◇ 8
気が付くとカフェへと入っていた。このカフェは、彼女と何度か来たことのあるカフェだ。彼女の誕生日も、ここで過ごした――誕生日? ああ、そうだ、彼女が最も大きく警鐘を鳴らしたのも、あの誕生日だったに違いない。
「誕生日って、どうしてケーキを食べるのかしら?」
彼女は目の前に置かれたチョコレートケーキをフォークで切りながら、心底不思議そうに言った。そして、切り分けたケーキの欠片を口に運ぶ。
「……誕生日」
私がそう呟くと、彼女は頷いた。「今日は私の誕生日なの」と、誕生日などどうでも良いことであるように、彼女はぶっきらぼうに言う。あまりに関心の無さそうな言い方をするので、私は思わず彼女を凝視した。
「何?」
そんな私の視線に気付いて、彼女はやや不機嫌に眉を顰めた。私は少しだけ間を置いてから「誕生日、おめでとう」と言う。すると、彼女は嗤いながら問うた。
「どうして?」
一体彼女は何を問うているのか私には分からず、首を傾げた。彼女はまたチョコレートケーキを口に運んでから「どうして、おめでとうなんて言うの?」と言った。
「……だって、誕生日でしょ?」
「誕生日は祝福されるような日じゃないわ」
彼女は妖艶に目を細める。フォークを皿の上に置いて、自由になった右手の指を皿の淵にゆっくりと這わせた。
「誕生日は懺悔する日よ。生まれてきて、資源を無駄に消費しながら生きて、ごめんなさいって。私はまた一つ、生き長らえてしまったの。嗚呼、なんて絶望!」
私は、彼女の言っていることが理解出来ず、眉を寄せた。そんな私を気にする様子もなく、彼女は再びケーキを口に運び始めた。
「人がいるから世界は腐る。誕生日を祝福するなんて、可笑しいのよ」
「じゃあ、貴女は今、どうしてケーキを食べてるの?」
私が問うと、彼女は嗤った。皿に乗っていたケーキは、あと一口くらいしか残っていない。彼女はそのケーキの欠片にフォークを刺した。
「誕生日だからよ。貴女と初めて過ごす誕生日」
それは、お祝いをしているということにはならないのだろうか? 私は疑問に思ったが口にはしなかった。彼女はケーキを食べ終えると、どこか嬉しそうに嗤う。
「私、誕生日をお祝いされたことないのよ。毎年懺悔してたの、生まれてきてごめんなさいって。どうして生まれてしまったのかしら……――ふふっ、でも可笑しいわね。貴女におめでとうと言われて嬉しかった。これじゃあ、まるで、誕生日をお祝いしてもらいたかったみたいね。矛盾だわ」
それから、彼女はそっと手を伸ばして、そのたおやかな指で私の唇をなぞった。嗤う。妖艶に、口端を上げて。
「きっと、貴女は私とおんなじだから。だから嬉しいんだわ」
「……私は、貴女の、物」
所有物は所有者と同じじゃない、そういう意味を込めて呟いた。すると彼女は一瞬、絶望したような、哀しそうな顔をした。そして、すっと目を細める。冷たい空気が彼女の周囲に漂う。
「――そう、残念だわ」
何の感情も感じさせない声が、私の鼓膜を震わせた。残念という言葉が、ゆっくりと胃の中へ沈んでいくようだった。




