㉙
数十秒だっても、部屋はかたりとも揺れない。湖に投げ出された感がない。
「くそっ、ばかな」
キースが八つ当たりのように床にたたきつけた鍵が、転がる。
それを目にしたティナがはっと息を呑んだ。
鍵はかすかに変形している。
あのとき。
ヒューがたいまつをマントルピースに放ったとき、炎の熱で変形していたのだ。
悪態をつくキースの首元に、すっと手刀が射しこまれる。
冷酷な瞳で、ヒューは彼を見下ろした。
「これでこちらの弱みはなくなったわけだ」
菫の色は薄まり、暗黒が強まる。
それは地獄の景色を見た者の目。
彼の鋭い蹴りが、キースをしとめた。
「きみを一撃でしとめ、海に突き落す。その叫び声を、ミュージカリー・カップに閉じ込める」
この世の地獄を知った者の、容赦のない裁きが下る。
「才能にとりつかれ、人であることを忘れた哀れなけだものよ。――代償をいただいていこう」
ヒューは動けなくなったキースの巨体とマントルピースの上のティーアーンを抱えると、窓を開ける。
その先は湖だ。
自らの命を狙われたときより、なにより圧倒的な恐怖が、ティナを襲う。
「だ……め」
いつも、感じていた。
彼が背負う暗闇と。
「だめよ、ヒュー」
それに彼が侵食されてしまう、恐怖。
「あなたが、人殺しになんかなっては、だめ……っ!!」