◇ 1
「腐ってるわ」
その薄い唇が、はっきりと、きっぱりと紡ぐ。
「腐ってるのよ、世の中」
そう言って、彼女は嘲るように微笑んだ。長いストレートの黒髪を手で払い、私と目を合わせると、もう一度嗤った。
「貴女も私も腐ってる。世の中全部、腐ってるわ」
何度も何度も、彼女は“腐ってる”と繰り返す。
そこは彼女の部屋だった。真っ白な壁に白いフローリング、白い家具、何もかもが白い空間だった。その中で、彼女だけが黒かった。髪を留めるカチューシャ、身に纏うワンピース、タイツ、スリッパ、全てが黒。
「でも、だぁれも腐ってることに気付いてない。もしくは気付いてない振りかしら?」
ふふっと彼女は嗤って、すっかり冷めきっているだろうコーヒーを口にした。ちなみに私の前にコーヒーは置かれていない。彼女は自分の分だけコーヒーを用意して、自分の前にだけコーヒーを置いて、それからしばらく口を付けずにいた。だから、冷めた。
「貴女、何か言わないの? そのお口はお飾りなの?」
彼女はそう言って、私を蔑むように目を細めた。それでも私は黙っていた。喋る必要性を感じない。彼女の言葉を聞くだけで満足なのだ。彼女は只管に一人で喋るから、その声を聞く、それが私。
「貴女、着ているお洋服も白、髪を結ぶリボンも白。まるで、このお部屋の装飾品みたいね」
そこで、彼女は嗤った。そして皮肉な口調で言う。
「さしずめ“お人形”といったところかしら?」
じっと彼女は私を見つめる。そんなに、何かを喋って欲しいのだろうか。何かを言って欲しいのだろうか。私は彼女の声を聞くだけで充分なのに。
「……お人形だもの」
私がそう言うと、彼女はとても嬉しそうに笑った。嬉しそうに「莫迦じゃないの」と言った。
そう、私はお人形だ。彼女の部屋の装飾品だ。外を一人で歩いたり、彼女以外の誰かと勝手に喋ったりしない。でも、彼女のモノではないらしい、彼女の定義では。
どうしたら、私は貴女のモノだと認めて貰えるの? 私が本物のお人形じゃないから貴女のモノじゃないの? 人間だから、貴女のモノじゃないの?
「本当、莫迦じゃないの。私のモノにはならないくせに」
「貴女のモノに、なりたい」
「……違うのよ――やっぱり腐ってるのね」
彼女はまた、コーヒーを口にする。それから、ゆっくりと溜め息を吐く。
「どうしたら、貴女は私のモノになるのかしら?」
そうアンニュイに呟いた彼女は、もういない。