⑨
「クラレンス・ケアードさん。ちょっといいかな」
昼の休憩時、ベンチが点在するシティーホールの中庭で、ヒューは標的に近づいた。
後ろでの洞察を指示されたティナは調査用の帽子をかぶり、じっと身構える。
「取材の類?」
声をかけられたクラレンスは、すまなそうに片手を上げた。
「悪いけど、このあと演奏旅行の件でいろいろと打ち合わせが――」
ヒューが音もなくつきつけた小さな袋を見て、クラレンスの言葉が止まる。
「これをお返しするよ。さきほどあなたが落とした」
クラレンスだけではない、後ろで控えていたティナも目を瞠る。
――ヒューってばまたかすめとったのかしら。
「飲料に溶かす睡眠薬。――相当、張り詰めているようだね」
地から響くような低い声で囁くヒューの菫色の瞳は、怜悧な光を宿している。
「恥ずかしいな。見られてしまったか」
はにかみつつ、クラレンスは薬を受け取る。
「本番前なんかにはプレッシャーに耐え兼ねるときがあるからね。少々持ち歩いているんだ」
険しい顔に似合わない穏やかな声で、ヒューは続ける。
「ストレスの原因はほかにも? たとえば、恋人とか」
ヒューがかまをかけると、クラレンスは合点がいったようにあぁ、と頷く。
「キャスの依頼を受けて動いているのってきみたちか」
そう確認するように言ったあとで、素直に肯定する。
「まぁ、そんなところかな。彼女、なかなか結婚にふんぎりがつかないようで」
「……いささか焦っているのかな。薬が必要なほど」
ヒューのそれは気遣いの言葉だが、いつものあたたかみがかけらもない。
菫の瞳は相変わらず冷たく、揺らがずに凍りついている。
気に障ったのか少しだけむっとした顔をして、クラレンスの語調が心なしか強くなる。