第十二話
三日目の朝、夏木から「装備が出来たから取りに来てっ!」との連絡を受けた俺は一人、工業通りに向かっていた。
マナはどうしたかというと、一応、昨日の夜にしていた約束の時間になっても起きてこなかったので置いて来た。
おそらくへこみ疲れて未だに布団の中なんだろう。
起こさなかったのかって?
いや、ドアを叩いても起きないし、流石に女の子の部屋に勝手に入るのは不味いだろう。
幾らマナといえどもだ、親しき中にも礼儀あり、である。
そもそも、朝にあいつの部屋に入ったりしたら俺の身に危険が―――
「―――っと、なんだ?」
足に感じる重い感触、ふと下を見てみれば黒い塊。
どうやら俺はこの黒い塊を蹴ってしまったらしい。
これはなんだと首を傾げた俺は直ぐに答えに行きあたる。
光沢が少ないような気がするが、この黒い物体はまさしくポリ袋。
「なんだ、ゴミか。誰だよ、こんなところにゴミを捨てたやつ」
現実世界では不法投棄が問題になっているが、まさかゲームの世界でもそうだったとは、そこまでリアルに作らなくても良いだろうに。
などと悪態を付く俺に対してゴミは驚くべきことに―――
「そう、ゴミよ。私は、ゴミ」
―――返事をした。
ゴミが・・・・・・返事をした。返事をした・・・・・・ゴミ。
いや、ゴミは返事をしないだろう。
つまり返事をしたこのゴミはゴミではない別の何か?
おそるおそると視線を降ろせば、そこにあった黒い塊は次第に姿を変えていく。
足が生えて、腕が生えて、頭が出てきて、ゴミは女の子へと生まれ変わっていた。
黒い服、というか、黒い巫女装束なんて初めて見たぞ。
信仰的にいいのかこれは?まあ、修道服は黒いし別にいいのかな?
よく知らないけど神に使えているって意味では同じなんだし。
あ、でも神学と神道は別物だってどこかの漫画で読んだ気もするな、何の漫画だったかなー・・・などと現実から逃避する俺。
黒い巫女服の女の子は俺に蹴られたのであろう頭を摩りながら、じっと俺を見ていた。
よし、いいだろう、そろそろ現実を見よう。
客観的視点から俺自身を見てみようじゃないか。
俺はこの何かの拍子に道端に倒れてしまうほどか弱い女の子を蹴りつけ、あまつさえゴミ扱いしたわけだ。
信じられない、ありえない、なんたる餓鬼畜生、最低じゃないか俺は。
どうする、どうすればいい。
謝るのはもちろんとしてそれだけじゃ足りないだろう。
女の子を突き飛ばして転ばせてしまったとか、ドッジボールで顔面にボールを当ててしまったとかそういうレベルの問題じゃない。
俺は蹴った上でなんだ、ゴミか発言までしてしまっているんだ、絶対に故意にやったと思われている。
土下座か、夏木以外にはしたことのない土下座をすればいいのか!それとも慰謝料を払うべきなのかっ!残念だけど持ち合わせはそこまで多くないぞ俺っ。
まさかの事態に混乱している俺が何も言わないでいると未だ地べたに座り込んだ女の子が口を開こうとした。
まずいまずいまずいまずいまずい、俺が第一声で謝るべきなのにこの子を先に喋らせては駄目だ。
マナのような罵倒が飛んでくるならまだしも、もしここで「ごめんなさい、私がよそ見をしてたから・・・」なんて言われた日には俺は死ぬしかない。
社会的に。
「ごめ――」
「すいませんでした、怪我はありませんか、ごめんなさい、完全に俺の不注意でした、わざとじゃないんです、申し訳ありませんでした」
人生最大の誠意をこめて頭を下げる俺、女の子はじーっとそれを見終えた後、ふるふると首を横に振ってくれた。
どうやらこの黒髪短髪金眼少女はどこぞの黒髪ツインテ赤眼女とは違いいい子のようだ。
「あなたこそ、大丈夫。汚れてない?」
「あ、ああ?」
頷きながら疑問符を浮かべるという芸当を披露してしまった。
汚れるって、そんなのこの子の来ている服の黒色が実は墨汁でしたなんて落ちがない限りあり得ないと思うんだが・・・なにを言っているのか、よくわからん。
「取りあえず、立てるか?」
「駄目、触らないで」
あれ?やっぱり怒ってるよ、この子。
まあ、当然だよな。怒られるだけの、嫌われるだけのことを俺はしてしまった。
言い訳は、するまい・・・
と、思っていたんだけど、少し様子がおかしい。
黒い女の子は一人で立ち上がると、俺の目を見ながら言った。
「私の菌が、あなたにうつるから」
「金?金運があがるのか?お前は弁天様か」
「違う、菌」
きん、キン、ああ、菌か。
菌て、まさかあの小学生特有のノリで行われる~~菌タッチ!ってやつか。
俺はアレが嫌いだぞ。
そんな触ったくらいで移る菌なら同じ教室にいる時点で移っているだろと正論を言えば変な眼で見られるし、ノリが悪いとか何故か俺が悪者にされるし、終いには俺自身が出来そこない菌とか言われる結果になったりしたからな。
まあ、出来そこない菌はそれを聞きつけた弟と夏木の手によって即滅菌されたけど。
ともかくだ、俺にはこいつが何を言っているかがわからない。
此処にいるってことは俺と同い年か上な訳だから、もうそんなことをして遊ぶ年でもないだろうに。
まさか馬鹿なのか。
「なにをいっているんだよ、あんた。小学生じゃあるまいし」
「違うから、私のはそういうのじゃないの。本物。触ったら、駄目だから。汚いから、汚れちゃう」
「なあ、触っただけでどうして汚いんだよ。口の中に手を突っ込むのならまだしも、こうして手を触るくらいで汚れる訳がないだろ。馬鹿か?」
あっ、とこの子は戸惑う。
俺の手が彼女に触れていた。
流石に握ったりはしていない、ただ手の甲と甲が一瞬触れ合っただけ。
弟ならばここで頭を撫でるとかそういう暴挙に出るのだろうが、初対面の女の子に俺が出来ることはこれくらいが限度である。
ヘタレとかいうなよな。
「で、俺は汚れてないわけだが。なんで汚れるとか汚いとか自分で言うんだ?」
「それは、私が呪われているから」
・・・・・・・・・・・・・中二病?
「えっと、その、なんだ・・・あんたは永久の時を生きる闇の眷属だったりするのか?」
「あなた、なにを言っているの?テレビの見過ぎは目に悪いからだめよ」
なんか最初の頃のマナとは違う意味で会話が成立しないな。
なんなんだ、この子。可愛いのにすごい残念なオーラが出ている気がするぞ。
「そんな残念そうな顔をしても、もう遅い。あなたは私に触れてしまったからけがれてしまったの。ごめんなさい、わざとじゃなかったの。あたなが触るのから。でも、ここがゲームの世界でよかった。最悪でも死なないから。頑張って、今日一日」
「あ、ああ?」
頷きながら疑問符を浮かべるという芸当を一日に二度も成し遂げてしまった。
これはもうもの凄い偉業なのではないだろうか、などと考えてしまうほど俺は混乱する。
そんな俺の姿を見て、彼女は満足げに頷くと去っていく。
「そういえば、あなたは鈍いのね。私は弁天様なんかじゃない。私は、貧乏神」
そんな意味深長な言葉をはいて、去って行った。
一つ疑問に思うことがあるんだが、どうして俺がゲームの中で会う女の子は全員揃って変な奴らばかりなんだろうか。
無論、これから会いに行くあいつもその一人には含まれている。
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自分は貧乏神だと彼女は言っていた。
貧乏神、確かとりついた人や家族を貧困にする神様だった気がする。
まさしく財宝神であらせられるところの弁天様とは真逆な存在な訳だ。
そして彼女は貧乏神である自分と弁天様を間違えた俺を鈍いと思って笑っていたと、ああ、なるほど別れ際に見せた微笑はそう言うことだったわけだ。
納得、納得、ふむ、どうして彼女は自分を貧乏神だなどと呼んでいたのだろうか、彼女は間違えなく人間な訳で神様だなんてことはあり得ないというのに。
この疑問を彼女に聞いたところで惰天したの、転生したからとかいう返事は返って来ないだろうことくらい、俺でもわかる。
彼女は自分に菌がある、とそう言っていたのだから。
~~菌、それは小学生特有のノリで行われる紛れもない虐めである。
やっている方はタッチされたらタッチし返さなきゃならないだけだから、鬼ごっこの延長線上。
ただの遊びのつもりなんだろう。
渡すべき鬼が目の前にいるというだけの、遊び。
だが、やられている方はそうではない。俺はともかくとして、傷つくだろう。
自分には菌があると、汚いものだと、周りの人に遊び半分とはいえ避けられ続けるのだから。
触らないでと、彼女は言った。
汚れてないかと、彼女は聞いた。
自分はゴミだと、どうして彼女は認めたんだ。
俺は久しぶりに、本当に久しぶりに、会ったことも無い誰かに対して悪意をもっていた。
らしくないことくらい、わかっている。
らしくないのは、当然だ。こういうのは、本来は弟の役目なのだから。
一目見た時からもしかしてとは思っていたんだけれど、大方のことを理解した俺は確信する。
彼女はたぶん、ヒロイン属性持ちだろう。弟と同じで普通じゃない。
でなければ黒い巫女装束なんて着ない、普通の女の子は道端に転がっていたりしない。
マナのような自分で作っているわけでもなく、天然で物語の登場人物のような行動が出来る少女。
それをヒロインだと言わずに、なんだというのだ。
思わずもれるため息に理不尽な怒りが籠る。
彼女が出会うべきは俺ではなく、弟だった。
怒るべきだろう、憎むべきだ。
彼女が弟に出会えなかった不幸、不運を嘆くことしか俺には出来はしないのだから。
「えっと、マッキ―。怖い顔して、そんなに気に入らなかったかな?」
しょぼくれた夏木の声で我に返る。
そうだ、俺は今、夏木の工房に来ていて頼んでいた防具を受け取っているところだった。
不機嫌な顔なんてしていたら、夏木が丹精込めて作ったそれが気に入らないのだと思われてしまうじゃないか。
というか現に思われているじゃないか。
やつあたりは、よくないよなと俺は込み上げていた怒りを一旦は忘れ、防具を着こんだ俺の映る全身鏡を見ながら言った。
「いや、そんなことはない。十分によく出来ているし気にい―――らないな。なんだこの変てこな防具は」
「え、ええええええ!どこか変てこなのよっ。私、マッキ―の為に色々考えて一生懸命凝って作ったんだよ。酷いよ、そんなこというなんて・・・マッキ―の馬鹿っ!」
驚いた後に落ち込んで怒るという百面相を見せてくれた夏木には悪いが、これはない。
一目見た時の感想が、なんだこれ、である。
足元はアイアンレギンス、これは良い。鉄が張り付いたブーツみないな足防具だ。
腰にはアイアンベルト、これも良い。鉄の装飾が施された太めのベルト、おれには使いようがないが剣なんかを指す為の穴があいている。
腕にはアイアンアーム、これは元々。ムキムキなおっさんに貰った大切な餞別の一つである。他とが違い少し凹んだりしているのは御愛嬌、後で夏木に直してもらおう。
胸にはアイアンプレート、これも問題ない。鉄の胸板である。
頭にはアイアンヘルム、ではなくアイアンヘルメット・・・そう、バイクのフルフェイスヘルメットである。無論、鉄製。
「変態だ・・鏡の中に変態が立っている。なあ、これは、何の嫌がらせだ。夏木は実は俺のこと嫌いだったりするのか?」
「違うよ!嫌いなわけないでしょ、むしろ大好きだよ!これは、そのね、昨日も言ったけどアイアンヘルムって格好悪いから、マッキ―のために格好良くしようと思ってさ。格好良いヘルメットって何かなーって、考えてバイクのヘルメットなら格好良いかもって、『変形技能』のスキルで形を変えてみたの」
「なるほど・・・まあ、安全ヘルメットよりバイクのヘルメットの方が格好良いという感性には同意するけど、お前これ、バランスをまったく考えてなかったろ。首から下は中世っぽくて頭だけ近代的って、なにこれ?としか言えないぞ」
そして中で声が籠るので喋りにくい。
夏木は伏し目がちにごめんね、と謝罪した。
たぶん、実際に俺が着て初めて気付いたんだろうな、こいつは基本馬鹿だし。
「えっと、元に戻そうか?」
そんな残念そうな顔で言われて頷けるか、と俺は首を振る。
まあ、これはこれでよく出来ている訳でヘルメット単品で見れば確かに格好良い。
黒いバイザーの部分なんていったいどうやって作ったんだって話だ。
「まあ、これは別に性能が落ちてるってわけでもないんだろ?なら別に――」
「ううん、鉄を薄く伸ばしたから普通のアイアンヘルムの半分くらいの防御力しかないよ」
「でもあれだろ、これなら頭だけじゃなくて顔全体も守れるわけだからそれはそれで便利――」
「頭防具って元々どんな形でも戦闘中は顔全体を守ってくれているっていう設定だからそういうのは関係ないよ」
「・・・・・・・・やっぱり戻してもらおうか」
「うぅ、マッキ―」
夏木は涙ながらに俺に縋りブンブンと首を振る。
自分の作った防具に思い入れとかもあるんだろうなー。
俺の意思は何処に消えた、と突っ込みもしたかったんだが、結局俺は体は鎧で頭はバイクのヘルメットという謎装備のまま夏木の工房を後にするのだった。