に怒ってないよ。
さっきも言ったけど俺が怪しいのはほんとだし、あんたは仕事を熱心にしただけだしな。
誤認逮捕はもうごめんだけど、今回は実害も被ってないし別に良い。
それにこの程度で怒るようなら、俺はマナの言葉一つ一つにキレなきゃならん。
「ま、取りあえずお前のギルドも見られたし、そろそろ帰るわ。じゃ、お世話になりました。ユウ先輩」
最後にイヤミの一つでも言って、俺は『虹色の絆』の拠点を後にすることにした。
外に出れば、既に日が暮れていた。馬鹿騎士の取り調べで意外に時間を食っていたらしい。
思わずため息をつく。なんだか一日を無駄にした気分だ。
今日、やったことといえば夏木の所に防具を取りに行った事くらいだろう。
他の時間はよくわからないことで潰されてしまった、本当についてない。
が、まあ別段ゲームを進めたいからゲームをやっているのではなく、ゲームを楽しみたいからゲームをやっているんだ、急ぐことでも無し、別にいいか。
明日にはマナも立ち直っているだろうし、明日からまた頑張ろう。
授業三日目、終了。
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本当に、それでいいのだろうか。
既に暗くなり始め、夕陽を背に佇む城が存在感を増し始めた夕間暮れ。
俺は忘れていたことを思い出す。いや、忘れていたというよりも忘れようとしていたことか。
俺ではどうしようもない、力不足、これは俺の役目じゃない。そう言って何もしなかった。
だが、上の言葉は決していい訳じゃない。確固たる経験に基づく事実だ。
俺が見つけた不幸な少女をどう救おうかと悩んでいる俺の横で弟が救う。
そんなことが果たして何度会っただろうか、少なくとも片手じゃ足りない。
まあ、それ自体は何とも思わない、ことはなかった。
昔は悔しかったりやりきれなかったりしたものだが、今は平気というか仕方がないことだよなと流せるようになっている。
というか、救おうとすることを止めてしまった俺が弟に文句を言える筈も無く。
結果的に不幸な少女は救われているのだから、何の間違えもないのだろう。
だから、今回も見て聞いて知ってなお、彼女が未だ弟と出会えていないことを嘆くことしかしなかった訳だが、どうにもおかしい。
俺が彼女と出会うということは弟が彼女と出会うことの前兆のようなものだと思っていた、しかし、『虹色の絆』の拠点で会った弟は何時も通りに笑っていた。
弟が彼女の存在に気づいてなお、笑っていられる筈がないというのに。
これはいったいどういうことだ。
いや、どうもこうもない。あの時点で弟と彼女が出会っていないというだけの事だろう。
どうして出会えていないかは、考えてもわからない事だろうけれど。
ともかくとして、わかりきった事実が一つ。彼女はまだ、救われていない。
――そういえば、あなたは鈍いのね。私は弁天様なんかじゃない。私は、貧乏神――
彼女が最後に見せた微笑みを思い出して、自分に呆れかえりため息を吐く。
そして、俺はこの後、夜の街を走り回った。
汗をかいて、疲れきった末にようやく彼女を見つけたと思ったら弟と抱き合っているシーンだった。
という展開になったなら、もういっそマナと付き合ってしまおうか、なんてトチ狂ったことを考えかねん。
だから止めておけと、頭の中で黒い尻尾を生やした小さな俺が鼻をほじりながら至極真っ当な忠告をしてくれる。
ああ、わかっているよ。頭の中の本能さん。
けどさ、残念なことに俺ってば弟の兄なんだよな。
ほんと、俺の何が一番ついてないっていえば、あいつの兄として生れたことだよ。
俺は、妙なヒステリー女に付き纏われても軽くあしらえるくらいに要領がよくて、兄弟で不戦協定を結んでる幼馴染に想いを通すことも躊躇わない、嫌なことは全部他人(弟)の所為に出来るような、そんな普通の人間になりたかった。
主人候補正が入ってない癖に、中途半端に主人公気質が入っているから、性質が悪い。
恨むぞ、俺をパーツの足らないプラモデルみたいにした、神様って奴がいるなら。
そして、俺はこの後、夜の街を走り回り、たいして汗をかかない内に彼女を見つけてしまった。
彼女は軒先のゴミ袋のように路地裏で膝を抱えていた。
どうしてこんな時間にそんな恰好でこんなところにいるのかという疑問は、彼女に対しては不粋だろう。
「また、会ってしまったわ。ごめんなさい、わざとじゃないの」
俺が探して歩けば会えるのに、弟にどうして会えないのだと不平を言おうとした矢先、謝られた。
出会いがしらで謝られたのは初めてだ。
「会ってしまったんじゃなくて、会いに来たんだよ。だから、お前が謝る理由は何処にもない」
その言葉に彼女は何を思ったのか、眼を瞑るとうんうんと小さく頷き始めた。
「そう、仕返しにきたのね。私の為じゃなくて、あなたの為に殴るとか、暴力は止めて。菌が移って、呪いが一日伸びてしまうから」
やるなら水をかけるとか卵をぶつけるとかすればいいわ、と彼女はなれた手つきで荷物を外して受け入れようと手を広げる。
その様子を見て、俺は深く理解した。
ああ、駄目だ。遅すぎた。もう弟じゃ彼女を救えない。救われようとする気がもう彼女にはない。
大仰なため息を吐いて空を見上げれば、彼女の目と同じ色の月が俺を見下ろしていた。
いっそのこと、あれが俺を責める彼女の目だったのなら、どれ程に楽だったんだろうか。
「お前に、仕返しとか、暴力を振るうことを俺は絶対にしない」
「ええ、だから卵を投げつけるのでしょう?」
口に滲む苦い物に耐えながら、首を横に振れば彼女は「じゃあ、なにをしにきたの」と首を傾げた。
なにをしにきたのか、そんなことは俺が知りたい。
弟の手にも負えない彼女を救えると、そんなことを俺は思っているのだろうか。
だとしたらなんたる傲慢、俺に誰を救うなんて真似出来る筈がないだろう。
マナのことも結局は、俺がしたいようにしてそれがたまたまあいつにとっての救いだったというだけ。
あいつが勝手に救われたと思っているだけだ。勘違いの挙句、俺に恋心のようなものを抱いているに過ぎない。
だから、そう、やれることは一つだけ。
俺は俺のしたいようにやって、それが彼女にとっての救いであることを祈ることだけだろう。
二回続いて、そんな奇跡がありますようにと。
「未明の渓谷のコカトリスって言うモンスターが倒せないんだ。あいつ相手じゃ、前衛二人しかいない俺のパーティーは分が悪いんだよ。だから、手を貸してくれないか、巫女さん」
彼女は既に暗闇に包まれた路地裏で、唯一輝く金眼を見開いていった。
「後悔することになるわ」
善意で手を差し伸べた相手に、脅されたのは初めての経験だった。




