愛を知らないドアマットは契約結婚の妻に救われる
伯爵ハーシェ・ロイヤーは、愛のない両親の間に生まれた。
父には愛人が二人もいた。母はそんな夫を責めたてた。そんな夫婦だから、子どもはハーシェ以外にいなかった。
ハーシェは父親似の風貌だったため、ノイローゼ気味の母はハーシェを父の名で呼び罵った。
だからハーシェは本邸にいることが難しくなり、別邸で老執事に育てられた。
ハーシェは成長するにつれて、結婚は家名を残すためだけの行為だと思い込むようになった。
ハーシェが二八歳の時、政略結婚を強いられた。
大切にされた記憶がないため、自分が良い父親になれる気はせず妻シェリーとの夫婦の営みはない。
なぜ愛してくれないのかシェリーに問われても、愛していないからとしか答えられない。
自分を問い詰めるシェリーを見て、ヒステリックに叫ぶ母を思い出してしまい、屋敷に帰る日が減った。
その後、シェリーが使用人をいびったことが発覚し、離婚することになった。
離婚後、ハーシェは知人のすすめで軍人のロゼッタと見合いをする。
ロゼッタは子爵家の長女。上に兄が二人いるからハーシェ家に嫁入りが可能。
歳はハーシェと同じ二十八。
ロゼッタは軍人の仕事に誇りを持ち、結婚後も仕事を続けたいと考えていた。
ハーシェは家を仕切る女主人が必要だとまわりからせっつかれていたため、ロゼッタに取引を持ちかけた。
結婚は形式上だけ。
軍人の仕事を続けてもらってかまわない。
子を産む必要はなし、跡取りは親戚から養子をもらう。
ロゼッタはハーシェの話に乗り、二人は書類上だけの夫婦となる。
ハーシェとロゼッタは同じ屋敷で暮らし始める。
ロゼッタは規律を重んじる部隊を率いているため、ハーシェにもある提案をした。
形だけの夫婦・ただの同居人であることをまわりに悟られてはいけない。食事はともに取り、挨拶をきちんと交わそうと。
生まれてから今日まで、両親とまともに挨拶を交わすこともなかったハーシェ。
ロゼッタの提案に戸惑いが大きかった。
しかし、ロゼッタは朝起きれば必ずハーシェの名を呼び挨拶をするし、良い天気になりそうだな、と笑う。
たわいのない言葉をひとつ交わすたびに、ハーシェの心にあたたかなものがうまれた。
その気持ちになんと名前をつけるのか、ハーシェは知らない。
少しずつ話す時間が増え、ハーシェは自分の育った環境をロゼッタに打ち明けた。
愛のない家に生まれたから、愛し方を知らない。
君がもし人並みに愛のある家庭を望んでいたなら申し訳ないと。
ロゼッタはハーシェの幼少期の経験を聞いて共感した。
ロゼッタも生家では、家は兄が継ぐからお前は利用価値のある家に嫁げ、それしか価値がない……と言われていたのだ。
だから軍人となり、人々の生活を守るという形で自分の価値を見出そうとした。
女でありながら剣を携え自らを鍛えるロゼッタ。男でも根を上げるような訓練をこなし、大地を駆ける。そんなロゼッタの生き方を、ハーシェは尊敬した。
ハーシェは、嫌なことから逃げてばかりの自分の生き方を振り返り、一度もまともに向き合うことをしなかった前妻のことを考えた。
シェリーが使用人をいびったのは、ハーシェがシェリーをいないものとして扱ったから。
自分が孤独な生き方に慣れきっていたから、シェリーに同じものを課しても大丈夫だと思っていた。
ハーシェは、毎日ロゼッタと言葉を交わすのが、当たり前になってきている。
今日から無視されいないものとして扱われたら、心が折れると断言できる。
そんな酷い事をシェリーにしていたと、ようやく気づき、己の愚かさを恥じた。
いくら反省しても、一方的に離婚を言い渡してシェリーを傷つけた過去は変えられない。
過ちを詫びる手紙をしたため、シェリーが現在身をおいている公爵家に手紙を送ってみたものの、何ヶ月経っても返事は来なかった。
シェリーが受け取った上で返事を書かないのか、それとも公爵がシェリーに渡さず破棄したのか、真実は定かではない。
もう一度手紙を送り直そうかと考えて、やめた。
内容が謝罪であっても、自分を手酷く扱った男からの連絡など、視界に入れたくないかもしれない。
ロゼッタは仕事がない日は屋敷の女主人として使用人達の様子を見て回る。
それが一段落すれば、屋敷の庭で剣を振り訓練を欠かさない。
ハーシェは感化されて、ロゼッタとともに剣の鍛錬をするようになった。
日ごろ軍でも部下たちに目を配っているからか、ロゼッタは使用人一人が体調を崩してもすぐ気づく。
そして体調が回復するまでは休むよう促す。
強さだけでなく優しさも持ち合わせるロゼッタは、使用人たちからも信頼され、慕われた。
どこを見れば異変に気付けるのか、ハーシェが問いかけるとロゼッタは答える。
相手の心に寄り添い、思いやりを持てば自ずと見えてきます。
それからハーシェは、ロゼッタだけでなく使用人たちともきちんと挨拶を交わし、相手を見るようになった。
これまで使用人たちを一人の人として、きちんと見ていなかったことに気付かされた。
大切なことを気づかせてくれたロゼッタに、心から感謝する。
誰かに感謝するのも、初めてだった。
ハーシェは形だけの結婚のままでいることが、もどかしくなった。
ロゼッタとはきちんと家族になりたい、と思うようになった。
ある日、ハーシェはロゼッタに対して本心を打ち明け、彼女もまた同じように自分の気持ちを告白する。
形だけでなく、本当の夫婦になってほしい。
ロゼッタはハーシェの告白を受け入れた。
ハーシェは生まれて初めて、心から嬉しくて笑った。
二人は本物の夫婦として新たな一歩を踏み出すことを誓う。
ハーシェとロゼッタは互いの手を取り合い、未来へと歩み出す。
屋敷には笑顔が溢れ、二人の新たな生活が始まるのであった。