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 チュチュを追いかけて、丘の上へと坂を上ったティナは息を呑み、身を固くした。


 白く塗装された木片でできた柵の向こうには、下方に湖を見下ろし、剪定されたテューダーローズに囲まれた小さな草原に、髪飾りを抱えたチュチュが尻餅をついている。




 なにより――その首元に、長い杖が迫りきているではないか。




 そのさきでは、さきほどガーデンの隣の席にいた、襟元をひっつめた眼鏡の女性が冷たい無表情でチュチュを見下ろしている。





「失礼だけれど、どなた? ここはわたしたちが借りている場所なのだけれど」





 演舞を描くように杖を回転させると、斜めに構える。





「無断で私有地同然の場所に侵入した。申し訳ないけれど、排除するしかないわ」





 言葉が終わると同時に、女声の持っていた杖が宙を舞った。


 女性の前には今や、眉をつり上げ、白い木片の一つを掲げるティナがいる。





「あだをなそうとしているのはどちらかしら。チュチュちゃんにそれ以上近づいたら、こちらも容赦しないわ」




 眼鏡越しに感情を抑えた路考茶色の瞳と、爛々と怒気をたたえたライムグリーンの瞳が、睨み合う。


 張り詰めた一瞬は、果てしなく長い。





「まぁっ、姉さま、なにをなさっているの?」





 決壊は、奥のあずまやからの少女の出現ゆえに訪れた。


 十代前半ほど。緩やかに波打つクリーム色の髪に栗色の瞳。ミニバラ柄のワンピース。

 さきほどチュチュたちの隣の席でティーブレイクをしていたもう一人の彼女だ。


「下がっていなさい、リル。狙われたら事だわ」


 短く指示し、武具をはねつけられた眼鏡の女性は素手で構えをとる。

 それに応じるようにティナも木片を構えた。

 なんなんだろう。

 彼らのスペースに来てしまったらしいことはわかるが、入ってきた途端不審者扱いとは。



「まぁ、それ!」



 一人緊張感に欠けるクリーム色の髪の少女は、チュチュの握りしめた髪飾りを見とがめるなり、叫んだ。


「姉さま、違うわ。この方は、わたしの髪飾りを届けてくださったのよ。ね、そうでしょう?」


 とたんに、丘を漂っていた冷たい気の流れが変わる。

 眼鏡の女性が、かすかに目をすがた。

 それをチャンスとばかりに立ち上がったのは、チュチュである。



「は、はひ。そーですっ。あたしとティナお姉ちゃんは、決して決して怪しいものではありませんっ!」


 必死と混乱のあまり敬礼も礼も混じった、どこかネジのはずれた人形のような動きを見せるチュチュを笑うこともなく、クリーム色の髪の少女は彼女の手をとった。



「大事なものを届けてくださってありがとう」

「……へ?」


 砂色の瞳でチュチュをじっと見つめたあと、どこか茶目っ気のある華やかなえくぼをつくり、少女は申し出た。


「その、もしよければ、いっしょにお話させていただけないかしら? ホテル暮らしで、同い年くらいの方って珍しくて、ずっと気になっていたの」


 チュチュと同様、あっけにとられていると、トン、と音がして、ティナはテューダーローズの茂みに視線を向けた。


 眼鏡の女性が杖を拾い上げている。

 しまった。油断したすきに武具を回収されてしまった。


 だが彼女は長く重そうなその杖を地につけると、ティナとチュチュに向かって言う。


「どうやら、誤解だったようね。謝罪します」


 杖を持っていないほうの手を胸に押し当て、慎ましい礼をする。


「わたしはジャクリーン・ノースロップ。こちらは妹のエイプリルです」


 伸縮自在らしい杖を短くたたんだ彼女に、ティナも一度はこわばった心がほぐれるのを感じる。


「わかっていただけたのなら、よかったわ。こちらこそ、貸し切りの庭にごめんなさい。ティナ・チェルシーです」

「妹のチュチュでーす!」


 大げさに手をふるチュチュの頭をティナが撫で、誰からともなく小さな丘にはにかんだ笑みが交差する。

 仕事の調査で来ている以上、ほかの滞在者とはうまくやったほうがいい。

 いやそれ以上に、とティナは、改めてエイプリルの手を握り返すチュチュを見ながら想う。

 出会い方は最悪だったが、せっかくの旅先、よい道連れがあればなによりだ。


「ティナ・チェルシー」


 ぶんぶんとチュチュに手をふられていたエイプリルがふと、砂色の目を丸くする。


「もしかして、ミュージカル女優の?」


 ティナは苦笑し、手をふる。


「えぇ。元、ですけれど」


 ぱっと、それまでどこか青白かったエイプリルの頬が紅色に輝いた。


「まぁ、すてきだわ! 握手してください、わたし、あなたに憧れていたんです。ロンドンに行くときは、必ず公演を観にいって……!」


 今度はティナの手を強く握りながら、エイプリルは甘えるように後ろにいる姉を振り返った。


「姉さま、この方たちとお話していいでしょう?」


 対するジャクリーンは、にこりともせず頷く。


「妹もこう言っていますので、よろしければ、お詫びにお茶でも」


 そう言いながら隅に避けてあったテーブルを用意する姿にもはや険はないが、


「……一日に二度もお茶をしては、夕食が食べられなくなってしまうわね」


 年齢はおそらくティナと同年代―-二十代半ばを出ないだろうが、ふいに苦笑する仕草すらも、極めて落ち着いている。



 やはり対照的な姉妹だ、とティナは思った。

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