㉑
こんな心境でも。
いやだからなのか。
その一つ一つに、心のひだが翻る気がする。
あれは、キャッチ―な曲とビビットなスポットライトが華やかなミュージカル『マンマ・ミーア』だったか。
冒頭でヒロインが過去の恋人に出くわし、歌う。
あの裏切りを消して忘れはしないのに。
あの人の声を聴いただけで、体中が燃えてくると。
決して耽溺調ではない、アップテンポなその曲の名は『SOS』。
リズミカルな打鍵音がかえって彼女の痛みを臨場感たっぷりに、伝えている。
そう、そうなのよねとティナは胸の中の小劇場に現れたヒロイン――ドナに相槌をうつ。
過去にあんな傷を受けたのに。
小雨のように降り注ぐ優しさが。
抗いがたいぬくもりを投じてくる。
きりりと、ティナは奥歯を噛み締める。
あのときキスを許してしまえばよかったとすら思う。
それは、話がビック・ベンの修繕工事について差し掛かったときだった。
「ねぇ」
耐えきれず、ティナはヒューの話を遮る。
金の光をたたえたタワーブリッジを前に、いつしか二人は立ち止まっていた。
「どうして」
一度つぐんだ口を震わせ、再び開く。
「どうして優しいの? わたしにまだ」