ごじゅう ぷらす いち。
壁の隙間に落ちて汚れてしまった私は、結局宿に戻ったヴェルノさんに有無を言わせずお風呂に連れて行かれて綺麗に洗っていただきました。
…たまには一人でお風呂に入りたいのです。
大きなタオルで拭いてもらいながら聞いたお話では船の修理に最低でも一ヶ月半から二ヶ月はかかるそうなので、それまではこの島で身を潜めることになるのだそうです。
船員の方々がぼやいておりましたが、しっかりとした地面に足を付けているのは落ち着かないとのこと。
揺れる船上が恋しいと既にホームシックのような状態の方もおりました。
私は目立ってしまうので宿の部屋以外では動き回らないようにと何度も念を押して言われました。
仕方がありません。でも、自由に動き回れないのは残念なのです。
ふわふわもこもこになった私を膝に乗せてヴェルノさんは本を読みます。それは以前カルヴァートの執務室のような場所から拝借してきたもので、時折それに何やら書き込みを入れたり、付箋を挟んだりしながら真剣なご様子で内容を見ていらっしゃいます。
私も一緒になって読ませてもらいますが、いかんせん字が読めないので絵を眺めていることがほとんどなのです。相変らず触ろうとすると止められてしまいますが。
「海の上に何かあるのですか?」
描かれている海図には黒のインクとは別に、赤いインクで線と矢印が書かれ、多分きっと目的地なのだと思われる場所に丸がつけられていました。
けれどその場所はどう見ても海上なのです。
ヴェルノさんに問いかけますと、そこには小さな小さな島があるのだそうです。
「数時間で回り切れるくれェ小さな島だ。そうそう海図にゃ載んねェよ。」
「小さいと載らないんですか?!」
「ある程度デカイ島と周囲の航路さえ分かれば航海出来るからな。」
「……なんだか大雑把なのですねー…。」
一度海の上に出てしまったら航海なんて命懸けなのではないでしょうか?
そんな大雑把な海図で十分とあっさり言い切ったヴェルノさんに感嘆の溜め息を漏らしてしまいました。海賊である以上は海軍に追われる身なので、皆さんにとっては陸地よりも海上の方が安全なのかもしれません。
それにしても、そんな小さな島に行って一体何をすると言うのでしょう。
再度聞こうと見上げましたら、ヴェルノさんは真剣な顔でもう本を読むことに集中しておりましたので諦めて静かにしていることにします。
そう決めて本を眺め出したというのに私のお腹は空気を読んでくれず、グゥウゥ~…と音を立ててしまったのです!
ヴェルノさんは酷く可笑しそうに笑って「飴じゃ足りなかったか。」とテーブルの隅に置いてあったお菓子をくれました。夕食まで、まだ時間があるので有り難くいただくのです。
お菓子は小さなクッキーが袋に数枚入ったもので、一口齧るとジンジャーの独特な香りが口の中に広がります。
本を読んでいるヴェルノさんにも一枚どうぞとクッキーを持ち上げましたら、そのままパクリと食べてしまわれました。手まで食べられてしまうのではと一瞬ですがビクビクしてしまったのですよ。
あまり甘いモノを好まれないようなので、残りのクッキーは私のお腹の中に収まる予定です。
少しずつ齧ってクッキーを食べる私を見た後にヴェルノさんは本に視線を落としました。
何かと読書の邪魔をしてしまっているのですが、全く怒られないのが不思議なのです。
ページを捲る音と、クッキーのサクサクという音だけが響く部屋は静かで、けれどヴェルノさんの周りは大抵静かなのでこの沈黙も重くはありません。
そんなゆったりと流れる時間を過ごしていると部屋の扉がノックされました。
ヴェルノさんが「入れ」と声をかけてすぐに扉が開きます。街の少年という風体のセシル君が入ってきました。斜めに被ったキャスケット帽子がとても似合うのですよ。
「船長、頼まれてた物持って来たっス。」
バサバサと小脇に抱えていたものがテーブルの上に広げられました。沢山の本と羊皮紙、クルクルと丸めてある紙がいくつか。
………あ。
テーブルの上に置かれていたクッキーの袋が被害を受け、本の下敷きとなった際にクッキーが割れる軽い音が聞こえて来たのですよ!!
慌てて本の隙間から救出してみたのですが、やはりクッキーはボロボロに割れてしまっておりました。
「クッキー……、」
セシル君は「あちゃー、気付かなかったっスよ。」と悪びれた様子もなく頭に片手を当てます。
夕食の後に食べようと残しておいたクッキーだったのに…。
これはもう今食べるしかありません。
粉のように砕けてしまってはおりますが味に問題はないので、口を開けて袋を傾けようとしたのですが、ヴェルノさんに袋を取られてしまいます。あっと思う間も無く袋はゴミ箱へ。
「あんなモン食うな。…セシル、後で何か甘いモン買ってコイツに渡しとけ。」
「了解っす!」
文句一つ言う暇もありませんでした。
ゴミ箱に捨てられてしまっては、さすがの私も手は出せません。クッキーは勿体無かったですが新しく甘いモノを買っていただけるようなので今日は我慢しておきましょう。
ゴミ箱から視線を前へ戻すと、セシル君がテーブルの上の本を積み上げながら不意に何かに気付いた様子で口を開きます。
「そーいえば、ウサギってよく菓子食ってるっスよね?」
私ではなくヴェルノさんへ問いかけ、聞かれたヴェルノさんは「あぁ」と頷きました。
「それってマズくないっスか?人間だったら絶対太ってるっスよ。」
まぁ、ウサギはヌイグルミだから問題無いと思うんスけど。
セシル君の言葉に私は一瞬、雷に打たれたように激しい衝撃を受けたのです。
ふと、る…?太るうぅうぅっ?!
確かに私はお菓子をよくいただいて食べています。考えてみたら運動も全然していないような…。
笑いながらセシル君が部屋を出て行くのを見送ってから私は思わずヴェルノさんを見上げます。
「ふ、太ってたらどうしましょうっ?!」
「…そん時は甲板でも走るんだな。」
他人事のように置かれた本を物色しながら言われたヴェルノさんの一言に、私は死刑宣告にも似た絶望感を感じました。
―――運動は苦手なのですよ!!