白き終焉
「白き終焉」
タイトルをつけただけの書きかけの小説が、古いノートパソコンの画面で光った。時々、データが消えたりするんじゃないか心配になるほど古い型だが、これはこれで重宝している。頼もしい相棒だ。
俺はコーヒーをすすり、まじまじとコンピューターの画面を見つめた。
気分転換にネットを適当に閲覧する。ページの上でニュースのヘッドラインが流れる。
「クリスマスの日本、景気の行方は?」
「新型インフルエンザ、感染者増える。厚生労働省、統計を発表・・・・・・」
「星に願いを! ふたご座流星群地球に急接近」
どれもつまらなさそうなニュースだ。
外からはしゃぎ声が聞こえる。夜中の十一時だというのに。窓を開けると、外ではさっきまでパーティーで飲んでいたであろう大学生が道で車に腰掛けうるさく騒いでいる。空は美しく黒く、数え切れないほどの星が瞬いている。遠くに黒雲が見えた。
急に眠気が襲って来たので、俺はカーテンを閉めてコンピューターの電源を切り、電灯を消して床のマンガ本を避けて布団にもぐった。俺はそのまま深い眠りに落ちていった。
突然、眠りを吹き飛ばす地響きが轟いた。
俺は目を開け、ベッドから飛び出た。静寂を切り裂いた低い轟音は、まだ続いている。赤とオレンジの揺らめくような光が窓から入って来る。俺は急いで飛び上がり、ブラインドを開けて窓の外をみた。
外は火の海であった。
「なんで・・・・・・」思わずつぶやいた。
見慣れた住宅地の景色は、そこには無かった。見渡す限り、黒煙と業火しかない。少し窓に近づくと、すざましい熱気で顔が焼けそうになる。ベランダも毛皮のような炎で覆われている。
俺は電灯のスイッチを叩いた。点かない。
窓から入って来る光を頼りに、俺は床の散らかりを乗り越えて階段を駆け下りる。
「父さん!」
居間には、既に父さんがいる。ちょうど母さんと一緒に爆睡中の弟と妹を運び終えたところだった。
父さんは急かすようにいう。「早くこの家を出るぞ! 上のお前の部屋以外には火が入り始めている。急いで非常食と水を持って、脱出だ!」普段は温厚な父さんのとがった口調が、更なる緊張感を生んだ。
家の前の歩道と道路は燃えていなかったものの、コンクリートは熱を吸って柔らかくなっているように見えたので、セメントの歩道を走るようにした。叩き起こされた弟達も、何がなんだかわからぬまま非常食を持たされ、俺と両親と一緒に走り始めた。四方から包み込んでくる熱気が痛かったが、みんなかまわず走り続けた。
近くの小学校の駐車場は、停められている何台かの車を避ければ、十分に熱気を逃れられる場所だった。そのため、近隣の住人達がここに既に大勢集まっていた。誰もが、突然の事態に戸惑っていた。
父さんは周りの人に事情を聞きまわってみたが、誰もわからないようだった。
突然、誰かが断末魔の叫びをあげた。
「キャーッ!!!」
振り向くと、悲鳴の主は既に死んでいた。悲鳴をあげた年老いた女性は、みたことも無い生物の腕に串刺しにされている。謎の生物は、まるでゲームにでも出てくる様な、奇怪な体型をもっていた。イカに似ていた。死霊のような透き通る長い筒型の頭の先端は尖っており、足も十本ほどあった。ただし、足の一本一本はホースほどの長さと直径しかもっておらず、2メートルを超える長さの頭部を支えるにはいささか不十分な感じもした。丸い、乾いた灰色の二つの眼には生気がなく、俺はそのイカらしきものと比較的遠かったものの眼があった時は背筋が、いや、体全体が凍り付いた。
化け物は、音も立てずに老婦の死体を頭部の真下へと引き寄せ、死体の上に乗っかった。頭部の下には鋭利で屈強な歯が生えているのだろう、バキボキと、老婦の年老いた骨がくだけるのが聞こえた。ジュルジュルと死体の体液を吸うのが聞こえた。怪物の下には血の海が出来た。しかし、怪物の体自体は血にまみれながらも不気味なほど白くあった。
うっ、と、周りの人が地面に倒れ、吐き始めた。
誰かが耐え切れずに悲鳴をあげた。場にいた全ての人が我に返りパニックに陥った。
「助けてくれ!」と、一人の若い男がその怪物から遠ざかりたいがために、燃え続けている業火の中へと走り去った。しかし、その男はすぐに戻ってきた。跳ね返ってきた、というべきだろうか。またしても、心臓を化け物の巨大な触手で貫かれた死体が、駐車場に投げ出された。
炎の壁を易々と通り抜けて、また別の怪物が現れた。怪物は、足をぐっと曲げたかと思うと、甲高い笑い声を上げながら飛び上がり、歯をむき出しにして若い男の死体に飛び移った。そして、死体をむさぼり始めた。
駐車場が朱色の血に染められていく。
誰もが一目散に逃げ始めた。何が何だかわからない。とにかく逃げなくてはならない。
俺も怪物から遠くへ、と、正面の火の壁の中へ突っ込んで、力の限り走り出した。
逃げ切ったのだろうか。俺は近所の市民プールの建物の近くにいた。プールの建物は頑丈なレンガ造りの家であり、燃える建材が少ないのか、この世の全てを焼き尽くしているかのような劫火の中でも、燃えずに建っていた。
怪物たちはまだ、炎の中を逃げ回っている人々を追っているのだろうか。
俺はプールのロッカールームのようなところに身を潜めた。
時を少しして、同じく逃げ回っている人がロッカールームにやってきた。向こうは最初、俺が居ることに気付いていなかったらしく、飛び上がるほど驚いた。
「うわっ! ああ、人間か・・・・・・! 俺はてっきりまたイカの野郎がいたのかと・・・・・・」
俺はその愉快な言い草に笑った。「見ての通り、イカではありませんよ」
男は、俺の横に腰を降ろした。足を怪我しているようだった。よくそれでここまでたどり着けたものだ、と俺は感心した。また、全身にひどい火傷を負っているようにも見えた。炭や泥や血で全身が覆われている。
「くそ、一体何だってんだ・・・・・・・」男は今にも泣きそうだった。涙が出そうになったのを、隠そうとしてゴシゴシと顔を手で拭いた。
「あっ!」俺は言った。「あなたは!」
「ん?」
炭や泥が取れたその男の顔は、間違いなく見覚えのある漢方医のそれだった。よく母が近隣で唯一便りになる漢方医だと、俺を使いにいかせていたのを思い出した。俺は自分の家族について話した。
「お前は! うちのお得意様の一人の息子か! 君も無事だったのか・・・・・・」
「それにしても、すごい火傷ですよ。何か火傷に効く漢方薬とか持ってないんですか?」
漢方医の男は、懐から一つの小さい布袋を取り出した。「今持ってんのは、逃げてくる直前に調合するために持っていたこの『粳米』って玄米だけだ。でも、効用って言ったって、漢方医学の専門学校で習ったことをそのまま繰り返せば、『滋養強壮』ぐらいだ。火傷には効かねぇよ」
「そうですか・・・・・・」俺も一緒になってうつむいた。
「どうやら、あのイカみたいなのは、近づいてきた流星の正体だったらしいぜ。流星がひとつ、俺の家の近くに落ち、そっから火があがってイカみたいなのがぞろぞろ出てくるのを俺は見たんだ、間違いない」
「流星って、あの接近中だったふたご座流星群のですか?」俺は訊いた。
「ああ、多分そうだろうな、何百と落ちてくるのが見れたからな。あの規模だ、地球の全域に落ちていたって不思議じゃないだろう」
「なんで流星の中から生き物が出てくるんですか!?」
「そこが分からないんだが・・・・・・もしかしたら、あいつらは流星の中で凍り付いていたんじゃないかな。俺の推論だが。そして、大気を通過するうちに熱が溜まり、落ちた衝撃で完全に解凍されたとか。遠い星の生物なのかもしれないな。それも、炎に全く参らないことから、おそらく常に炎が燃え盛っている星とかのな」
「ってことは、世界中の人の所に、ああいうのが現れて人を殺しているんですか・・・・・・何で・・・・・・こんなことになっちゃったんでしょうね」俺は呟いた。「俺たちが何か悪いことでもしたんでしょうか。人間に対する天罰でしょうか。よくあるドラマとかの人が地球を全く大切にしないから、とか人がいつまでも醜い争いを続けるから、とか、それで地球を終わらせるためにこういうのが来たとか・・・・・・」
漢方医は笑った。「そーだなぁ、そう考えられたら楽かもなぁ」
「楽?」俺は立ち上がった。「楽って何ですか。人がこんなにも死んでいるんですよ! どんな理由があったって楽なわけないじゃないですか!」
漢方医は黙ってから、こういった。「なぁ、そういう風に、自分の運命は自分の自業自得で回ってるって考えるのは、少し思い驕るようなことになるんじゃないのか」
「思い驕る?」
「ああ。今回のことでわかっただろう、人間は弱い。地球外生物が入ってきて、みんな殺されてこの有様だ。太刀打ちも出来やしない。俺もここに来る間、色んな場所を通ったが、生きた人には会わなかった。みんな無残な姿に成り果てていたさ所詮、大きい宇宙のスケールからみたら、人間なんてちっぽけなもんだ」
「・・・・・・でも」
「でも何だ? 運命なんてのは、あったかどうか分かったもんじゃない。更にあったとしても、運命に正当性、因果応報的なものがあるなんてのはちゃんちゃらおかしい。そんなのは結局人がそう信じたいだけだから作り上げたことだと思うぜ。運命をつかさどる神様も・・・・・・」漢方医は言葉を慎重に選びながら言った。「神様なんて、いやしない。そんなのは、人間の勝手な思い込みなんだ」
そのまま二分が経った。二人とも無言で壁にもたれかかって座っていた。冷たいコンクリートの壁が異様なほど冷たかった。外では地獄のような業火が燃え盛っているんだ。怪物が歩き回り生き残りを殺しているんだ・・・・・・。自分だけ外とは切り離された世界にいるようだった。みんなは無事だろうか。父さんは、母さんは・・・・・・弟達は・・・・・・。なんでこんなことにいきなりなったんだ・・・・・・。
かすかに響く業火の音の中に、突然奇怪な笑い声が響いた。
漢方医の男と俺は息を止めた。急に手が汗ばみはじめた。
「・・・・・・イカの野郎だ」漢方医は声を殺して言った。顔に汗が伝っている。
「どうしますか?」
「触手の攻撃は、ちゃんと見切れば避けられないものじゃない。ただ、相手が複数いたら無理だがな・・・・・・」
俺と漢方医は忍び足でロッカーの影に隠れながら声のするほうを覗いた。イカの怪物が一匹、ゆっくりとロッカールームの中を徘徊している。
「やばい、ここにいたら見つかる・・・・・・」漢方医は言った。
「とりあえずロッカールームを出ましょう」俺は言った。
俺と漢方医は、極力音をたてないように、そーっとドアを開けた。そして通り抜け、ゆっくりと閉めた。
「よし・・・・・・このまま忍び足で上の階に行くぞ・・・・・・」
漢方医が言ったそのときだった。俺の手は汗で滑り、ドアは勢いよくガタンと閉まり、跳ね返ってまた少し開いた。
「しまった!」俺は思った。
奥の角を曲がりそうだった化け物は、急に目を光らせてこっちに振り向き、甲高い声で笑いながら飛び掛ってきた。
「逃げるぞ!」漢方医はそう言い、鉄製のドアを思いっきり閉めた。怪物の重い体がドアに当たり、ドアが曲がった。
俺と漢方医が階段を駆け上ると同時に、怪物はドアを突き破りこちらを向いた。薄暗い建物の中で光る目玉に俺はひるんでしまった。
プールを見渡すバルコニーに俺と漢方医は出て、素早く物陰に隠れた。
化け物はガラスの扉を突き破り、俺達の間を通ってバルコニーの端まで行き、プールの方を見た。俺と漢方医は目を合わせ、うなずいた。
「喰らえ!」
俺達は物陰から飛び出し、怪物の頭部を後ろから思いっきり蹴った。思ったより硬かった。怪物は変な声を上げて、こちらを攻撃しようとしたがバランスを崩してプールの中に落ちた。
「キィイイイイイイイイイイイイ!!!」
逃げようとしていた俺を漢方医は引き止めた。「見ろ!」
プールの中で奇怪な生物は二倍ぐらいの大きさに膨れ上がり、弾けた。プールは白い脂と体液で汚く濁った。
「おお! 死んじまった!!」漢方医は喜んで言った。「見ろ! 炎に耐性はあるが冷たい水は大の苦手らしいぞ! 弱点だ! これでイカの野郎に勝てる!」
五十代の漢方医が子供のように喜んでいるのがおかしくて、俺は笑った。「そうですね、これで対策が打てます!」
次の瞬間、鋭い触手が漢方医の頭を横から貫いた。漢方医は目を少し横に向け、そのまま倒れた。甲高い笑い声が響いた。俺が急いで横を振り向くと同時に、コンクリートの建物の屋根の上から怪物が歯を剥き出しに俺に向かって飛び掛ってきた。
この作品は、毎週小説を書くという友達とやっている「合間を縫って小説家」という非公式クラブ的なもので書いた作品です。今回の課題として与えられたジャンルは「コスミック・ホラー」と「ノンフィクション」、そして入れるべきキーワードは「粳米」「専門学校」「思い驕る」の三つでした。故にところどころ非常用非日常的語句が混ざってますが、あしからず。ノンフィクションは整合性的に無理なので半ば無視しました。