⑨
――危ういところだった。
ティナの背をさすりながら、ヒューは思う。
動揺を表に出すなど。
見るともなく、星の少ないロンドンの夜空を見上げ、思う。
彼女に寄り添われるとどうもまだ、自制ができかねて困る。
父に音楽を捧げ呪いの魔法具を生み出すことを強要され。
半面すら犠牲にして。
それなりに人間の負な側面を見ながら育ったほうだと思う。
学生時代教室で誰かのものがなくなれば自分のせいにされたり。
プロの音楽業界に身を投じれば、コネで演奏家が決まったり、実力以外のもので評価されてしまったり。
そんな側面をごまんと見てきた。
半面のピアニストとして世間では売れているので周りが珍しがって、近寄ってきたりもするが、たいがいが名声にあずかりたいために共演の申し込みやなにかだとわかってしまい、心を開ける人はいなかった。
ヒューは椅子に座ったまま目を閉じた彼女の口元にそっと、水の入ったグラスを添わせる。
夜空を漂うように旋回していく回想はいつだって、この人に戻ってくる。
いつも凛とした女性。美しいがどこか怜悧で媚びない印象だった。
話しをしてみてわかったが、年の離れた妹のこととなると唯一客観性を欠く。
そんなところも、愛しいと思った。
「……ペリカンくんの緊張を音楽でといたのも、ジャクリーンの心を開いたのも。とっさの行動力でダーエ嬢を救ったのも。――きみだ」
訊く人のない詩を、夜空に向けてヒューはただ、呟く。
「きみがいなければ、人々は音楽魔法具店の我々に心を開いてはくれなかったよ」
こくりこくりと、誇り高き歌姫は船を漕ぎ出す。
「芯が強くて、一生懸命で妹想いで。ほんとはとても情が深い。……きみみたいな人を、なぜ神様は忘れてしまうんだろうね」
がくりと、ティナの上体が傾き、テーブルに投げ出される。
つつ、とそこに涙の筋がつたって流れた。