奇跡が嫌いだった僕の初恋
突然の自分語りだけど、聞いてほしい。僕の名前はテオドール・エリスロン。エリスロン侯爵家の跡取りとして、かくあるべしと両親からは厳しく躾けられながら育ってきた。
そして、姉さんの名前はエレナ・エリスロン。アルフォンス殿下の婚約者として王妃となるべく、両親は僕よりも更に厳しく、姉さんを律していた。
でも、姉さんはそんな両親の期待に応え、周囲の人にも優しくしていて非の打ち所の無い素晴らしい人だ。
だけど、僕はそんな姉さんの事が心の底から嫌いだった。理由はただ一つ。姉さんがいるからこそ、僕の望みは叶わないから。
そして僕は、奇跡という言葉が嫌いだ。
運命という言葉は、もっと嫌いだ。
それは、努力でどうにもならない理不尽に、都合の良い名前をつけただけの呪いだと知っているから。起きる事が無いから奇跡であり、それで覆らない事は全部運命で片付けられてしまう。
……少なくとも、あの頃の僕はそう思っていた。
あれは僕が五歳の頃。王宮の隅にある、柔らかな土と草が匂う庭園で、僕は彼女に会ったんだ。
迷子になって泣きそうだった僕の前に、ふわりと現れた、黄金の光を纏ったような少女。
「あら、迷子かしら? 泣かなくてよろしくてよ。わたくしが、出口まで連れて行って差し上げますわ」
繋がれた手の温もり。自分より少しだけ背の高い、優しいお姉さん。
それが僕の初恋だった。あの時のことは、今でもよく覚えている。不安で胸がいっぱいだった僕の手を引いてくれて、見上げると太陽の光のような明るい笑顔を僕に振り注いでくれた。
けれど、その恋は一瞬で終わったんだ。
彼女の名前はリリアーヌ・ファン・ディートリヒ。僕の姉、エレナの婚約者となる殿下の、双子の妹。
――つまり、僕がどれほど望んでも、将来義理の姉になることしか許されない人。
「テオ、あの御方はいずれはあなたのお義姉さんになる人なの。奇跡なんて起きないの。だから、忘れなさい」
母にそう言われた時、僕の中で世界はモノクロになった。運命という名の巨大な壁が、僕と彼女の間に、音を立ててそびえ立ったのだ。
それから十年。あの時の明るい思い出とは裏腹に、暗鬱とした日々を過ごしていた。
学園の廊下ですれ違うたび、彼女は完璧な微笑みを湛えて僕に声をかける。
「テオドール様、お姉様にはいつもお世話になっておりますわー」
「……はい。こちらこそ、リリアーヌ様」
周りの友人たちは「人気の先輩に話しかけられるなんて運がいいな!」と僕を小突く。
――違う。そうじゃないんだ。
彼女の目に映っているのは「エレナの弟」という属性だけで、僕という人間じゃない。
それに対して、彼女はどうだ?
生徒会の副会長として天才的なアルフォンス会長をサポートし、周囲には笑顔を振りまき、いつも人の中心になっている。
例え、姉さんが彼女の兄と婚約者ではなくても、僕の手には届かない高嶺の花。その事はわかりきっていたんだ。でも、姉さんの事をその手が届かない理由として考えてしまう自分の事が、酷く惨めで大嫌いだった。
奇跡なんて起きない。運命は僕を嘲笑い続ける。
僕はただ、この胸の痛みを隠して、彼女の幸せを遠くから願う部品になればいい。そう思っていた。
あの日までは。
卒業パーティーの壇上、アルフォンス殿下が姉にたった一言突きつけた瞬間、会場の空気は凍りついた。
「エレナ嬢。君との婚約を白紙にさせてもらう」
音楽が止まり空気が静まり返る中で、僕の心臓は不思議と高鳴っていた。もしかすると、姉の婚約が無くなれば、僕もリリアーヌ様に望みを持っても良いかもしれない。
不謹慎であり、良くないことは分かっている。だけど、必死に抑えていた初恋が溢れ出すことを止めることは出来なかった。
そして、騒乱の中で響き渡った、彼女の――リリアーヌ様の、怒りに満ちた、けれど僕にとっては天の啓示のような叫び。
「お詫びにわたくしがエレナ様の弟君に嫁ぎに行きますわっ!!」
……え?
今、何て言ったんだ?
僕の耳が、心臓の音を拾いすぎて、聞き間違えたのか? 僕は自分の感覚を一切信じる事が出来なかった。頭はぼーっとし、指先もふわふわとしている。友達からも色々と言われた気がするけど、その後の事は何一つ覚えてなんかいなかった。
それからの日々は、まるで大きな流れに身を任せ、ただ流されるかのように進んでいた。
王家からの正式な謝罪と打診。父と母の困惑。そして、着々と進んでいく事務的な、けれど僕にとっては命のカウントダウンのような婚約の儀。
そして今日。
僕は、純白のドレスに身を包んだ彼女と、二人きりで対面している。
「……テオドール様。色々と騒がしくて、申し訳ありませんでしたわ」
彼女は、あの頃と同じ。けれど少しだけ熱を帯びた瞳で僕を見つめ、花が綻ぶような笑顔で右手を差し出した。
「これからは、わたくしが貴方をしっかりと守って差し上げますわ。……ええ、一分の隙もなく、一生をかけて。……これからも、よろしくお願いしますわね?」
差し出されたその手は、十年前よりもずっと力強くでも、あの時と同じぐらいに頼もしく感じられた。
ああ……。
僕は今、理解した。
奇跡は、起きる。
運命は、ある。そして、僕を裏切らなかった。
「……はい、リリアーヌ様。僕のすべてを、あなたに捧げます」
僕は、奇跡という言葉が大好きになった。
運命という言葉は、もっと大好きになった。
近くで彼女が微笑んでくれる。
例え僕がどれほど迷ったとしても、あの王宮の広い庭園の時のように手を引いて、導いてくれる。
それだけで、僕はどんな事でも耐えていける。そんな気がしたんだ。




