⑩
ティナは静かにヒューに頷いて、妹の背を支えたまま一歩前に出た。
仕方ない。
これは妹の依頼だ。
そして、たった今彼が妹にかけてくれた言葉は正直なところ、解決以上のものを感じたのも事実。
自分の給料から依頼料を引いてくれてかまわないと言おうとしたとき、ヒューに押し留められた。
彼はタクトをふるように、軽く提案する。
「どうだろう踊り子さん? お代は、次回の音楽学校のハイド・パークでの学外公演チケット」
「えっ」
思ってもみない申し出に、チュチュだけでなく、ティナも目を丸くする。
生徒たちはノルマで公演チケットを配らなければならない。
むしろこちら側にも利がある話だ。
「……いいの?」
はしばみの前髪を軽くかきあげながら、ヒューは朗らかに笑った。
「久しぶりに若き才能に触れるのもいいじゃないか。二席分頼むよ。ね、ティナ。そうそう、できれば隣席で――」
「バラの二席でかまわないわ、チュチュちゃん」
にっこり笑顔で、ティナがしっかり訂正する。
「ん? え? なにこれ?」
凍りついたヒューの笑顔と、姉の端正な笑顔を見比べ、チュチュの顔が左右に行き来する。
心に負った深手を紛らわすためヒューは、早々に現物の精査に入った。
「ふむ」
「なにかわかった?」
「とくには。目立った破損といえば音割れくらいか。――ん。待てよ」
目を閉じ、顔にバロタン・ボックスを近づけると、歌うようなかすかな囁きがヒューの口元から漏れた。
「朝露に濡れた、ジューンベルの香り。もうこの時期に咲くとは、せっかちさんだ」
「? 土と草の匂いしかしないけど」
「ええ、そう思うわ」
同時にバロタン・ボックスに顔を近づけた姉妹が、口々にこぼす。
「信じられないね。こんな純度の高い香りがわからないなんて」
大げさに嘆きのアクションをとったあと、ヒューはふっと微笑んだ。
「ティナ。昔のきみを思い出すよ」